現代人の法話 
〜 正月〜心を正す月にあたり 〜

 

元旦の午前0時、当山では除夜の鐘つきと同時に、修正会(しゅしょうえ)という法要を営む。これは新しい年を迎えるにあたり、除夜の鐘で百八の煩悩を除き、阿弥陀さまの前で心を修正、すなわち心を正して、スタートを誓う意味がある。

誰もが自分は正しくありたいと願う。しかし、注意したいのは「正しい」というのは、自分の価値観だけではなく、仏さまの教えに沿ったものでなければならない。世の中はたくさんの人と人とが関係し合い生きている。それぞれがそれぞれの価値観を持って生きており、同じ事実でも、ある人には正しく、立場や考え方が違えば間違っていると感じる人もいる事を忘れてはいけない。自分は正しい、間違った事は何もしていないという思いが凝り固まってぶつかり合えば、意見の対立が多くなり、人間関係にも支障をきたす。私が正しいと主張する人達ばかりでは争いは絶えず、さらに争いが大きくなっていけば国家同士の戦争につながる事すらある。

これをアメリカの作家J.G.ホーランドは「自分こそ正しい、という考えが、あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。これほどばかげていて根拠のない考えはない。」と喝破し、かの聖徳太子は「人みな心あり、心おのおのに思う所あり。彼正しいと思う所を我は非と感ず。我正しいと思う所を彼は非と感ず。われ必ずしも聖人にあらず。彼必ずしも愚かにあらず。共にこれ凡夫のみ。(一七条憲法第十)」とお諭し下された。

視野を広く持って、お互いを認め合う、そんな正しさを目指して今年も精進していきたい。




Back