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上京物語  3, 2/4



   ♀


 マンションから、下りて3分もしないところに、コインランドリーがある。
 吉村ひとりで大丈夫といっていたが、カゴをひとりでかかえ、傘をさすなんて、わざわざしなくてもいいだろう。
 私が傘をさし、吉村がカゴをもった。ひとつの傘に私と吉村が納まるよう、先日かった、茶色で大きめの傘をもっていった。
 玄関口に下り、そして、傘をさす。おもわくどおり、傘は私と、吉村をすっぽりと納めてなおかつ、少々の余裕があまった。もともと、私と、吉村も、どちらも小柄な体格なのだ。年中無休。24時間営業。TBPチェーン、コインランドリー。亀有店。青いテント屋根に、白いペンキでそうかかれてある薄暗く、灯りがともっていないコインランドリー。店の外には、缶コーヒーなどの自販機。洗濯物7kg300円、9kg400円。乾燥機は10分で100円だ。ランドリーのなかには、乾燥済みの衣服をつめる若い男がひとりいた。ガラス戸を隔てて、傘をさした私たちと目線が自然とあうと、洗濯物を詰め終わった彼が、私たちのみていた戸の脇から、ビニール傘をさして通り過ぎていった。彼は洗濯物をカゴではなく、ショルダーバックに詰めて持ち帰っていった。なるほど、これなら、ひとりでも傘をさしつつ、コインランドリーにいける。男は、私のそんなたわいもないことも気にせず、無言で雨のなか、通り過ぎていった。男の通り過ぎていったあとに、中へと入っていく。誰もいない。吉村がカゴを抱え先に入り、私は傘をおりたたみ、雨露を払う。

「いまの男にさぁ、ちょっと悪いことしたかな」
 奥にいる、吉村から声がした。
「え? なんで?」
 私が不思議に思い、返事を返すと、
「・・・いや、なんとなく」
 とだけ、吉村から声が聞こえた。
 雨の日だというのに、乾燥機はいまさっき立ち去った男しか利用していないようだった。
 ドラム式の乾燥機に、吉村が湿った衣服をつめる。
 財布を開いた格好で、吉村の動作が止まった。
「ジュース、なにか飲む? ニシオ」
 缶コーヒーとだけ告げ、吉村が私から傘を受け取ると、ひとり、外の自販機で買ってきてくれた。
 2つの缶コーヒーを抱え、一本を私に、そして、またも雨露に濡れた傘を私にくれた。
 私は再度、雨露に濡れた傘をおりたたむ。おりたたみ、雨露を払いおわっているころには、乾燥機はごうごうと回転をはじめていた。
「吉村ありがとう、缶コーヒーいただくよ」
 ランドリーにある背もたれがないパイプ椅子に座る吉村に礼を言い、缶コーヒーのプルタブを引く。最初のひとくちを口に含む。甘ったるく冷たいコーヒーだ。いつもの変わらない味に安心する。東京にいようと、田舎にいようと、昔飲んだ缶コーヒーでさえ、この味は変わらない。なぜか、こんなささいなことでさえ、変わらないものが愛おしくなる。もしも、この場に吉村がいなかったら。きっとこの缶コーヒーも、もっと別の想いにさせてくれたはずだ。
 ひとり、だったら。もし、私がひとりで上京して、ひとりでこのコインランドリーにいたのなら。
 私は、今頃、どうしていただろうか。


   ♂


 東京へと上京し、再度、あの白髪が数本まじった眼鏡をかけた生真面目そうな面接官と面会した日。彼は、私にいった。
「入社おめでとう。人事の内藤です。今日から、あらためて宜しくお願いします」
 私には、腑に落ちないことがあった。なぜ、私があんなヘタな面接で受かるのか。
 なぜ、この内藤という面接官は、私なんかを採用するのか。それでも、私は社会人として、当然のことのように挨拶を返す。そして、社会人だからこそ、訊けずにいることだってある。本音を押し隠し、平然とした表情でハキハキと明瞭に言葉を返す。当然、訊けるハズもないのだ。なぜなら、これが求められる社会人だからだ。社会人になってしまえば、その環境に適応していようが、適応してなかろうが、相手が求めていることの一歩先までを含め、相手の求める想像以上のことをこなさなければならない。余計なことは喋るな。必要なことだけを喋れ。ここでいう、必要なこととは、相手が求めている言葉であり、それ以上の言葉も含んでいる。だからこそ、私はまだまだ社会人失格なのかもしれない。挨拶を終えると、内藤さんと、私のあいだには実に気まずい沈黙しか漂ってはいなかったのだから。

「あ、あの、内藤さん」
「はい」
「その、あの、・・・今日は実にいい天気ですね?」
「はい、そうですね。でも、今日は午後から曇る予報でしたよ」
「あの、その、・・・オフィスって以外に綺麗ですね?」
「はい、ビルの管理者が清掃員をやとっているので、常に清潔です」

 墓穴連呼。
 あたりまえのようだが、やり方を知っていても、心得を知っていても、実際にそれを実行するとなると、難しい。
 どんな簡単な仕事でも、どんなキツイ仕事でも、継続しなければわからないことがあるとおなじように。私に必要なのは、社会人としての会話の経験値であり、また、それだけじゃない。全てのことに通じること。続けることだ。あきらめちゃいけない。あきらめてはいけない。終わらせてはならない。終わらないように続けなければいけない。派遣の仕事を辞め、上京したての頃の私は常にそんな危機感をいだいていた。それは、専門学校で感じていたことにも似ている。例えば、ここで、失敗してしまえば、私の人生はおわりだと常々思いつづけていたのだから。テストで答が頭に思い浮かばないとき。試験でなにも答がでないとき。全てが終わったと感じていた。そんな、不器用で、でも純粋で、まっすぐだった頃。

「そうですよね。やだな、あたりまえのことを訊いて、・・・恥ずかしい」

 内藤さんに、そういって笑えている私がいた。
 派遣の仕事が教えてくれたのだ。それを、上京して数日後になって気付いた。たとえ、失敗し終わったとしても、別の道など数限りなく存在する。だから、夢が破れたから、別に死ぬわけでもない。仕事でミスをして損を出しても、殺されるわけがない。派遣の仕事をしていなければ、わからないこと。わからないことだった。目指した業界の経験はないけれど、派遣の頃の経験が私を落ち着かせてくれた。

 派遣の経験が全て実を結んだというわけじゃないけど、まったく無意味だったということはない。
 東京へと上京し、再度、内藤さんと面会した日。そして、彼は私に言った。

「ところで、西尾さん。つかぬことをお伺いしますが、あなた女性ですよね?」


   ♀


 雨がポツポツとコインランドリーの青い軒先にはじける音がする。
 あれから、数ヶ月。私は研修を終えた。
「ニシオ、会社じゃ今、なにしてるの?」
 雨音に吉村の声がしっとりと響く。私は今現在やっている仕事を話した。
「ウェブシステムを使った、物流管理システムのテスター。エクセルのテスト仕様書から、エビデンスを貼り付けて、結果を書き込むの」
 私が、適所に専門用語を織りまぜて話すこと。そして、それは、吉村には理解していないことでもある。
 へー、あー、そー。としか返事が返ってこないときだってある。それなのに、なぜ、私は専門用語など、使っているのだろう。
 私は吉村に、吉村は私に、なにを求めているのだろう。なぜ、ルームシェアなど、しているのだろう。
 ときどき、疑問に思う。私も吉村も、なぜ、一緒にいるのだろう。
「ニシオの言うことはあんまりよくわからないけどさ、ニシオがたのしければ、俺はそれでいいよ」
 雨がポツポツと降っていた。今日ですでに、半年目になる。
「俺は雨が嫌いだ」
 雨音にまじり聞こえてくる。
「そうかな。私は、雨は嫌いじゃないけどな」
 飲み干した缶コーヒーを手に、吉村が言葉を返す。
「えー、なんで? じめじめしてて、どんよりしてて、いいことなんてなにもないのに?」
「じめじめしてて、どんよりしてて、いいことなんてなにもないから、いいんじゃない」
「ニシオの言葉は理解にくるしみますね」
「できるだけ、雲があついほうがいい。できるだけ、昼間だというのに、暗いほうがいい。できるだけ、雨風が強いほうがいい」
「最悪ぅー」
 そうすればきっと、そう感じる人で平等になるから。
 私は言わなくていい言葉は飲み込む。必要最低限に抑えたい。
 吉村の声。はじける雨音。曇天に光のない空。

 私は私で、吉村は吉村で。
 平等なんて、どうしてもなれっこないのに、曇天の日は心が安心する。
「マイナスイオンがたっくさんでるから。だから、雨の日はサイコーです」
 曇天を見上げていた私は、吉村の曇った表情を見て笑う。

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