真夜中に蛇の顔 マヨナカニヘビノカオ >>   

 雨がとっくに上がって、空には満月に一晩足りない、ほぼ円形の月が浮んでいる。
 蛇の姿で小さな浜辺に寝そべった漁火が、首を持ち上げてぐわっと口をあけた。
 その中から、ほわほわした光の玉が1つ2つ・・・たくさん。空に向かって上っては、溶けるように広がって、消える。
 Q●郎に喰われた精霊たちの力が、世界に帰っていくのだ。
 光の行列はしばらく続き、唐突に途切れた。
「あーあ、本当に全部帰しちゃった」
 綾緒さんが、残念そうな言葉とは正反対の笑顔で言った。
「仇は討ったんだし、食べられちゃったみんなも文句は言わなかったんじゃない?」
「やだよ。無駄に強くなったら、天道の奴が仕事を押し付けるじゃないか」
「押し付けてくるなあ。しかも、大喜びで」
 死んでも嫌だ、と身震いする大蛇に、殿様蛙が大きく頷いた。
 ・・・太陽神、意外と威厳がない。
「しかも、うっかりQ●郎の力なんか取り込んだら、今荒れ放題のあいつの領土まで押し付けられそうだし!」
 漁火の中では、ついに『Q●郎』が定着してしまったらしい。
「でも、どうせ復興のお手伝いには駆り出されるのよねえ」
「ったくよお。隣に住んでるだけだってのに、迷惑だよなあ」
 Q●郎の領土はしばらく太陽神が面倒を見るそうだ。
「手伝いもしないで帰って、ごめんね?」
「何言ってんだ。ガキを働かせるほど落ちぶれちゃあいねえよ」
「そうそう。落ち着いた頃にでも、また遊びに・・・」
「駄目だ」
 漁火が、綾緒さんの台詞を遮った。
「環は人間で・・・しかもこの世界の生まれじゃない。ここにいるのは家に帰るまで預かっていただけだろう」
 背後で穣雲と綾緒さんが盛大なブーイングをしているのだが。
「二度と来ちゃいけない」
 ・・・黙って頷く以外に、何ができるって言うんだ?

 日が昇り、日が沈み、見事な満月の晩になった。
 漁火は今蛇の姿で、くねくねと踊っている。同時に聞いたことのない言葉で笛のような旋律を紡ぎ・・・それに合わせて空間の歪みが広がっていく。
「おい、良いのか?」
「いいんだって」
 こんな具合に穣雲は気遣ってくれるが、どっちにしたってこれから家に帰るのだ。
 心配のあまり奇行に走っているかもしれない両親を宥めるために、貴露の実一年分も用意した。古今東西、化け物には酒と決まってる。
「あいつが勝手に決めたのにハイハイ従うこたぁねえだろ? 俺や綾緒だってなあ・・・」
「でも、門を開けられるのは漁火だけだし」
 それに、あえて付け加えるのなら。
「俺、漁火が好きだし」
「惚れた相手なら従うってか?」
 要は、そういうことらしい。また来たい、会いたいとごねるのもできなくはないけど。漁火に嫌われるのは嫌だ。
 ・・・俺、意外と乙女チックだな。
「環」
 漁火が俺を呼んだ。
 漁火のねぐらである社の横に、強い力を持った門が開いている。
「環ちゃん!」
 門をくぐろうとする寸前に、綾緒さんが俺の手に何か押し込んだ。
「お守り。大事にしてね?」
「・・・アリガト」
 不覚にも目の奥が熱くなって、視界がぼやけた。急いで門の方に向き直り、できるだけ明るい声を出す。
「それじゃまあ、二度と会うこともないだろうけど元気でね」
 もう少し可愛げのある言葉を残したかったけれど・・・せめてもの腹いせだ。

 門の中に、足を踏み入れる。一瞬の浮遊感の後、軽い衝撃が来て。
 俺が立っていたのは、上田生花店・・・父さんの店の前だった。