白い阿呆 シロイアホウ >>   

 クラゲなんだから、陸上に放置しておいたら勝手に干からびてくれないものかと少し期待したけれど、世の中はそんなに甘くない。
 一般的なクラゲの運動神経がどれほどのものかは知らないが、仮にも神様扱いされるやつである。まともにぶつかったら即座に殺られる、とだけ覚えておけば十分だ。
 隠れる場所があって相手も自由には動けない場所。そんなところで足止めをかければ、漁火が戻るまでどうにか凌げる・・・かもしれない。
 まあ、理屈で言えばそのはずだ。
 浜から社のある洞窟までは少し距離があって、その間に小さい公園くらいの林がある。
 その林を抜けて開けた場所に出ると・・・予定通り、目の前にヤツがいた。
 こいつも空中を動けるらしい。地上1メートルくらいでゆらゆらと滞空しているQ●郎は、俺の方に向かってくる。
 身の丈に合わない力を取り込みすぎたせいか、それともねぐらから離れすぎたせいか・・・正気を失っているのは、一目でわかった。
 単純ながら効果的な囮作戦を実行した知性のかけらも見当たらない。当初の目的すら吹っ飛んで、ごく僅かな本能に突き動かされている顔をしている。(クラゲの顔がどこにあるのかはわからないけど、雰囲気はそんな具合だ)
 『エサ・・・うまそう・・・力が付きそう・・・』という顔。普通こんな顔で見られたらそれだけで竦みそうだが、俺は慣れている。
 自慢じゃないが、霊的な力はある方だ。うっかり丸呑みされかけたり齧られかけたりなんて、魔法街に住んでいる限り日常茶飯事。1つだけ違うのは、本当に危なければ助けてくれた両親やご近所のみんながいないことくらい。
 足が震える・・・緊張しているだけだ。俺は怖がっているわけじゃない。
 怖くないったら怖くない!
「舐めるなよ、腔腸動物・・・」
 別に進化が進んでいれば偉いと思っているわけじゃないが。(それ以前に、種族を超越した相手を捕まえて進化の程度を云々するのは不毛か)
「食えるもんなら食ってみな」
 中指を立てるポーズは万国共通ではないが、気分の問題である。
 即座に後ろを向いて逃げると、追ってくる気配。
 まずは成功。だけど、勝負はここからだ。

 パニック映画じゃあるまいし、孤立無援で空飛ぶ巨大クラゲに追われるなんて、二度とやりたくない。移動するスピードが思った程速くないのが唯一の救いだろうか。
 距離はそんなに離れてもいないが、近くもない。
 林の中に駆け込み、とにかく木の陰に入ってジグザグに動き回る。足は痛むし背中の荷物は重いけれど、動けなくなるほどじゃない。
 Q●郎の奴は林の上から触手を伸ばしてくるが、木の枝に邪魔されてうまくいかないらしい。
 不毛な鬼ごっこをどれくらい続けたのか。これなら逃げ切れるかと思った時、奴の気配が変わった。
「なっ・・・」
 巨大クラゲが更に巨大化して・・・俺がいる区画全体に覆いかぶさるようにして、落ちてくる。
 押しのけられた拍子になぎ倒された木に潰されなかったのは、ただの運だ。
 そして手持ちの運を使い切った俺はあっさりと、Q●郎の口兼肛門に呑み込まれた。
 自然の猛威を前に、人間は無力である・・・家1軒分ありそうな巨大クラゲが自然かどうかは別として。

 その直後のことは流石に精神が拒否したらしく、朧にしか覚えていない。
 もの凄く生臭い悪臭と、ブヨブヨというかドロドロというか、そんな感触にどっぷり浸かっていた記憶はある。
 一所懸命にもがいても全身を締め付ける圧力はどんどん強くなって、息も出来なくて、そろそろ限界かな、と頭の片隅で考えたような気もする。
 駄目か? という瞬間、異常な揺れがきて・・・
 俺は、地面に吐き出された。

「せ・・・成功?」
 念のために自分の背中を確認するとぐちゃぐちゃになった布が巻き付いているだけで、中に包んでおいた20個強の貴露の実は消えうせている。
 ・・・正直、ここまでうまく行くとは思わなかった。
 つまりゴキブリ退治のホウ酸団子と同じ、単純な罠なんだ。
 美味そうな餌(=俺)で気を惹いて、それと一緒に毒(この場合はアルコール=貴露)を食わせる。
 果たしてクラゲは酔っ払うのか、それと貴露の実より先に俺が消化されたらどうしよう、という心配はあったのだが・・・何とかなったらしい。
 まあ、本当は普通に逃げ切りたかったけど、俺の運動神経では無理だった。
 元は魚や精霊の死体だったらしい、どろどろした物・・・有体に言えばQ●郎のゲロまみれになったけど、生きているに越したことはない。

 最初倒れた時に考えたのだが、貴露の果汁は俺の知識にある「酒」よりもアルコール度数が高く、しかも吸収が速いんじゃないだろうか。
 急性アルコール中毒は、血液中のアルコール濃度が一定以上になることでおきる。従って症状が出るのはアルコールを摂取してから30分くらい後。
 その場で、しかも一口含んだだけでぶっ倒れるなんて、幾らなんでも異常だ。
 いや、酒に弱いのを言い訳してるわけじゃない。事実を述べているだけだ。
 今回はそれに救われた形だけど・・・そんな危険物をいきなり飲ませてくれた某殿様蛙に、ちょっと殺意が湧く。

 ところでQ●郎は地面に墜落していたが、まだ動いている。
 もう1度逃げようとしたその時、上空に見覚えのある門が開いた。