現代人の法話 
〜 「慈悲と智慧(ちえ)」 〜

 仏教は慈悲と智慧の宗教と言われます。慈悲とは人を思いやり利他(りた)の心をもって行動をする事、智慧とはこの世界の絶対的な真理を知る悟り≠ニも言え、同じ音の知恵=`物事を正しく知り、判断、行動をする〜の更に深い意味を持つ言葉です。
 お釈迦様、阿弥陀様など仏様はすべてこの慈悲と智慧を完成した存在です。お釈迦様は、ご自身の生きづらさ、鬱々(うつうつ)とした心の不安を克服するために厳しいご修行を積み重ね、ついに世界の絶対的な真理=智慧を獲得され、その教えを心の不安を抱え安らぎを求める人々に対し慈悲の心で教え弘められました。阿弥陀様は、すべての人々の苦悩を取り除くため、ご自身が長く厳しいご修行を積まれ智慧を得て極楽浄土を構えられ、そのご修行の功徳をすべてお念仏に込められて、お念仏を称えるすべての人々を必ず心安らかなるお浄土へと迎え取られる慈悲を結実(けつじつ)された仏様です。
 理論上は私達も修行し智慧を得れば仏となれるはずですが、混迷の鎌倉時代、法然上人はこの世で智慧を完成するのは困難と断(だん)じ、阿弥陀様の慈悲〜お念仏すれば必ず極楽浄土へと迎え取る〜を頼りに、ひたすら念仏行に励むようお勧め下さり、お浄土に至った後に仏となる事を証(あか)されました。
 現代は鎌倉時代と異なり、戦乱も大飢饉(ききん)も無く、平和で識字率(しきじりつ)も高く学識・研究も進んで、その気になって探せば、自由に様々な仏教書籍が入手でき、法話の会、講演会などにも参加できます。
 私の考えは、阿弥陀様を信じ、上人の『一枚起請文』にある様に智者(ちしゃ)のふるまいをせず、ただ一向にお念仏に励みつつ、たとえこの世で智慧を完成できなくとも、お釈迦様の遺(のこ)された優れた教えを学び続ける事が、この人生での心の安らかさ、豊かさにつながる大切な事であると思います。総大本山などでは定期的に法話の会が開催され、当山でも毎月の「仏教講話の会」や「花まつり講演会」「仏教耕心講演会」等もあります。共に学び、こころ安らかで豊かな境地(きょうち)を目指して参りたいと願います。



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