フラグを立てれば話が進む! >> 魔法街へようこそ 〜紫の場合〜 | ||
進学クラス故の性質なのか、一ヶ月以上休んでいた紫が登校しても、それほど注目を集める事はなかった。 問題は授業についていけないくらいで、それも環が協力してくれた御陰で、期末テストまでには何とかなる見込みである。 「ねえ、ユカちゃん」 金曜日の放課後、環が何でもない事のように切り出した。 「さっきから校門のところでさあ、ユカちゃんを待ち伏せてる人がいるんだけど、どうする?」 ざあっと、顔から血の気が引くのが、自分でも良くわかった。 「・・・どんな、ひと?」 「スーツ着て、あんまり特徴がない感じ。車は派手だなあ。黄色のカウンタック」 「・・・・・・」 「・・・つまり、あれが原因?」 念を押すように問いかけた環は、紫が頷くのを確認してから2人分の鞄を持ち上げた。 「とりあえず、裏門から出るよ?」 それからどこをどう歩いたのか、紫は覚えていない。気が付くと、薬局の2階で座り込んでいた。 だいぶ私物の増えた客間(もはや紫の部屋)には、最初に来た日のように士郎と環が思い思いに座っている。目の前には人数分の湯飲みがあるが、誰も手をつけようとしない。 問いかけられたわけでもなく、ただ思いつくままにぼつぼつと口に出した言葉は我ながら支離滅裂でわけが分からなかったが、2人は静かに聞いていた。 「つまり」 紫の言葉が途切れた所で、環が言った。 「あの人は母方の遠い親戚で、元家庭教師で、ユカちゃんが小学生から中学生まで虐められていた相手だ、と」 「虐待だろう」 士郎が口を挟む。 紫の親は、そこそこ名の知れた会社の2代目である。順番通りなら、紫が3代目になるはずだ。こういった場合の例に漏れず、紫も幼い頃から勉強と習い事漬けの日々を送り、家族との楽しい思い出はごく僅かだ。祖父亡き後に会長を務める祖母は可愛がってくれたが、嫁姑問題の勃発により別居して以来、滅多に会えない。 両親が子供を構うより自分の時間を充実させたいという思想の持ち主だったのも不幸だったが、何より不幸だったのはその両親に育てられた紫が、親の愛情を無条件に信じられなくなったことだろう。 家庭教師だった男が、教育的指導と称して面白半分の暴力を振るうようになったのは小学校高学年のころだが、両親に助けを求めたことはない。 結果、紫は一方的な暴力に耐え続け、両親は何も気付かずに数年が経過した。高校受験から学習塾に通うようになったし、元々親戚づきあいが少ない家なので、顔を合わせることはなくなったのが幸いだった。 更に自分が同性愛者らしいということを自覚したせいで、ますます両親と距離を置くようになる。 そんな具合に17年。紫はかなり無感動な性質になり、両親はそんな息子を持て余すようになった。 「無感動? うん、学校ではそんな感じだった」 環は頷いて、手元の茶を一気に飲み干した。 紫もつられて、冷めた茶を呷る。 「それでご両親は、元家庭教師になら心を開いて話せるんじゃないかって考えて、わざわざ自分たちが留守にする日を選んで、あの人を招待したわけか」 環が続ける。両親が何を考えていたのかなんて、紫は知らない。知らないが、環がそうだと言うのならそれが正しいのだろう。 環と話しているとそういうことがある。 心の中で思ったことに返事が返ってきたり、離れた場所の出来事を実況中継されたり・・・他にも色々あるが、慣れた。 慣れたら最期な気もするが、慣れてしまった。 そう、全ては魔法街だから・・・ すぅ、と意識が遠のいた。 「・・・おっと」 紫の手から、湯飲みが落ちる。環がそれを空中で受け止め、ぐったりと倒れ込む紫は士郎が支えた。 「さすが春麻ちゃん。凄い効き目」 即効性で副作用も依存症もない、“魔法のような”睡眠薬は、隣家の住人の作品である。 心底感心して呟いた環は、あめ玉のような中和剤を自分の湯飲みに吐き出してから、静かに立ち上がる。 「どこに行く」 「母さんの所。さっきから、この辺をウロウロしてる派手なスポーツカーについて、ちょっとね」 恐らく学校で環の住所を調べたのだろうが・・・正式な手順抜きで魔法街に侵入するのは難しい。しばらくはあてもなく走り回っていることだろう。 「まあ、近所で死なれても不愉快だから、命に別状はないんじゃない?」 「・・・そうだな」 唇だけでうっすらと微笑む表情が血の繋がらない母親と瓜二つで、士郎はある意味感動した。 これから相手に降りかかる運命を同情してやる気は、爪の先ほどもない。 散々苛めた子供に今度は性的な悪戯をしようとする輩である。何が不満でことに及んだのか知らないが、ストレスの捌け口ならもっとマシなものを選ぶべきだ。 紫の性癖を知っていたのかどうか知らないが、どちらにしても洒落にならない。 「その辺で許してあげようよ。完遂ならともかく、未遂だし」 これで、元家庭教師の運命は決定した。 「仕方ないよねえ。真っ当に償う機会を自分で潰しちゃったんだから」 軽い調子で人間一人の行く末を決めた張本人は、あくまでも穏やかに続ける。 「おやすみユカちゃん、いい夢を。士郎さん、後はよろしく・・・襲ったら駄目だよ?」 ・・・するわけないだろう。 そんな無言の訴えを無視して、環は部屋を出た。 部屋では取り残された士郎が、親のようなしぐさで紫の頭を撫でていた。 その夜、信号無視の自動車が雑貨屋に突っ込むと言う事故があった。幸い被害にあった店は閉店後で、シャッターを下ろしていた為に大きな損害はなかったが、自動車の運転手が重傷を負ったという。 紫はそんなことはまったく知らなかったのだが、次の日には阿久津と上田から直々に「何も心配することはない」と言われた。 実際、土曜日に学校で待ち伏せされるようなこともなかったが、これはほんの始まりに過ぎなかったのである。 |
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