キーパーソンを見逃すな! >>   魔法街へようこそ 〜紫の場合〜

「最初に残念な報告ですが、ご両親は紫くんが姿を消していたことに気付かなかったようです」
 目的地までの道中、阿久津が言った。紫にしてみれば予想の範囲内だが、上田親子は揃って顔をしかめる。
「紫くんの身に起きたこと、しばらくこちらでお預かりしていたこと、私の知る限りすべてお話したのですが。信じて頂けないのはともかく、ゆすりだ誘拐だと不名誉な嫌疑を掛けられたので少々脅したところ、皆さん気を失ってしまいまして」
「お前なあ」
「イサ・・・」
 呆れたように連れ合いを眺める上田と、心配そうに行く先を見つめる環。阿久津は咳払いをして、二人の注意を引き戻した。
「1人残ったのが、偶然いらしたお祖母様ですが」
「ばあちゃん!?」
 田舎の別邸に引篭もって数年に一度しか出てこない祖母が、どうして今日いるのだ。
「大丈夫ですよ。そのお祖母様がお呼びです」
 阿久津を先頭にしばらく進むと、目的のビルが見えてきた。
「ん・・・?」
 思わず目をこすった。見知った建物が、霧が掛かったようにぼんやりかすんで見える。
 道行く人は気付いていない。同行者たちも気にした様子がないので、紫もその中に踏み込んだ。
 瞬間、前方の風景が一変する。

 最初は、火事かと思った。
 ○△商社ビルの最上階、父親のオフィスがある辺りから、赤いものがはみ出している。それは炎にしてはしっかりした質感を持って、動いていた。環が悲鳴を上げる。
「イサ!! 何してんの!?」
「環〜」
 漁火の声と共に、赤いものが上下に動いた。
 赤い・・・非常に巨大な、蛇の頭である。透明感のあるオレンジ色の目は爬虫類特有の細い瞳孔を持っているが、きょろきょろと動いて妙な愛嬌があった。
「出られないんだよ〜!!」
「・・・小さくなれば良いんじゃない?」
「あ!」
 疲れたように嘆息した環だが、ここで初めて紫の存在を思い出したらしい。
「あ、え〜と、ユカちゃん、これは・・・」
「・・・夢じゃなかったんだな?」
 満月の晩の遭遇を思い出し、紫は引きつった表情で立ち尽くした。
「・・・気絶、しない?」
「今更できない・・・」
「何をしているんですか?」
 そんな情緒を理解してくれない阿久津が、二人の腕を掴んで引っ張った。

「近くで見ると、ますます見事な皮だこと。ベルトかバッグにしたいね」
「そう? 今度脱皮したらあげようか?」
「おや、いいの?」
 最上階から大蛇がぶら下がっていたとは思えないほど、通常通りのビル内。受付を素通りし、エレベーターで最上階まで上がった一行を待っていたのは、気の抜けるような会話だった。
 ごく普通の応接用ソファに腰掛けているのは、小柄な老女。髪の毛は真っ白だが、皺の少ない顔は若々しく可愛らしい。
 その隣でとぐろを巻いているのは、10メートルくらいに縮んだ大蛇である。動物園にいてもおかしくないサイズなだけに、少々生々しい。
 助けを求めて環を見るが、首を横に振られた。
「我慢して。今人間の格好になると、猥褻物陳列罪で連れて行かれるから」
 確かに、蛇は服を着ていない。
「紫? まず言うことがそれなの」
「こ、こんにちは、ばあちゃん」
 一番奥にあるデスク付近では、父親と秘書の女性が気を失っていた。
 この状況で平然と振舞える祖母を、改めてすごいと思う。
「・・・ふきさん! 増村芙喜さんじゃないか?」
 大声を上げたのは、上田である。
「だから、来れば分かると言ったでしょう?」
「懐かしいな! あんたが出て行って以来か?」
「お久しぶり」
 上田(旧姓増村)芙喜。初代社長を支えた手腕を今なお語り継がれ、引退した後も隠然たる影響力を持つ女傑にして紫の祖母は、平然と会釈した。

「そんなわけだから、紫。ちょっと社会勉強しておいで」
「ばあちゃん、どんなわけだか分からないんだけど」
「馬鹿だねえ。阿久津さんに気に入られた時点でどうしようもないんだから、大人しくご奉公しておいでって言ってるんじゃないの」
「だからその「どうしようもない」の部分が気になって・・・いや、その前に」
 そうだ。問題はそれだけじゃない。
「どうして阿久津さんを知ってるんだよ?」
「上田さんも知ってるよ? そっちの美少年とこっちの大蛇は初めてだね」
 美少年呼ばわりされた方は何やら考え込んでいる様子だったが、吹っ切るように顔を上げる。
「上田環です。初めまして、御先代」
 芙喜が、初めて驚いたような表情を浮かべる。
「『ほたる』の?」
「はい。十年ほど前に継ぎました」
「そう・・・にしても、上田さん? どこで作ったのさ」
 感慨深げな表情を浮かべておきながら、すぐさまとんでもない方向に話を切り替える。言われた上田はこめかみを押さえた。
「あのな、芙喜さん。俺がよそに女こさえて、こいつが生かしておくと思うのか?」
「それもそうだね。どこから盗んできたの?」
「盗んでいません。拾ったんです」
 大人たちの漫才めいたやり取りは延々と続く。
 誰でも良いから解説してくれ。
「委員長・・・」
「俺も会うのは初めてだし、詳しいことは知らないよ?」
「それでいい・・・いや、詳しく知ると不幸になる気がする」
 あながち間違ってもいないだろう。
「うん。俺が知ってるのはあの人が俺の前に占い屋をやっていた人で、結婚して魔法街を出て行ったってくらいだけど・・・後は伝説が幾つか」
「伝説・・・?」
「うん。色々と・・・」
 聞きたいのか、と目線で問いかけられ、慌てて首を振る。
「紫」
「は、はい!」
 可愛がってくれたとはいえ、色々破天荒な実例を見せられた祖母だ。しかも「伝説」らしい。思わず返事に力が入る。
「連絡はまめによこしなさい。それから、たまには顔を見せるように。後は自由にすれば良いよ」
「ばあちゃん?」
「経営者の替わりはその辺から見つけて来られるけど、お前は1人しかいないからね? 後悔しないようにやりなさい」
 家を飛び出した時祖母を頼らなかったことを、少しだけ後悔した。
「ばあちゃん・・・ごめん」
「はいはい。後は任せて、早くお行き」
「それでは芙喜さん。今度改めてご挨拶に伺いますよ」
「イサ、帰るよ」
「はーい」
 するすると這い寄ってきた漁火が、ゴムの玩具くらいに小さくなる。環がそれを拾い上げて首に巻き、一同は芙喜と気絶した紫の父及びその部下を残して、出口に向かった。

「あの・・・」
 帰りの車の中で、1つ気がついたことがある。
「ばあちゃんと会うのは、魔法街を出て行って以来なんですよね?」
「ええ」
「ばあちゃんは、結婚して魔法街を出て行ったんですよね?」
「そうですよ」
「ばあちゃんが結婚したのは・・・」
「そろそろ50年になりますか。早いものです」
 にこにこと微笑む阿久津が、何故だか怖い。
 環の首に巻きついて頬に擦り寄る漁火を眺め、覚悟を決めた。
「阿久津さん、上田さん。お幾つなんですか?」
「さあ・・・」
「阿久津さん!」
「からかっているわけじゃありませんよ? 300を過ぎた辺りから、数えるのが面倒になって」
「・・・まだ江戸幕府があったころに生まれたのは、確かだ」
 ある意味予想通り、ある意味予想外の返答に、紫は沈黙するしかなかった。