INITIALIZE ORIGINAL NOVEL


menuindexbacknext

上京物語  3, 4/4



   ♂

 出向先のあるとあるカラオケ機器物流管理会社では、ウェブシステムを使い、リース・販売・レンタルなどの物流管理をしているそうだ。そんなことを知ったのは、私が派遣されて初日の頃。今では、あたりまえになってしまったことをなぞるような毎日だ。
 薄暗く湿気で蒸しかえる地下鉄をぬければ光に満ちた地上。光に満ちた地上を抜けビル群へと向かう。
 東京都港区虎ノ門。そこが、最初となる私の職場。乱立するビル群が森の木々のように立ち塞がるなか、スーツを着込んだ大量の兵隊が突入していく。人口密度だけが異常におおい東京ならではの、壮観ともいえる名物である。地下鉄メトロの出入口を抜け、桜並木が敷地内にある神社を抜け、病院を左折すれば出向先の会社が見える。狭い路地。狭い階段。狭い開発室。扉を開ければ、ほら、もうそこは仕事場だ。

「おはようございます」
 最初に断っておくが、ITの企業など一部の大手を除けば、ほとんどが赤字経営だという。
 テレビのニュースなんかでは、たまにやっているIT社長の自宅訪問特番も所詮、営業活動の一環という話はまんざら嘘でもないらしい。開発現場はおどろくほどシンプルだ。職場は限りなく人口密度が高く、人の体温で冬は暖房はいらない。逆に、夏は熱中症まちがいなしといってもいいぐらいの部屋の狭さに開発、改修チームとも含めると30人近くはいるだろう。ちなみにクーラーなど完備されてすらいなく、今後、数ヵ月の夏がつづくあいだは扇風機でがまんしなければならない。テスターチームの私達が使う仕事道具といえば、パイプ椅子にデルのリースパソコンというありさまである。たしかにこれさえあれば必要最低限、テストぐらいの仕事でもやっていける。

 我々テストチームは3人。あとの残りは、開発チームと改修チームという構成になる。
 さぁ、今日も一日、気合いを入れて仕事に集中するぞ! などと意気込み、「えい」と人差指で電源スイッチを入れる。入れたら、パイプ椅子に座る。あとはパソコンが立ち上がるのを待つだけだ。なんとも地味であるが、この人差指プッシュがはじまらなければ仕事がはじめられない。あとは、LANにつないであるファイルサーバーのテスト仕様書をひたすら埋めていくだけだ。御覧のとおり、開発など一切しない。プログラムの検証の結果、エラーとおもわしき箇所があればそれをテスト結果に書き、なければないでそう書くだけだ。あとは、エラーだか、バクだか不明な箇所を改修チームが修正していく。そして、またテストの繰り返しだ。それが、テスター。


 どこぞの漫画や小説にあるような偶然など、この世界には存在しない。この世界にあるのは常に理論的なことだけで、おもしろ味のない擦り切れた世界だけなのかもしれない。そう思っていた私にとって、やっとつかんだやりたいはずだった仕事の最初の作業がこれだ。笑えるようで笑えない。笑えないようで、心のどこかでこんな私を傍観者のもうひとりの自我が笑っている。「あなたは、くやしくはないの?」そう、問われているようにも感じる。「くやしくなんてないさ」そう答える私がいる。楽しい、楽しくないなど問題ではない。くやしい、くやしくないなど、問題じゃない。くやしいならくやしくならないように作業をこなせばいい。楽しくないなら楽しくなるように作業をこなせばいい。そもそも私には、仕事などに生きがいを求めていないし、なにも期待していない。嫌なら辞めてしまえばいい。ただ、それだけと考えていた。私の脳に染み着いた固定観念は世間一般的とズレているのかもしれない。でも、それが一体なんだというのだろうか。所詮、他人は他人でしかなく、私は私だ。私が考え、感じることがなによりも意味をもっている。


 テスト項目を数十箇所こなし、画面のキャプチャを数枚エクセルのシートへと張り付けた。モニタのすみっこに表示される時刻がお昼近くを指していた。お昼まえにはこのテストを終えられるだろうと逆算していたら、突然モニタにIPメッセンジャーのポップアップが表示された。「今日、お昼ご一緒にいかがですか?」メッセージには、そう書かれていて、送り元の名前はいつものように、いつもの上司からだった。「はい、ご一緒させていただきます」返信する内容はいつも通りに返していた。


   ♀


 神谷好美。
 専門学生だった頃。私には目標としていた人がいた。それが神谷好美だった。
 なにもできやしない。なにもできなかった私と違い、彼には才能があった。そして、私にはなんの才能などなかった。それを私は重々自覚していたし、だからといって、なにもどうすることもしなかった。
 携帯を直視する。着信履歴もメールもない。予定なら今日の夜のはずだ。

「じゃあ、行こうか?」
 デスクで携帯をながめていた私は宮崎さんの声で我にかえる。となりにいる、下地さんと坂牧さんもたちあがり、あわてて私も席をたった。狭い開発室を抜け、エレベータに乗り込む。
「どう? 仕事には、もうなれた?」
 下降するエレベータのなか、宮崎さんの言葉に、私たち3人のテスターは、『まあまあ、なれました』などということを返していた。
 今頃、神谷はなにをしているのだろう。笑顔で向ける私の心のうちはそのことだけしかない。
「テスター退屈だろう?」
 私たちと同じく笑顔で言葉を返してくれる宮崎さんの心のうちはなににみちているのだろう。
 本音と建前。大人になってしまえばわかってしまう。こんな私にも、たぶん、宮崎さんはとっくに気付いているんだろう。それなのに、平然としているのはこれも大人だからだろう。宮崎さんは私たちのことを心から気遣っていてくれているのだ。
 私たちテスターチーム3人はそれぞれ別々の派遣会社から派遣された。そして私たち3人の派遣社員を派遣したのがこの宮崎さんのところの派遣会社だ。聞こえがわるいかもしれないが、二重派遣は犯罪だからこれは派遣社員を請け負ったという形態になるはずだ。そして、その請け負い元の先輩にあたるのが宮崎さんなのだ。
 さすがに、製造会社の派遣とはちがっていた。タバコのヤニ臭いオヤジなど、ここにはいない。ヘマをこいて蹴りや拳骨をふるう上司もいない。となりで涙をながしながら仕事をこなすかつての同期入社製造派遣社員も、すべてがなげやりになり死人のような目をして仕事をこなしていた誰かも。だが、将来の安定を祈り、不安がつきまとう日々はいまだ健在のようだ。

「下地さん、今年でテスター何年目でしたっけ?」
「ん? 3年目」
 見ため若々しくみえる眼鏡をかけた薄茶のスーツ姿の紳士こそ、今年で三十歳を迎えるという同期のテスターチームの一員、下地さんだ。終始笑顔を絶やさない下地さん。私も表面上は笑顔だが、一歩まちがえ、・・・いや、このぬるま湯に心をゆるしてしまったが最後、数年後には下地さんと同じ道を歩まないとも限らないのだ。IT業界。華々しかったのは既に数年前の話だ。ITバブルが弾けてしまったがあと、いまでは3Kとまでいわれている。新卒の学生が毛嫌う職業ワースト入りをはたしている始末なのだ。それを、私は転職したあと坂牧さんに聞いた。製造派遣の3Kは、きつい、汚い、危険だったが、IT業界の3Kは、きつい、給料が安い、帰れない(残業が多くて)、ときた。なかなかどうに、わたしという人間は3Kに好かれているようだ。むしろ運命的な宿命を感じる。そもそも、きついって共通しているし。
 肉体的な負担は大分軽減されたものの、そのぶんの負荷が精神にきている。これでは転職した意味が、あまりない。

 いいのか、私は。このまま一生、テスターでいいのか?
 いいのか、私は。このまま一生、ライン作業でいいのか?
 どんな仕事も、下っ端はきついものだ。

 そうだ、いっそのこと農家に転職したほうがよかなかったか?
 目一杯、福島の無添加自然100%の澄みきる空気を吸いながら、陽がのぼるころに起床して、陽射しをうけながら畑を耕す。陽がおちるときに寝床へとつく。じつに健康的。じつに人間らしい生き方。なによりも、こんな腐った社会の歯車とは一線をはくすのだ。


 なんて、ことを考えていた。
 なんて、ことを考えてしまう。
 これが、いわゆる現実逃避というやつだろうか。
 夢なんて、ないのだ。抽象的すぎな希望だけで、なかみのない具体的な夢なんて。
 夢なんて、叶えられないくらいなら、見ないほうがよかった。
 でも、見てしまったからには、叶えたい。

「坂牧さんは、テスター何年目ですか?」
「まだ、この業界自体、半年目なんですよ」
「宮崎さんは、開発でしたよね」
「俺は、開発だね。もうすぐ、4年目になるかな。西尾さんは?」


 私は・・・。と、危うく主語を言い間違えそうになる。
「まだ、半年ぐらいです」
 そうして、私たちはエレベータをおり、昼食をとるために、ビルの外へでる。外は梅雨あけの陽射しに満ち溢れていた。微かに汗ばむほどの気温。風は、少しながれる程度。坂牧さんは、私より、背が高く社交的で、下地さんは、私と同じくらい無口でなにを考えているのかよくわからない。とりあえず、私はいまできることをしよう。そんなことを思う私に、空だけが影のない青空を見せてくれる。


   ;上京物語


 風はどちらに吹いているのだろうか?
 私たちは、学校では一挙手一投足をあわせなければいけない縛りを受けながら、社会へほうりだされてしまえば、風見鶏になる。会社を選ぶとき、仕事に従事するとき。社内の上下関係。交友関係。目に見えない内と外からの圧力。私が社会へ踏み出したとき、私は最初の一歩で見事、その足元が崩れ落ちるのを感じた。派遣の仕事は、私を出来の悪い風見鶏に変えた。同僚の製造契約社員に疎ましがられ、私はついにそのことがたえられなくなり、インターネットの転職サイトで応募しはじめたのがはじまりだった。応募の動機など、それで十分だった。それ以外に、必要なかった。なぜなら、私には、失うものなど、なにひとつなかったからだ。すがりつくほどの社会的地位すらなく、たかが、端た金しかなかった。だから、私は、自分の稼いだ金で転職活動をはじめた。

 私は、間違った選択などしていない。間違ったことなんて、していない。
 そうやって、自分自身に言いつけて、営業の人に「やめます」と電話口で伝えたのを覚えている。そのとき、携帯電話を手にしていた私は心細く、どこまでも底のない泥沼に半分つかっているような気持ちになった。仕事場の同僚にも言った。「今月いっぱいで、私辞めるんです」私自身は無表情を意識していながら、心なしか微笑を浮かべていたらしい。そのことを吉村に指摘されもした。私は、私自身がよくわからなかった。風見鶏になることは、普通のことだ。風見鶏になることは、なにも私だけじゃない。心の底で気付いていた。本当は、誰かを裏切っているようでつらいんじゃないのかと。営業、同僚、上司。でも、それでも、私は転職した。

 風が吹いていたからだ。私は一瞬だけ、それが見えた。
 あのとき、疎ましい視線に私が感づかなければ、あのとき、私が転職サイトを見なければ、私は転職していないはずだ。ただ、それだけのことにすぎない。


 カランカランと、カウベルがなった。
 テスターの仕事が終わり、待ち合わせの喫茶店へとはじめて入った。神谷好美がそこにいた。
 上京して、以来。そこに彼を見つけた。

next page


menuindexbacknext
+ INITIALIZE -
Copyright warning All Rights Reserved.