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上京物語  3, 3/4



   ♀

 人の一生なんてあっというまにすぎてしまう。
 とくに二十歳をすぎた頃。とくに、学生時代をすぎた頃。
 馬鹿みたいに同じことの繰り返しだと思っていた。馬鹿みたいに日々は変わらないものだと思っていた。
 専門学校を卒業してから、派遣にはいり、日々はさらに変わらなくなった。
 ベルトコンベアにながれる製品をひとつづつ単調に組み立てる。また違う日は単純な検査をする。
 一生がこのまま単調にながれるベルトコンベアのようになるんじゃないかと本気で思ったりもした。
「こんな仕事、つまらないだろ?」

 そんなことを、となりで検査する、私の父とおなじぐらいのおじさんに言われたこともある。
 歳はおじさんのほうが一世代も違うというのに、現場では、私のほうが先輩だった。
 派遣ではよくあることだった。例えば、地方で農作業や漁業をやっている人が多い。
 季節柄、どうしても仕事に空きができてしまう人などは、短期間の派遣で、その期間分の生活費を稼ぐそうだ。
 そんな人から見れば、派遣はとても効率的で、とても都合のいい仕事なんだろう。
 だけど、私には、これ以外の仕事なんてないのだ。

「一生、続ける気なんてありませんから」
 目線は常に検査対象が出力される画面をみていた。
 映し出される映像は真夜中の放送終了後のテレビに流れるはずのカラーコード。そして、足元に備え付けられたビデオデッキから流れるサンプルの映像だけだった。水着の美女と、ハワイらしき南国の砂浜。それが交互にカラーコードをはさみ映し出される。当時、名の知れた家電メーカーのテレビチューナーの検査をしていた頃の話だ。基板むきだしの状態で一枚ずつ検査をしていた。半導体と電子チップがハンダごてされて溶接された基板を電ドラで金属の金具を取り付け、チューナーをひとつひとつ手でねじこんだ基板がとめどなく流れてくる。それを一枚一枚、人の手で検査していく。一枚ながれてくるごとに、検査機の台にセットし、左右の音源入力、映像入力端子にケーブルを差し込み、スタートボタンを押すだけ。検査機の出力コネクタを通し、データが目の前の液晶画面に出力されるわけだ。それを、機械化が進む現在において、一見して非効率的だが一枚一枚人の手でこなす。一年に何度もモデルチェンジが行われる家電では、いちいち機械化するより、人の手でやってしまったほうがはやく市場にだせるし、経済的にも何千万とする機械をいちいち買うよりかはマシだそうだ。

 実に馬鹿馬鹿しい話ではあるが、こうしたことがあるから工業系の派遣はなりたっているともいえる。
 実際、となりにいるおじさんも、作業に投入されてから一週間たらずで仕事をそれなりにこなせるようになってしまっているが、これで、市場に出て、不良品が大量にでても、そのときは、おじさんはもうこの工場にはいないだろう。誰がつくったのかわかっていても責任は派遣をやとったメーカー側にある。事実、職人とはいいがたく、派遣を雇うと、人は流動的に常に、新人が現場で働いていることになる。これで、メイドインジャパン。私がもし、テレビを買うとしても、今働いているこのメーカーのテレビは買わないだろう。

「こんな仕事、人のやることじゃない」
 おじさんがいい。私も頷く。
「誰もやりたがらないから、派遣でやとわれてるんじゃないですか?」
 私は冷静に返事をかえし。おじさんが笑いながら答えた。
「そりゃ、そうだな」

 それでも、その当時、当然私は再就職のあてがみつかるまでここで働くしかなかった。
 夢すらも、今日を生きぬくことで精一杯だった。仕事が最優先であり、仕事といっても、こんな将来のみえない仕事だけれども、やらなければ、生活すらできない。となりで作業を続ける新人のおじさんと、私。仕事場の人達のことは、なにも知らないけれど、ここで働く人間の、働く意味は同じだったと思う。生きるために働き。決して働くために生きてはいない。その後、工場は中国へシフトされることになり、私は吉村と出会うことになる工場へと働く先を移されることになった。仕事終わりの最後の日、おじさんと私はいつも通り作業をし、そして、いつも通り、あいさつを交わしただけで終えた。さみしくはなかった。むなしくすらなかった。ただ、作業をこなし、生活費を稼ぎ、ただそれだけで、一日の最後に仕事が終わったことで心が落ち着く。私はいま、本当に仕事をしているのかわからないと思うこともなく、ただ義務化されたかのような作業をし、終える。そんな日々だった。私の派遣の日々は。


   ♀


 派遣のせいにしてしまうのは卑怯かもしれないが、私はその頃から、いや、派遣をはじめるまえから、小説家を夢見るようになっていた。いまから思えば一種の逃げのように思える。現実など、こんなもんだ。私の将来など、こんなもんだ。そして、老いてひとりで死んでいく。全てが悲観的であり、絶望的であり、でも、確実に私の将来におこり得ることでもあった。私なんか、私程度の人間が。小説は、自分の書きたいことを書けばいい。どうせ、日記の延長だ。私が書けないことは、どうせ他人の作家が書くだろう。だから、私は、私しか書けない小説を書こう。そもそも、私が小説家になれるという保証はどこにも存在しないのだ。だからこそ、私は私しか書けないものを書いてみたいと思った。

 そう、思っていた。
 心の縁にある想いを文章におこすのは、やりはじめるとたのしかった。それに、重荷に感じていたことが、現実に置かれた状況はなにも変わらないのに、心が軽く感じてさえいた。鬱屈した感情が多少なりとも薄れていく感じがした。書いて、心を軽くしよう。シフトの合間に訪れる短い休日は読書と自作小説に全てつかった。他にやることすら全てないとその当時は思っていた。実家から社宅にもってきていた書籍。それらには、専門学生の頃に買った参考書と、あの文庫もあった。参考書は読まなかった。いや、読めなかった。

 この参考書を読んだところで、私がプログラマになれるのかと、自問自答をし、心が引き裂かれるような思いがしたからだった。
 決して意味などなかった。読めば読むほど心が痛くむなしくなった。かなえられない夢をみることがこれほど苦しいとは思わなかった。かなえられないということが先立って思考を鈍らせた。

 参考書を手にしていたはずが、気づけば、書店では、いつも好きな作家の小説を手にしていた。
 読めば心が楽になった。軽くなった。それは、テレビゲームにはまる少年のように、みじめな私とは違う、心踊る主人公になれるからでもあり、一瞬でも、現状を忘れられるからでもあった。私が私ではなくなる瞬間、私は一番、私らしくなれた。
 学生時代に買った文庫本を開く。休日、本屋で買った単行本を開く。文庫本を、単行本を、文庫本を、単行本を、文庫本を、単行本を、開き、読み、書いた。

 その瞬間、私が私ではなくなり、誰の偏見も受けず、なんの社会的束縛にしばられない、一番、私らしくなれる瞬間だった。
 小説はすばらしい、こんなちゃちな工業製品にはない暖かみに満ちていた。
 小説はすばらしい、こんなちゃちな工業製品にはない人間の息づかいが聞こえてくる。
 小説はすばらしい、こんなちゃちな工業製品にはない心に満ちあふれているではないか。
 そして、小説は、汎用的な工業製品とは違い、読む人間を選ぶ。

 私にしかわからない言葉がある。
 私にしかわからない意味がある。
 他人にはわからなくていい。
 私にだけわかることがあれば、それで全てよかった。

 それは、私を特別にし、他人を軽視することだったかもしれない。
 でも、それでもよかった。なぜなら、私のみじめなこの生活は、既に他人に軽視されているからだった。
 心の底で。心のなかで。だから、私は小説にのめり込んだ。だから、私は全てを小説についやそうとした。

 今になって改めて思う。
 私はあの頃の私が間違っていたのではないかと思うことがある。
 でも、私は今もきっと根本的には変わってはいないはずだ。
 私が私である瞬間。私が変われる瞬間はいつだって言葉のなかだけだった。
 そして、こんな生活もいつまでもなが続きはしないだろうとも時間が経つにつれわかっていた。
 私が本を閉じたとき、そこには、みじめな私がいて、言葉にすらならない私がいたからだ。
 主人公の私は本を閉じれば消えていた。見える私はただのなにもない一般人にすぎなかった。なにも特別もない。なにも、変わらない。言葉は意味のあるようで無意味に感じた。本を閉じてしまえば、全てが終わる。感動のあと、胸踊る高鳴りのあと、しだいに、本を閉じると言葉とは残酷だなと比較してしまう現実がいつだって目の前に立ち塞がっていた。ひどく惨めで、ひどく窮屈で、ひどく輝きを失った現実があるだけだった。


   ♂


 けたたましい程のアラームが鳴り響く。
 電車が自由の扉を閉ざし、滑車を動かした。
 あの頃からまだ一年もたってはいないのだ。

 それなのに、私は、私は・・・。
 手にしているのは、小説ではなく参考書だ。
 なにやら白地の表紙には、"はじめてのPHP言語 プログラミング入門" と書かれてある。
 小説は? 私の小説は? と黒地の肩からかけるタイプの鞄を開けるとあの頃から幾度も読みかえされた文庫本があった。少し黄ばんでいて、湿気でふにゃふにゃとなったところが渇いてかさかさになっている。お風呂に入りながら読むことをあの頃から幾度もやってしまっていたので文庫本の状態がかなり悪くなっていた。私にとっては、既に読まなくなってしまったとはいえ、大切なお守りのようなものだ。文庫本を確認し、溜息をひとつ吐く。つい一昨日まで吉村とコインランドリーで雨宿りしたはずが、既に気付けば月曜日だ。歳の経過とともに、日々の時間感覚が異様に短いものに感じてならない。とかいいつつ、せっかくの休みだというのに、全然プログラミングの勉強が捗らなかった言い訳にも聞こえる。ああ、私はなんでこうも馬鹿なんだろう。時間の管理すらまともにできやしない。しかも、時間感覚すら人一倍のんびりしていて昔からなんども周りの人にどやされた。そして、たぶん、今日もだ。

 そうして、今日も自己嫌悪に陥る。
 進歩しないのは私だけ。
 馬鹿馬鹿馬鹿。
 いっそのこと、電車に飛び込んで、こんな惨めな人生、終わらせてしまおうか。
 ぐるぐると負のループが止まらない。
 ときどき自分が鬱ではないかと感じる。
 鬱でもここまでひどい人間がいるのかと思うこともある。
 小説家を目指していたのが、プログラマーになっていた。でも、小説家を目指すまえはプログラマーだった。
 なにが私をプログラマーにさせたのか。それは全てが論理的であり、一辺の狂いもないという、科学的な価値観に魅せられたからだった。しかし、科学とは別だが工業系の現場という製造の派遣の仕打により、私の理想に一抹の恐怖もまじっていた。それにともない、追い討ち的なことに、プログラミングのことなどすっかり忘れていて、改めて一から勉強しなおすという日々。研修も終えたので、これからは、私一人で自主勉しなければいけないのだった。

オープン系が得意です」
 そう、出向先の面談で答えたのがついこのあいだだった。
「ウェブ系でいう、ランプの資格は一応もっています」
 たかが、2ヶ月ほどの研修でだ。

 ランプとは、オープンソース系で有名な、リナックスアパッチマイエスキューエルピーエイチピーのことを言う。なんて、偉そうなことを言っているが、たかが研修を受けるまえまでは名前すら聞いたことすらなかった。専門学校でならったことといえば・・・。私は入社時の面談で内藤さんに言ったことを思い返した。

「こう見えても、基本情報技術者資格はとっています。専修はコボルです。コボルなら一通り書けます。あと、ブイビーもできます」

 笑顔ではきはきと内藤さんにいったつもりだったが、内心では、
(もう、すでに忘れてしまったがな・・・)
 だった。

 自信満々にいっていたのに。
 嘘をつくのはなれているのだよ。なにせ、一番嘘を貫いて我慢してきたのが私自身なのだからね・・・。
 なんてのは実は冗談で、内定をもらってから勉強すれば全然嘘をついていないことになるのでいいと思っていた。
 でも、実際入社してしまえば、コボルやブイビーでは補欠要員の案件が少なくて私にはまわらないであろうというオチ。
 ついてるのか、ついていないのか、私はオープンソース系で有名なランプをメインに勉強することになった。それでも、今はテスターなので、正直いって、プログラムは組まないのだけれども。契約期間が3ヶ月なので期間がくればほうりだされてしまう。そうなってしまってから勉強するのではとても使いものにはならなくなってしまうのだ。


 それを知りながら私は、私という人間は・・・。
 なんて、馬鹿なのだろう。正直いって、自分というものを見損なった。
 あきれた。あきれかえった。もう、ダメだ。もう、ダメダメだ。
 そういえば、先週も同じことで悩んでいた気が・・・。
 悪夢のデジャブが訪れた頃には、アナウンスが到着駅の名をつげた頃だった。
 私はいったいこれからどうなってしまうのか。派遣を辞め、やりたいことにたどり着いた。
 そして、この先の私自身について私はどうなっていくのだろうか、と思ったときには、ぎりぎりで閉じたホームのなかで車内の私がいた箇所のつり革を振り返って見ていた。私の感情とは、まったく関係なく過ぎ去っていく現実が過ぎゆく電車と重なってさえみえた。

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