逃飛行 トウヒコウ >>   

 非常事態とは言え、俺ができることなんてたかが知れている。
 まして唯一役に立ちそうな特殊能力が使えないなら、逆にいるだけで邪魔になる可能性の方が高いわけで・・・

「皮剥き終わったよ」
「ありがと! じゃあ、次はこっち」
 ザルに積み上がった芋の山を渡すと、次は魚の山がやってきた。俺が鱗を落として内臓を出す横で、綾緒さんは鍋をかき回している。
 ただ厄介になるのは気が引けるので綾緒さんの手伝いをしているわけだが、慣れるとけっこう楽しい。大飯ぐらいが2人(サイズを考えれば仕方ないけど)もいるせいで、食事の仕度は常に大騒ぎだ。
「これ全部、1人でやってたんだ?」
「あの2人に何かやらせたら、そっちの方が大変じゃない」
 ・・・確かに、器用そうには見えない2人である。
 その2人は、さっき揃って出かけたばかりだ。
 漁火とQ●郎の領土の境界付近を調べていた精霊が、突然何かに襲われた。
 命からがら逃げ出した彼(種族は飛魚で、足が速かった)の証言でそれがQ●郎だとわかり、今は近くにいる精霊たちが遠巻きに見張っている。
 同じ能力を持っている相手に気付かれると逃げられるというので、漁火も蛇の格好で泳いでいった。
「・・・大丈夫かな」
 話を聞く限り、敵は相当力を付けているようだ。
 知り合いが食われたと言って『自分を食べて力にしてくれ』と頼みに来た精霊もいた(一人はとても美味しそ、じゃなくて立派な伊勢海老だった)けど、漁火は断っていたはずだ。
「当ったり前じゃない。格が違うんだから」
 綾緒さんは、何を当然のこと、という調子で頷く。
「いえ、威厳がないのはもともとだし、特に環ちゃんにはヘンな所ばっかり見せてるから、疑われても仕方ないんだけど」
 その威厳のない男に惚れている身としては、否定できないのが辛いところだ。多分承知の上で言っているんだろう。綾緒さんは意味ありげににこにこしている。
「そんなのでも、人間が『海の神』って言ったら漁火のこと、ってくらいなんだから」
 ・・・この辺の海を縄張りにする、ローカル神じゃなかったのか?
「あたしにはよくわからないけど、天道様の所にいる人間がこしらえた名簿じゃあ漁火が海の神様の頂上にいて、白珠も漁火の配下になるみたいよ?」
 変な話よねえと、綾緒さんは首を傾げてみせる。
「ともかく、これで天気が良くなれば、明日はお月様が出るからね」
 すっかり忘れていたが、明日の満月までに雨が止まなかったら、最低1ヵ月は家に帰れなくなるんだった。
「安心して、あたしと待ってればいいの」
「そうだね」
 小刀が鈍ってきたので、血と油を洗い流す。そしてもう一度魚に向かおうとしたら、ぴかぴかになった刃の表面に何か・・・白っぽいいシミのようなものが見えた。
「ねえ、環ちゃんさえ良かったら・・・」
 綾緒さんが何か話しかけてきたけれど、俺の意識はほとんどその映像に向かっている。
「・・・!」
 手から、小刀が落ちた。
「どうしたの!?」
 怪我でもしたのかと覗き込もうとする彼女に、軽く手を振ってみせる。
「綾緒さん。今から俺の言うこと、落ち着いて聞いてくれる?」
「何?」
「本物のQ●郎が、こっちに向かってる。漁火を呼び戻して欲しいんだ」
 やれるもんなら自分をぶん殴ってやりたい。どうして気付かなかったんだか。
 漁火は、守護精霊を柱、ねぐらをその土台だといっていた。そのねぐらに何かされたら領土や・・・もしかしたら、漁火本人にも影響があるってことじゃないか?
 話を聞く限り、Q●郎は漁火よりも弱いらしい。だったら正面から仕掛けるよりも、ねぐらを潰す方が確実だと考えるんじゃないだろうか。
「え? だって羽州が」
「そのハシュウさん、元々Q●郎の領土近くに住んでたんだよね?」
 何かの手段で動かされている可能性が高い。
 一番手っ取り早いのは、『協力しなけりゃお前をとって食う』と脅迫することだろう。説得力も充分だ。
「じゃあ、今あいつだって言われてるのは?」
「俺にもわからないけど・・・誰もいないか、身代わりがいるかのどっちかじゃないかな」
 だから早く行ってくれ、と促すのに、綾緒さんは何か迷っている様子だ。
「環ちゃん1人で残すのなんて・・・」
「2人で残ったらもっとまずいって。今すぐ追いかければ、間に合うよ」
「・・・わかった」
 ぱさ、と足下に着物が落ち、綾緒さんの姿が消えた。
 その代わりに、俺の胸ぐらいの高さに手の平サイズの金魚が浮かんでいる。鱗は着物と同じ、白地に赤い模様だ。
「絶対、外に出ちゃ駄目だからね!? ちゃんと隠れてるのよ!?」
「わかってるって。俺が何にもできないの、知ってるよね?」
 金魚・・・綾緒さんは天井の穴を抜けて、弾丸のように飛んでいった。
「さて、と」
 その辺を引っ掻き回してある物を探し出し、同じくその辺から見つけた風呂敷にありったけ包んで、背中に縛り付ける。
 捻挫した足は動かすと少し痛むくらいで、歩く分には大丈夫。荷物の重さで思いっきり走るのは無理だし、そもそも元々鈍足だから問題なし。
「ごめんね?」
 綾緒さん。ついでに穣雲、あと漁火。
 帰ってきたら説教でも何でも聞くから、勘弁してもらいたい。
 俺が「すぐそこまで来てるから逃げてくれ」と言っても、綾緒さんは逃げてくれなかっただろうし、嘘も方便である。
 もう一度小刀の表面をみると、以前漁火が描いた図に良く似た何かが、浜に上がる所だった。
 なるほど、白くて丸くてひらひらな・・・くらげ。
 傘の側面に丸い模様が二つ、てっぺんに長い突起が三本ある、クラゲが見える。大きさは二階建ての家くらいだけど・・・多分漁火同様、大きさの調節が出来るんだろう。

 Q●郎は、まったく正当派な海洋生物だった。