現代人の法話 
〜 出来ないのではない、やらないのだ 〜

 最近の不透明な世相を反映してか、多くの人が仏教に関心を寄せ、マスコミでも「仏教書」ブームの感があります。しかしながら、そこでもてはやされるのは、仏教の外護者ともいうべき思想家や作家などであり、仏教界内部からの発信はきわめて少ないようです。それというのも企業体と同じく、いくら自社製品がよいと宣伝しても消費者はそれを額面通りに受け取れず、第三者の言動を信用したがるのかもしれません。
 あるいは仏教界の言動は、自らの血の滲むような体験もないのに、伝統がらみの教えを金科玉条に受け売りするだけの陳腐なものとして受け取られているのかもしれません。それに輪をかけて、仏教界内部の内紛や不祥事を見るにつけ、そんな教団や人物に魅力を感じないのは当然のことです。
 わが国では仏教が土着化して久しく、ことさら、言挙げする必要はないという意見もわからないわけではありませんが、いったい仏教徒といわれる国民のどれほどが「仏教者」として自覚し、その教えを熟知しているのでしょうか。仏教界では、それぞれが属する宗派の「わが仏のみ尊し」で、仏教という同一基盤に立たずタテ割りに分立しているようです。しかしながら一般国民にとっては、仏教徒であろうとなかろうと、そうした宗派意識は希薄です。にもかかわらず、従来、各宗派や仏教学会では、そうした受益者である国民の立場を無視して孤高を保ち、押しつけがましい訓古解釈に終始して来たきらいがあります。
 今日の世情は悪化の一途を辿り、モノ中心の俗界の指導者への不信感が募り、仏教に対する期待が高まっている折から、仏教界は一致団結して旧来の弊を打破し、相手の立場に立って教えを説くべき好機が到来しているのです。仏語に「自らまず信じて、人を信じせしむ」とあるように、自らの体験によってかちえた信念なくして、どうして人を信じさせることができましょう。



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