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回想する記憶  2, 1/2



   ♂


 面接最後の日は、恵比寿本社で執り行われた。
 押し迫るような希望と不安にまみれた就職活動を始めた頃とは違う、落ち着いた顔で私は面接官と対峙していた。
 新卒ではなく、中途採用として。しかも、前職が派遣社員という身分として、私はあらたな面接を繰り返していた。今日の会社に内定をもらうまで、私は数すくない面接の機会を落とされつづけ、だからこそ、きっと希望にみちた表情でもなく、どこか遠い眼差しをしていたはずだ。新卒だった頃のあの、希望に満ちた目をしてなければ、切望しているわけでもない。そんなもの、とうの昔に忘れた。そもそも、会社というものに、それほど期待も居場所も求めなくなった。だから、媚を売る眼差しなど、遥か彼方に私のなかでは風化してなくなってさえもいた。ただ、相手が私を探る眼差しを向ければ、私もその眼差しを探る。ただ、ひとつ、その日がいつもと違っていた点は、男が女装するのではなく、それの逆で女が男装する格好でいたことだった。
 あきれて、ものもいえないだろう。だからこそ、全てに対してなげやりになっていた私がなぜ中途採用されたのか、今でもわからない。ただある、思い出すことのできる断片化された記憶を手探りで思い返せば、面接は恵比寿本社のビルの8階で執り行われた。パーテーションで個別に区切られた私と面接官の一騎打ちだった。午前の筆記試験では、たぶん大敗だろう。もう、いい。それは、わかっている。もう、これ以上、ここに居る意味がないってことも。完璧に辟易とした心境のなか、面接に挑んだのだ。やる気がおきるほうがおかしい。なげやりに、とは多少語弊があるが、私はここに来るまでの行きの電車のなかで目を通したはずだった面接攻略本の中身を気のゆるみで、すっかり失念してしまっていた。正確にいえば、心のなかが、頭のなかが、身のはいらなくどこかふにゃりとした字体で即興で書き埋めつくしたはずの原稿用紙が、一瞬の気のゆるみで、まったくの白紙に戻っていた。そんな感じだった。どのみち、ダメだろう。疑念の思いは時間の経過とともに限りなく確信に近付いていった。また、明日から単調な作業が続く。それは絶対であり、限りなく現実味を匂わせていた。


「なぜ、派遣のお仕事を新卒で選ばれたんです?」
 白髪が数本まじった眼鏡をかけた生真面目そうな面接官の言葉に、私は視線だけはあわせてはいるものの、うわの空でかろうじて聞いていた。なぜ、新卒で派遣を選んだのか? 今までさんざん言われてきた言葉だった。派遣の作業をしていた頃も、再就職を試みて過去にいくつか受けてきた会社でも。
「・・・なぜでしょうね? 自分でも、よくわかりかねます。わからないからこうして転職活動をしているんでしょうね」
 そう、こんなことを言った私が今でも信じがたい。なぜ、こんなことをいったのか、本当にいまでは理解できないのだ。
 しまいには、「できれば、転職して、天職をみつけたいですね」などというオヤヂギャクを放つしまつであった。
 にっこりと笑みを返す私に、さすがの貫禄がある面接官も苦笑いを返してくれるほどだった。
 そんな問答をくりかえしているうちに、ようやく最後の質問が来た。

「では、最後の質問をよろしいでしょうか」
 いよいよ、このつらいだけの面接の時間が終わる。
 そう感じているのは私だけではないはずだ。私はゆっくりと安堵の溜息を心のなかでつく。
「西尾さんの前職が派遣社員ということですが、前職での経験をここでアピールしてください」

 そう、あの面接官は最後になってそんなことを質問してきた。
 毎度のこと、言葉につまりきった頃。言葉は思い浮かばない。
 右手を、首の後ろにもっていく。うなじあたりを2、3度さすり、上目遣いで、そして面接官をみる。一瞬ののち、そうして見てみる世界が、目の前の白髪のまじった生真面目そうな面接官が、どこか派遣先にいた先輩と重なってみえた。シャロン吉村・・・。ふと、なにげなく彼の眼差しを彷彿とさせた。面接官の眼差しは黒く、どこまでも深い漆黒に似ていた。かといって死んだ魚の目ではなく、その奥になにか獣じみた貫禄があった。シャロン吉村の目は藍色だ。なぜ、目の前の面接官の眼差しがシャロン吉村と重なったのか、いまになってさえも、その答えはみつからない。

「人を・・・」
 私は、そこで一瞬、言葉につまった。
 止まった時間が秒針で小さく刻まれる。面接官が繰り返す「人を?」
 白紙だったはずの原稿用紙にうっすらと文字が浮かびあがる。それは、一瞬にして。ごく、たまに。
 小説を書くようになってから、しごくたまにではあるがこういったことがたまにおきる。
 いままで考えもつきなかったこと。意図せずとも、なにも考えていないはずなのに、ふと心の奥から湧き上がる言葉。
 私は、そのとき、言葉が湧き上がる瞬間にたまたまいただけだった。

「私は、派遣の先輩に、人を認めることを教わりました」
 まったくもって、意味がわからなかった。それは、アピールとしての意味であり、なにをつたえようとしているかという私自身の意図としても。
「それは、どういったことでしょうか?」
 当然ながら、面接官は訊いてくる。そして私は湧き出る言葉に従うほかなかった。
「派遣の仕事ではたくさんの方々から御世話になりました。実をいうと、私は仕事があまりできませんでした。でも、そのとき、御世話になった方がたから相手を認めるからこそ、自分が認められると知りました。私は、・・・」
「もう、結構です」

 言葉は、そこで終わった。いや、途切れた。いや、遮られた。
「・・・もう、結構とは?」
 私は、答えがわかりきったことを再度、訊く。
「もう、これ以上、話されなくても結構と言ってるんです」
 あんまりだ、と思いつつも私は面接官に泣き付くわけにもいかず、面接官の言葉に従うほかなかった。
 なくなく帰る支度をする私に、面接官がなにかを口にしていたが、当然ながら私にはその言葉は届かなかった。
 これでまた、帰れば再帰的な日々の作業の繰り返しがまっている。そんなことを憂鬱に感じながら帰路を行く私に数日後、内定をもらえるとは考えもしなかった。再帰的な日々。決して悪くはなかった。正直言って、「悪くなかった」などと口にできるようならば誰も転職活動など面倒なことはしないだろう。私は、ハッキリという。あそこには、もう、二度と帰りたくない。だからこそ、「悪くなかった」などと言えるわけもない。だけれども、「全てが悪かった」とも言えるほど「決して悪くはなかった」のである。
 なんだろう、バイト以上の責任はあったのは確かだ(あたりまえだ)。それでも、結果として辞めてしまったのはやはり、「悪くなかった」といえるほど良くはないのは確かではある。経験は、なにをするにも肥しになる。そう言っていたのは、確か吉村の言葉だった。同時に、短期間でさまざまな経験を得られることが派遣で働く意義とまでいっていた。つらいとき、つらすぎるとき、人は目の前のことに没頭する。あの頃の私と吉村、そして派遣に従事していた同僚が、”奴隷"とまで言い張った仕事に係わる全ての人を、私は尊敬して止まない。それは、私があそこに戻りたくないと思えばのことだ。下層の下、そのまた下の土台で働く人達をみてきたからだ。一緒になって作業してきたからだ。だからこそ、私は、もう、あそこには、絶対に戻りたくない。できるなら、できるかぎり・・・。


   ♀


「肉体労働者をバカにするな」
 そう、そこが、シャロン吉村の良い所なのだが、私は途方に暮れていた。
 シャロン吉村は臆することがなかった。例え、相手が誰であろうと。
 吉村は言ったのだ。
 営業に。

 事の発端は単純すぎて疑う余地もない。悪いのは、たぶん、私だ。
 くたくたになった夜勤明け、私と吉村は同じ派遣会社に所属していたので、その日がたまたまの月末明けだったこともあり、出しそびれた出勤表を提出しに事務所まで足を運んだのだ。作業場を引継に任せ、作業服から着替え、工場の2階にある事務所へと足を運ぶ。週末だったこともあり、私と吉村はくたくただったのだ。本当に、くたくただったのだ。
 ドアノブをひねり、事務所へと足を踏み入れた先に椅子に行儀よく座り、パソコンの表計算かなにかで作業をしている営業のまるまった背がみえた。軽く挨拶をし、私と吉村は奥へとずらずらと入っていく。書きかけの出勤表を事務所の脇に備え付けられた予備の机について書きはじめる。そのとき、営業が私たちのことをみて、軽く冗談のつもりでいったのだろう。営業は言ってしまったのだ。


「ひっでー、顏してんな」
 私達はつかれていた。くたくた、だった。
 笑顔もつくれなかった。こんな下っ端の営業に愛想笑いを向けてやる気力すらなかった。
 だからシャロン吉村は切れてしまった。これ以上ない、単純明解な話だ。
「営業が、労働者をバカにするなんて最低にもほどがある。いま、すぐ、ここで謝れ」


 他の仕事ではしらないが、少なくとも派遣の仕事ではこんなことはあたりまえだった。
 営業が、現場の人間を笑う。そんなことは冗談でもあってはならないことであり、許されないことだった。派遣の営業では、早くて2、3週間で職を辞める人間がいるらしいが、現場では2、3日でも辞める(バックレる)人間がいる。それだけ、現場は割にあわない。ただでさえ、不条理がつきまとって胸糞悪いというのに。中間摂取とやらで、この営業に取り分をわたさなければいけないのだ。派遣の財産は、現場の人材あってこそだ。人材なくして、この業界はなりたたない。だからこそ、働いている人間を笑うことは罪以外のなにものでもない。でも、その日。その日だけは事情が違っていた。私が辞めることになっていたからだ。それが、いきなり急に。急にといっても1ヶ月前からいってはいたものの、どうにも引継がみつからなかったため、営業は不機嫌だったのだ。しかたなく、引継は他社の派遣社員から頼むことになったので、派遣先の仕事自体には影響がないのだが、派遣元の派遣会社としては、仕事はライバル会社にとられるは、人手が急にいなくなるわで苛ついていたのだろう。だから、この原因は私にある。正確には原因の起因ではあるけれど。


 それから数日後、私は派遣会社を去った。
 荷物をまとめて、辞める日がたまたまシフトが日曜日だったため、事務所には誰もいなかった。
 しかたなしに私は作業着から安全靴、支給されたノート、工場入退室用のIDカードなどをまとめ、中途半端に出勤した日を書き記した出勤表だけを事務所前に放置して帰った。誰もいない事務所のなか、営業の誰にも挨拶などできずに。それから数日後、体調をシフト勤務にあわせていたのを、日勤に戻すため、夜早めに寝つこうとしていたときに、シャロン吉村から携帯に電話がかかってきた。内容は、要はバックレたとのことだったが、私が東京に上京することをまえまえから知っていた吉村が、「実は、あの、おまえに頼まれて探してたマンション、俺も住む予定で大家さんに借りといたんだよね」などと言い出したのだ。たまったものではない。しかし、吉村も悪知恵がひどかった。「もうひとつ、あるんだけど、実は、おまえに渡したマンションの鍵、あれ、実は東京のマンションの鍵じゃなくて、俺ん家のアパートの合鍵なんだよね。今から、部屋さがすの面倒だろう?」


 などといってきたのである。
 以上が私と吉村がルームシェアすることになった経緯である。
 そもそもなぜ、吉村にアパート探しをたのんでいたのか。全てはそこが原因だった。吉村が昔、学生時代に安く今のマンションを借りていたと聞いて、時間も押し迫っていたので吉村に私から頼んだという、・・・これもまた、私が原因に起因する、自業自得というやつである。そして、現在、私は東京にいる。
東京の葛飾区亀有に。


   ♂


 自己嫌悪、自己憐憫、自業自得。
 私は吉村のこと、転職の試験の頃を思い返していた。
 東京の、とくに地下鉄の風はなまぬるい。そもそも、地下鉄に風など吹くことすらしらなかった。
 東京へと上京し、私はめでたく派遣を脱出した。だが、結局、あの日、あの白髪が数本まじる眼鏡をかけた面接官のおかげで私は前職を去り、上京することができた。IT企業に入ったのが良いのか、悪いのか、私は2ヶ月の研修ののちに、出向を数社まわされることになっている。そういう契約の元、入社した。「実務経験がないのだから、あたりまえか・・・」そして今夜もまた、ひとりごとをつぶやいていた。「もう、新卒じゃないしな」なんてことも。


 研修はほぼ、終了していた。
 帰りの地下鉄で千代田線に乗った私は終点が亀有でなく、ひとつ手前の綾瀬だとも気付かずに降ろされた。
 緑色をしたベンチに座り、電車を待つ。5分としないうちに次の電車が到着した。
 満員だった。

 次の電車を待つ。・・・満員だった。
 2つ、電車を見送った。次に見送ったら、見送り3振だ。なんて、バカなことを考える。
 夜が深さを増していた。青い文字盤の腕時計をみると、22時を軽く過ぎていた。
 夕飯は、・・・まだ、食べていない。

 お腹の空き具合もすでに麻痺していた。
 それでも、地下鉄から外にでた綾瀬の外からの風は心地よかった。
 腹の空き具合も、なにも、食べていないのにおちつきつつある。
 次の電車の時刻は、37分。電光掲示板を見上げる。
 吉村は今頃、なにをしているだろう。考え直してみれば、私は吉村に助けてもらいっぱなしである。
 仕事の先輩として、面接の練習相手として、アパートの仲介人として、・・・小説の先輩として、はあえて省かせてもらう。
 なにがともあれ、随分と御世話になっていた。なにが、いいだろうか、と考える。
 財布を取り出し、なかを確認する。結論的にいえば、今日もオリジン弁当の“のり弁”でいいかという結論にたっした。

 頬をなまぬるい風がぬける。
 夏が近付いている。ふと、そんなことを思う。
 風は、地下鉄を抜けた外もなまぬるく、頬をなでる。
 白河の湿気を含まないそれとは大分、違っていた。

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