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上京物語  3, 1/4



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 福島から東京へと上京する日、私と吉村は新幹線の相席に座り、私は不安に窓の外をながめ、通路側の吉村は私の隣でなんの緊張感もなく寝ていた。東京へと上京してきた若者の多くは地方出身者がほとんどだそうだ。めくるめく、窓からみえる景色をながめながら、私はぼんやりと、そんなことを思い返していた。目の前に広がるのは、広大な田園風景だった。平地であり、なお、かつ、どこにでもある普段からみなれた風景でもある。私は、幼い頃、麦稈帽子をかぶり、よく、近くの田んぼでカエルやら、おたまじゃくしをつかまえにいっていた。水をひいた田んぼは、泥の香りが湿気とともにむしかえり、熱気がみちていた。泥の香りは臭く感じなかった。湿気も、平地に流れるように吹く風のおかげで、それほど気にもならず、逆に学校のグラウンドのような乾ききった空気よりは心地よかった。祖父がいて、祖母がいて、おじいちゃん、おばあちゃんと呼んでいた。父と母は、共働きで、たまに早く帰ってきては、ビールをのみつつ、祖父と祖母に農家一筋ではやはり、喰ってはいけないとよくぼやいていた。母は近くのスーパーにパートに、父は運送会社に勤めていた。いつも、私のあいてをしてくれるのは、祖父と祖母だけだった。東京へと上京するとつげたとき、一番に心配してくれたのは、祖父と祖母であり、父と母は地元で派遣の製造正社員を続けるよりよっぽどましだと応援してくれた。あれから、数ヶ月が経った頃。

 祖父も祖母も元気だと、電話口で話し、父と母も、あいかわらず日々の生活を継続しているそうだ。
 変わらない風景。変わらない生活。地元にいた頃、私は専門学校に通っていた。父と母はその後、私が就職先がみつからず、派遣会社へと就職することに反対し、だけれども、祖父と祖母だけは、なにも言わず、わらって『しかたない』といってくれた。
 結局は、辞めてしまった仕事。しょせんはいくらがんばったところでながく続けられるとは、私も思ってはいなかった。
 父と母は辞めて転職する私を応援し、祖父と祖母は心配した。市役所で地元を離れる転出届けをもらい、いよいよという日になって、私は変に寝つけなくなっていた。深夜、私は、自分の部屋にしまいこんだ、卒業アルバムをとりだしていた。中学の頃でもなく、高校の頃でもなく、私は、専門学校時代のアルバムを自然と広げていた。専門学生として、2年間在学し、私はいくつかの資格と、基本情報技術者資格という国家資格を取得した。卒業式間際のイベント。卒業生だけで催した、バーベキュー親睦会の写真。私の横で笑っている彼が写っているページに私はアルバムをめくり、彼を思い返した。


   ♀


 私がはじめて彼を意識したのは、私が最初の基本情報技術者試験を受け、落ちたことを知らされた日だった。
 その頃、彼は私たちと同い歳で、そして、その年、彼だけが私たちの専門学校でソフトウェア開発技術者資格を取得した、たったひとりの生徒だった。なにも、名前を伏せることもないので、彼の本名をここに記することにする。彼の名前は、神谷好美。彼は、高校2年で既に基本情報技術者資格を取得していてその年はソフトウェア開発技術者資格を受検したそうだ。文武両道だったかは定かではないが、彼は容姿端麗であり、低スペックの私の頭脳でも、彼がもてていたことは容易に想像ができた。もっとも、私個人の主観的な想像にすぎなかったが、もてていただろうということが想像に留まるのは、電子情報処理科の専門学校に女子が少ないからという理由もあった。1年の秋、私は彼にはじめて声をかけた。

「すごいよね、神谷さん。ソフトウェア技術者資格なんてとるなんて」
 彼は一瞬、頬をゆるませ、なにげないお世辞を返す、ハズだった。
 少なくても、私はそうするだろうと思っていた。
「そうかな・・・。そんなこと、ないとおもうけどな」
 頬をひきつらせるかのようななれない表情で彼はいった。
 私は戸惑った。既に、私の手の届かないものを彼は手にしているというのに、彼には、まったく、その主張すらなかった。
 さらには、自分にそぐわないものを得てしていることへの恥じらいにも感じられた。
 私には、わからなかった。彼の真意が。そして、それがきっかけで、私と神谷はよく、話をするようになっていった。

 2年の夏。
 私と神谷は、そして、1年からのあの秋の日からの関係は一定のバランスをたもって、続いていた。
 卒業というものを遠くわすれかけていた。それほどまでに、平淡としていたが、好きなことだけを勉強できた日々だった。
 私は2年の春も基本情報資格をとりそこねた。1年の秋、あの日もとりそこねていた。チャンスは、今年の秋しかなくなった。

「私って才能ないのかな?」
 なんて、ことを、平然と神谷のまえで相談できた私がいた。
「大丈夫だよ。西尾、あんなにがんばってたじゃん」
 いまとなっては、そんななにげないことに喜びを見出す私に感嘆さえできる。
 二十歳を迎え成人式をすませ、なにもかもが希望というものに、あふれていた。
 夢、希望、夢、希望・・・。花占いするかのようなそんな馬鹿げた日々。ハズレなどあるはずがない。
 全てがきっと、うまくいく。なんの根拠もなく、そう、信じて疑わなかった。
 あの頃、資格取得の勉強と、神谷と、それ以外はさほどなにもない日々だったが、たのしかった。
 薄ぼんやりとなった炎天下の夏。私と神谷はなにもなかったが、そこにいた。
 そして、私と、神谷は白河の南湖という、やけにおおきな公園をあるいていた。
 湖を一周するのにゆっくりあるいても三十分はかかる。大きな湖だ。
 そのほとりには、白鳥と鴨がいる。湖のまんなかあたりには、変な島が浮かんでいる。
 オレンジ色の丸いブイが波に揺れている。・・・風だ、風のせいだ。
 波などたつはずがないものなのに、湖には、不思議と海のような規則的な波があった。
 水は黒みを帯びた青で、黒みを帯びていながらも腹がたつほど透明で、それでも底がみえない。
 足元には白い玉砂利がひろがり、横を見れば、木々が等間隔で葉を太陽に焦がしていた。
 そして、遠くを見れば、山があった。すぐ奥へと進めば、神社の境内と軽食屋が軒をだしている。
 東京ではめったにみられない、なにかがここにはあった。決して自由ではない。
 でも、不自由とは縁のない、ゆっくりと、そして照りつける太陽さえ、味方にできる自然の魅力がつまっていた。
 私は、あまりにも、気持ちがよくて、太陽のきらめく湖の光に目をほそめていた。
 全てがうまくいく。そう、信じて疑わなかった。

「俺さぁ、東京へいくよ」

 2年の夏。
 その日、私は初めて気づかされた。
 このきらめきが、もう、2度と手に入らないということを。
 そして、半年後、私は奇跡的に基本情報技術者資格を手にし、彼は上京した。


   ♂


 ぽつぽつと、その日は雨からはじまった。
「ありえないことだと思わないかい? ニシオくん」
「・・・はぁ」
「ハァ、じゃないよ、ニシオ」
 目の前にいる人物がいったいだれなのか、私は考えを巡らすことにした。
 金髪、藍色の瞳。背丈は私と同等か、ちょっと少なめの程度。そして、なぜか私より乙女ちっくっぽく見える。
「まったく、6月だというのに、なんなんだ、この梅雨は」
「・・・6月だから梅雨なんですけど」
「揚げ足をとらない」
「へーい」

 そうか、思い出した。
 私は東京都葛飾区亀有に住んでいたのだ。
 そして、ここは、どこぞの306号室。
 そして、どこぞの時空と場所をこえて走って移動できる少女とはわけが違うのだ。
 私はいたって、普通であり、純文学が好きであり、これでもいっぱしのプログラマーなのである。

「いっぱしは、余計だよ。半端で十分、ニシオ」
「はぁ・・・、ってなんでつっこんでんの」
「独り言。ニシオの。またですよ。悪い癖なんだから」
「はぁ・・・。ってあんた、それしか語彙がないんですか、ってな目してんね、・・・えーと、・・・」
「シャロン吉村」
「へ?」
「いや、なんか、いま、なまえ忘れました。みたいな?」 
 疑心の眼差しを向けるささくれ不良中学生、吉村に私は慈愛のこもった微笑みで言ってやった。
「・・・そんなこと、ないだろ、シャロン吉村」

 東京へと上京して、はや数ヶ月。
 彼とまさかの再開をはたしてしまったとは、吉村には、いまだに言えるわけがなかった。
 そして、もう一度、あの頃に出会い小説家を目指すきっかけにもなった文庫本を再読することになろうとは、当の私にも思いつかなかった。

「ときに、ニシオ。今朝は寝言であんなことや、こんなことをいっていたが、どうなんだね?」
「え?、寝言って?」
「・・・カミヤ、・・・ヨシミ」
 神谷好美。彼は、私の目標だったはずの人であり、東京へと上京した彼を、いつか同じく上京した私が偶然にも見つけ再会してみたいと思っていた人でもある。専門学生の頃に抱いた淡い感情は恋心だったのだろうか、と思い返すと、決してそうでもなかったような気がする。夢中になったわけではない。私は彼といっしょにいれば、それなりにたのしかったし、変な気をつかうこともなかった。思い返す思い出は、ただ、そうつげている。

「昔の友達」
 私が吉村にそうつげると、吉村はそれ以上、言及しない。
 吉村がそれ以上、興味がないのだろうか。
 それ以上、なにもないのだろうか。

 吉村は、ただ、ベランダにある、洗濯機から、6月の梅雨が、脇をかすめる外で、カゴに脱水済みの洗濯物をつめていく。
 もちろん、そのなかには、私の下着だってあった。無論、吉村のもだ。会社へと着ていく、男物のシャツ。吉村のトランクス。おかまいなしに、吉村は、カゴへとつめていく。呆然とその様をながめる。ここしばらくは家事は吉村が担当していた。仕事をまだ、みつけてはいないのだ。肉体労働が全てではない。派遣が全てではない。なにか、私には、目指すものがあるはずだった。今、やらなければ、できないことがあった。派遣を辞めて正解だった。でも、それでも、私たちは、いつこの場所を離れるとも限らない。離れてしまえば、もう一度、肉体労働の奴隷のような無機質な日々に帰らなければならない。土曜の昼間だというのに、空は暗く、雲に満ちていた。曇天である。

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