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回想する記憶  2, 2/2



 ♀


 実をいうと、東京へと上京した後、シャロン吉村には黙っていたことがひとつ、あった。
「ニシオさ、俺、まえまえから、不思議に思っていたことがあるんだ」
 私がそのことを打ち明けようとしていた日、シャロン吉村は私を遮りこんな言葉を吐いた。
「東京に上京できる奴等は、みんな頭が良くて容姿端麗な奴等だけが行けるものだと思い込んでいたよ」

 そうして、吉村は私を見た。
 その様子が私を窺い見るような、いや、盗み見るような眼差しなので私は、あわてた。
 次に、吉村の眼差しはあきらかに私を試すような眼差しに変わった。


 そんなことがあってからか、私は彼に本当のことをまだ打ち明けてはいない。
 彼に、本当のことを打ち明ければ、また、あの、試すような眼差しを向けられるかもしれないからだ。
 吉村にとっては、その程度の覚悟ぐらいもっているのだろう、と問いているつもりなのだろう。正直言って吉村の性格は良いほうではない。彼と会う最初の頃は私もその、”なよなよっと"した童顔、低身長、金髪、色白、藍色の瞳に乙女ちっくなギャップを憶えたりもしたが、彼は少なくともいい奴であることには変わりなかった。
 周りの同僚が言うように、確かに乱雑であり、多少(おおいに疑問点あり)御世辞を言えないあたりは否めないが、彼はいい奴である。私は、いま、ここで保証する。彼は性格は悪いが根はいい奴だ。
 でも、それとこれとは別の話でもある。

「のり弁、買ってきてあげたよ」
「いらない。よけいなおせっかいはごめんこうむる」
 ただいま。の次に3秒でこの顛末である。
 私は、正直すぎるほどの吉村になれてはいるが、他の人が聞いたらどうだろうか。
 やはり、ここは怒るだろうか。

「吉村、いらないにも、ちゃんとした断りかたがある」
「いらんちゃい」
 私は、言葉に詰まる。吉村が私を見て、やはり、返事を問うような眼差しで待ち構える。
「その目つき、止めたほうがいいと思うよ」
 上着を脱ぎ、ネクタイを緩めながら、私は説いた。
 まあ、これでなおすほど、ものわかりのいい子ではないのは承知のうえで。
「ニシオ、今日はどうだった、仕事。俺は暇で暇で死にそうだったよ」
 そういって、私が買ってきた2つあるうちのひとつの、のり弁をオリジンのビニール袋からとりだし、さっそく割箸をふたつに割く吉村がいた。
「・・・いらないっていったのに」
 そう言うと、吉村は私を真正面からみていった。
「前言撤回。ありがたく、いただきます!!」
 吉村のこういうふざけたところが逆に憎めないところでもあった。
 私は着替え、ポットからお茶の準備をしているあいだも、吉村はただ、なにもせずにいた。
 役割分担など、なにひとつ決まってはいない。ただ、私がそうしたいから、そうするだけだった。
 吉村のぶんの湯飲み茶碗を置いてテーブルにつくと、私はあらためて、吉村に言った。
「はやく、次の仕事、見付けないとね。このままじゃ、吉村、私のヒモだよ」
「いいじゃん、ヒモ。先進的で、健全的で、それでいて衛生的でもある。なんなら、俺、主夫になるよ」

 などと、わけのわからないことをいう。
 くだらない話はどこまでも続く。吉村といれば絶えないとさえ思える。
 溜息をつくとしあわせが逃げていくというのに、私は知らず知らずのうちに溜息をついていた。それでも、不思議に私はしあわせだった。吉村と、そして、こんな日々が変わらずにつづいてほしいと思った。


   ;回想する記憶


 私の心にはもう、なにも失いたくないと怖れいている自負がある。
『なにかを得るときは、なにかを失うときだ』
 よしもとばなな:著の「TUGUMI」のつぐみがいった言葉だ。
 ふと、思う。人は得るから、失うのか、失うから、得るのか。
 私は確かに、再就職に受かり、派遣の日常を捨て、東京へと上京した。
 でも、私が転職することに至ったのは、派遣の日常を捨てようと思ってのことだった。私は派遣の日々を通して、なにかを失っていたのかもしれない。だから、なにかを得たのではないか。不思議とそう思えてならなかった。人は、なにかを失って、なにかを得る。失うのが先で、得るのが後。それは、期待していたほどの希望を失うことであり、理想を失うことであり、そして、なによりも、思い描いていた夢ではないのか。派遣をしていた2年間。なにかと私はつらい思いをしていた。他人がいう、『私は、苦労しました』などという自伝ほどつまらないものはないが、私は確かにそんなつまらない自伝に匹敵するぐらいつまらない経験をしてきたのかもしれない。それは、自分がやりたかったことをやっているのではないということ、そして、専門学生のときにとった基本情報技術者資格をこれほど重たいと思った時期もなかった。営業は、あたりさわりのない言葉を羅列し、自分は自分で過去に取得した国家資格に圧し潰されそうになる。「なぜ、国家資格をとった私が、こんな単純作業をしなければならないのか」「私はいったいなんのためにこの資格をとったのか」「いまから、勉強しなおして、本当に希望する職に就けるのか」「いまさら、やりなおせるとでもいうのだろうか」


 全ては自己責任という4文字に回帰し、答えなどでるわけがなかった。
 ある日、私は、ネットで転職に成功したエンジニアの経験談を検索してみた。彼を採用した面接管はこういった。
「資格なんて、意味がない。求められるのは実務経験で、それ以上でも、それ以下でもない。一番、いけないのは、資格をもっているからという中途半端な知識と自負心」
 まったくもって、正しいと思う。でも、そんなことを言ってしまっては、学歴、資格は無意味になってしまう。人が、学歴を積むのは差別化をはかるためだ。資格をとることだって、同義である。学歴、資格は関係ないという人間に、私は問いたい。それでは、なぜ、私たちは大学やら専門学校に通っていたのかと。そして、なぜ、資格をとるためにあの頃、必死になってがんばっていたのかと。積み重ねた、努力を無駄な努力だといいたげな画面の言葉に私はあからさまに反感を持て余していた。


 私は、差別化させるために取得に向けてがんばったのだ。
 過去の私との差別化として。そして他人からも差別化させるために、誰だってがんばっている。
 私は過去、2回落ちて、3回目でやっと基本情報に受かった。
 受かったとき、私はその頃まで抱いたどんなことよりもうれしかった。
 やっと、いままでの苦難が認められた気がしたのだ。
 苦労して取得した。それを、そんな簡単に一蹴しなくてもいいはずではないか。
 でも、いくら言っても、言葉では越えられない壁があることだって私にもわかっていた。
 だから、言わない。誰にも。私自身にも言わなかった。
「中途半端な知識と自尊心」まさに、その通りだった。
 私には、中途半端な見栄と自尊心と自己愛があったからだ。
 だから、私はできるだけ傷つかずすむようになにも反感の声を荒げずにしていた。
 それが、一番、傷つかずにすむことだと、勘違いをしていた。


「にー・しー・おー・せー・つー・なー」
 唐突に間延びした吉村の声がした。
「起きろ!! 朝だぞ、遅刻するぞ!!」
 できるなら、もう少しやさしく起こしてほしい。
 そして、できるなら、もう少し寝かせてほしい。
 そんな甘い考えを漏らすなか、吉村はフライパンとフライ返しをもってきて、いよいよ本格的になってきたので私も起きないわけにはいかない。まるで、テレビドラマかなんかの一場面かのようだった。顏を洗い、鏡をのぞき、食卓へとたどり着く頃には、テーブルに目玉焼きとごはんとみそ汁が皿や器に盛られて配置されていた。私が目覚めてから、5分のうちにつくれるわけがないので、吉村がつくってくれたのだろうことは薄ぼんやりとわかる。金髪、童顔のエプロン着用の吉村をみていれば、なんだかNHK教育テレビでやっているアメリカのホームドラマそのままだ。


「やあ、キャサリン。おはよう」
 なんてことも、いいたくなってくるもんだ。
「なに、いってんだよ、ニシオ。さっさと飯くって、俺のために働いてくれ」
 吉村が朝ごはんをつくる意義はそこにある。それ以外にあるわけがない。
 なにいってんだよ、はあんただよ。私はほどよくあたたかいみそ汁をすすり、そう思った。


   ♀


 吉村には黙っていたことがあるといったよね。
 私が、吉村に黙っていたこと。それには、ふたつある。
 まず、一つ目は、私はやはり、技術者といえど、技術者派遣という前職と同種の仕事についていること。
 そして、もうひとつめは、私の男装が、そっこうでバレてしまったということ。
 ぎゅうぎゅうにおしこまれる早朝ラッシュの様は、まるで、奴隷を集積所まで運ぶトロッコである。
 今日もいちにち、がんばらなければならない。それは、おいしいみそ汁をすするたのしみであり、おいしい目玉焼きや、ごはんをたべるためだけれども、なによりも、こうしていることしか、私にはないからでもある。仕事以外、つまりは、なにもすることも、がんばるべきこともないのだ。そこまで、思い行き着いたあとで、ハッとなる。小説のことをすっかり失念していた。

 いい、小説を書こう。
 ぎゅうぎゅうにおしこまれたトロッコ内の壁が閉まる。
 発車のアラームが響く。そして、人をつめこんだ列車はどこかへ向かう。
 きっと、ガス室に送られて、弱ったところをシュレッターにかけ、人体の油の部分を抽出し、石鹸にして売るのだ。などと、阿呆なことは金輪際、言わないことにする。吉村にでもバレたら、また、あの眼差しを向けられるかもしれないからだ。小説執筆もままならないこと請け負いである。
 兎にも角にも私のつとめはこれからはじまるわけだ。

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