現代人の法話 
〜 私がお浄土を願う理由 〜

 

八月のお盆休み、久しぶりに故郷で過ごされた方も多いと思う。月が変ると九月、暑さもいくらかやわらぎ秋のお彼岸が近づいて来る。お盆はお浄土からご先祖様をはじめ先に逝かれた大切な方々をこの世にお迎えする行事であり、お彼岸は反対にこの世の私たちがお浄土を想い願い、仏道修行に精進する行事である。

では阿弥陀さまの極楽浄土とはどんな所だと思われますか?

浄土三部経の一つ『阿弥陀経』にはその様々な情景が記されている。極楽浄土の大地は黄金で出来ており、それを金と銀と瑠璃、水晶からなる七重の垣根、宝の網、並木が囲んでおり、中には美しい池があって様々な色の香りも清らかな蓮華が咲き誇っている。またその畔には七つの宝で飾られた楼閣が建ち、さわやかなそよ風が吹く中、常に素晴らしい音楽が奏でられ、時に曼陀羅の花が降り、様々な鳥が優雅な鳴き声でさえずる。そしてその音や鳴き声を聞いていると自然と仏道修行に専念出来るという。その中でも特に私が注目するのは、お浄土にいる方それぞれが美しい花をもって他のお浄土の仏様たちを供養され、時間となると元に戻って来ると書かれている部分である。

これはお浄土に往生すれば様々な場所へ行くことが出来る事を表していると私は思う。お浄土からご縁ある方の所へ行って見守る事が出来るのである。先般流行した歌『千の風になって』は、亡くなった方が千の風になって、この世に遺していった方を見守ることを謳ったもので、日本人の来世観、自然な感情にマッチした故に大ヒットとなった。浄土宗のお浄土も同様に、私たちがたとえ亡くなっても縁ある方々を見守りたいという日本人の切なる願いに全く合致したものである。

日本民俗学の創始者、柳田国男先生は「魂になってもなお生涯の地に留まるという想像は、自分も日本人であるがゆえに、私には至極楽しく感じられる。できるものならば、いつまでもこの国にいたい。そうして一つ文化のもう少し美しく開展し、一つの学問のもう少し世の中に寄与するようになることを、どこかささやかな丘の上からでも見守っていたいものだと思う。」と述べられた。

お念仏を称えお浄土に往生すればその願いは叶う。秋のお彼岸、私たちの願いを叶えてくださる阿弥陀さまのお慈悲を想い、心からお念仏を称えたい。




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