冤罪は落し穴の如く >>   

 別に、好きこのんで夜の波止場などというお決まりの場所で腹を切られていたわけではない。そこに至るまでの事情がちゃんとある・・・圭士にしてみれば、ただ逃げ回っていただけなので、詳しいことはわからないのだが。
 その筋の人々が家に押しかけてきたのは、昨日の夜。留守中に上りこんでいた彼らは部屋を好き放題にひっくり返し、圭士が帰った時はトイレのタンクから白い粉が入った袋をサルベージしている最中だった。
 もちろん圭士にはまったく覚えの無いものだったのだが、信じてもらえずに残りをどこにやったと詰め寄られる破目になったのである。
物騒な手段も辞さない雰囲気を悟って逃げ出したのだが、追っ手もしつこく、ふと気がついたら白い粉の運び人として警察にまで追われていた。
 着の身着のまま一文無しで、24時間誰にも捕まらずに逃げ回った自分は、かなり凄いと思う。
 何がどうしてこうなったのかは未だに判然としないのだが、どうも前日に家に来た友人が怪しい気がする。
 いや、いつの間にか隠されていた怪しい粉末に、押し込みから警察が動くタイミングまで考えると、絶対他にいないと断言できるのだが、如何せん証拠がない。
 友人の名前は思い出すと腹が立つので、仮称Kとしておくことにしよう。好きな苗字を当て嵌めていただきたい。
 どうして彼と仲が良くなったのかといえば、たまたま座った席が隣で、更に教養科目のクラスが一緒だったから、としか言えない。逆に言えば彼との接点なんてそれくらいで、他は普段の行動から付き合う友人の範囲まで、掠りもしない。
 一言で言うなら、面白みのない優等生と社交的な遊び人・・・断っておくが、前者が圭士である。(少なくとも世間の評価では)
 それでも彼がたまに圭士の家に出入りする程度の親しい付き合いが続いた理由はお互いの努力があるわけだが、努力の結果がコレなのだから随分な話だ。


「それじゃ圭ちゃん、お大事に」
「・・・・・・」
 圭士の「そう言えば」と「今思うと」と「多分」をやたらと多用した愚痴交じりの説明が終わると、環が両親に報告に行くために立ち上がり、続いて士郎が腰を上げた。
 もう一度寝ようかと思っていたら、1人残った春麻が膝立ちでにじり寄ってきた。
「ねえ、圭ちゃん」
 名前を読んだだけだが、明らかに詰問する口調だ。思わず背筋が伸びる。
「どうして、ここに逃げてこなかったの?」
 きっ! と睨みつけるが、大きな目(日本人にしては明るい琥珀色をしている)は潤んでいて、少し嫌な予感がした。
「それは・・・ちょっと考えたけど、さ」
 ここは魔法街。国家公務員だろうが裏社会の住人だろうが、他所から来るのは等しく闖入者であり、ほいほいと踏み込んだが最期、危ない目に遭うのは追っ手の方だ。
 逆に『こちら側』に身内がいる圭士にとって、これ以上安全な場所はないわけだが、それでもここに来なかった・・・来れなかったのは、交通費が無かったせいではない。
 世間様の掟を堂々と無視するからには、それなりの自律なるモノが必要なわけで、魔法街のルールは幾つかの暗黙の了解で成り立っている。
 その中の1つが、『他所のことには極力関わらない』こと。
 それから、『外にいるヒト(人間とは限らない)との個人的な連絡は最小限に』
 特別に罰則が決まっているわけではないが、結局は自分やご近所さん達の安全を守る為なので、皆なんとなく自重する。
「兄さんにもずっと連絡取ってなかったし。気軽に頼ったらまずいかと・・・」
「馬鹿!」
 胸倉を引っ掴まれた。そのまま揺す振る構えに入ったが、腹部にちらりと目をやって思い留まってくれたらしい。
「命が危ないのに・・・余計なこと考えて! それで死んじゃったらどうするのよ!?」
 声を張り上げると同時に、涙が落ちた。
「マキちゃんが・・・けーちゃんが死んじゃうって言い出して・・・早くしないとま、間に合わな・・・う、うぇぇぇ!」
「ご、ごめん! 本当に悪かった! 俺が悪かったから!!」
「ふうぇ・・・うぁぁぁぁ・・・・・・」
 春麻はベソベソと泣き続け、圭士のシャツを思う存分汚してからようやく顔を上げた。
「うえ、うぅぅ・・・」 (ずびずび。ちーん)
 上げたはいいが、収まっていない。真っ赤な顔で鼻をかんでいる。
 ・・・服につけられなかっただけ、良しとしよう。
「無事、で、良かった・・・ほんとに、心配、したんだから・・・・・・」
「だからゴメンって・・・」
 この繰り返しがしばらく続くため、一旦終了。


 さて、圭士を春麻に任せた(春麻の宥め役を圭士に押し付けた、とも言う)士郎と環は、そのまま里山薬局の玄関を出た。
「・・・・・・」
 士郎が視線で、『教えろ』と訴える。
 基本的に他所には関わらないのが原則とは言え、『やむを得ず関わった場合は最後まで責任を持つ』というルールも存在する。士郎に言わせれば、当然の権利を要求しているだけだ。
「はい、どーぞ」
 環も反対するつもりはないらしい。一瞬の迷いもなく渡された紙片には、電車で一時間ほどかかる場所の住所と、6人分の氏名が記されている。
「自宅で馬鹿騒ぎの真っ最中だから、早くても明日の昼まではここにいると思うよ。仮称Kって言うのは、こいつ」
 関係のないものを巻き込むのは気がひける。士郎は難しい顔になったが、即座に否定された。
「大丈夫。共犯者は2人だけど・・・他の3人も事情は知ってる。圭ちゃんのこと、肴にして盛り上がってるから」
 確認がてら『覗いた』拍子に、余計な雑音を拾ってしまったらしい。露骨に不快そうな顔が、環にしては珍しい。
「『弱いってことはそれだけで罪』なんだってさ・・・昨今のワカモノが言いそうな台詞だけど、20越えた人間の言葉としてどうなんだろうねえ?」
 吐き捨てると同時に、乱暴なしぐさで足元の地面を蹴り付ける。これまた、滅多に見られない行動だ。
 そう言えばコレはまだ中学生だったな、と今更のように気がついた士郎は、何となく背中をさすってやった。
「あいつ、圭ちゃんを嵌めたこと、自慢してた。馬鹿だって笑って・・・」
「言わせておけ」
 圭士が弱いと、だから何をされても仕方ないと言い張るのは自由だ。人類の歴史を顧みれば、それは真理の1つでもある。
 自分が弱者になった時に泣き言を言わなければ、それで良い。
「・・・行ってくる」
「行ってらっしゃい」


 歩調を乱さずに歩み去っていく背中に向けて、環は手を振った。
 士郎は仙道に入った者だから、怒りはしないし、憎みもしない。ただ、「許さない」と判断して、「ただでは済まさない」と決定するだけだ。
 多分その根底にあるのも情愛という妄執なのだろうが、環は指摘しなかった。
 圭士の元友人とやらがどうなろうと・・・例えば力加減を間違えた士郎に殺されようと構わない。この時は、本気でそう思っていたからだ。