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てのひらを太陽に  4, 1/3



   ♀

 カウベルの頼りない音が響いて消えた。
 神谷は窓際の奥のテーブル席に座っていた。出入口側、つまり、私からみれば正面にいる。カウベルが湖にひろがる波紋のような音を掻き立て、気付けば静まりかえっていた。喫茶店のなかは、そとの大通りから隠れるように小路にのびた先にあった。私が神谷に視線を送っているのを彼は気付いたのか、彼も私を見た。私が不器用にリアクションに困ってなれない笑顔を顔に浮かべようとするが、神谷は一瞬だけ私をみただけで、視線を窓の外に移してしまった。その行為が、私にとって、まるでそこに私ではなく、赤の他人がいるかのような態度だったので、私はさらにリアクションに困ってしまった。神谷の仕草でひきつったかのような笑顔で固まっていると、私は今、男装をしていることに思い至った。私は今、男装をしていたのだ。そうだ、昔の私そのままではないのだ。長い髪は後ろで縛り、眼鏡をかけている。スーツやシャツは男物だし、赤いネクタイだって、紺のズポンだって男物だ。そんな馬鹿みたいな簡単なことに気付くと、神谷に怖じ気づいているような自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。頭ではそんなことを考えているのに、私の足は自然と神谷がいるテーブル席へと向かっていた。そして、あらためて席に座り、ほおずえをつきながら窓の外をながめるスーツ姿の神谷を見下ろしていた。彼はストライプ柄の紺のスーツを着ていた。ネクタイは深い青だった。髪は短めに刈り上げて、窓の外をながめるその瞳は昔と変わらない色で私を待っていた。

 彼は、昔となんら変わらない外見でそこに座っていた。
 だから私は、彼の真正面の席に黙って座った。そこは、そこには、神谷にとって昔の私が座るべき席であり、昔の私ならば座れる席だった。だからこそ、私は座った。それだけのことなのに神谷は私に奇異の眼差しをむけてくる。疑問符が最初で、そのあとで、微かな怯えのような感情が感じられた。視界を良くも悪くもしない伊達眼鏡をとうして、私には、神谷が思っていることが手にとるように見えた。ついに神谷がそんな私にたいして言葉を放とうと口を開きかけたので、私はそのタイミングをはかり、伊達眼鏡を外してみせた。


  ♂


「いつか、こんな馬鹿げたことをすると思っていたよ」
 神谷が私にたいしていいたそうな言葉を選び、彼の先を制し最初の挨拶を彼にくれてやった。
「・・・西尾なのか?」
 彼の言葉はあまりにも間が抜けていて私は正直、拍子抜けしてしまった。
「久しぶり」
「本当に西尾なのか。その格好なんだよ。 まるで・・・」
 テーブルに方肘をつき、神谷は言葉を濁した。
「まるで、男みたい?」

「・・・だな。勉強もできない、運動もできない。昼休みは毎日、図書館にいますって感じ。上京、したんだな」
「上京したからここにいるんですけど」
 自分でも言ってから気付いた。私はなぜか久しぶりに会う神谷にたいして腹を立てていた。いままで気付かなかった。
「ひょっとして、怒ってる? いきなり上京しちゃったこと」
「怒ってないよ。でも、正直、腹は立てている」
「腹は立てているか。じゃあ、腹は減ってない?」
 昔とはどこか違っていた。
「腹も減っている」
「じゃあ、なにか頼もう」
 私は感じていた。神谷が昔の神谷ではないことを。昔は、神谷はシャイで、なににたいしても自信がもてない青年のように、少なくとも私には見えた。でも、違った。神谷はシャイでもなんでもなかった。神谷は知っていたのだ。基本情報技術者資格を持っているとか、ソフトウェア開発技術者資格など持っているとか、なんの意味ももたないということを。だから、神谷は、最初私とあった専門学生時代のあの頃、あんな顔をしたのだ。ただ、履歴書に1行、否、2行書かなければいけないという手間が増えるだけだということを神谷は知っていた。

「なにをたのもうか?」
 無邪気に微笑む神谷に、私は昔、神谷がしたような頬をひきつらせるかのような慣れない表情をしたい気分だった。こいつは、いったいこの程度のことでなにを浮かれているんだろう。昔の神谷がなにを考えていたのか現在ならわかる。神谷はあの頃から私なんかよりもはるか上を目指していたはずだ。そんなことを思いながら、喫茶店のメニューを開き、神谷と私は談笑した。私の表情はいたって普通そのもので頬をひきつらせることも実際にはない。この場に原稿用紙があるかのごとく、私は私のことを観察した。神谷がメニューのスパゲッティーの写真を指さし、量が少ないとぼやいている。私は、その量がちょうどいいんだよと答える。このオムライスおいしそうだねと、神谷が言って、「ホントだ。おいしそう」と私が言う。傍から見れば馬鹿まるだしで、原稿用紙に書けば箸にも棒にもかからない駄文そのものだった。それでも、私はたのしかった。神谷に久しぶりに出会えたこと。神谷の声が聞けたこと。神谷の元気な姿を見れたこと。それだけで充分だった。なんでこんなことでたのしくなれるのだろう。大人になりきるまえ、半人前以前のなにもなかったころ。薄ぼんやりとした毎日だった。専門学生時代の私と神谷。私はいつしか思っていた。いつまでも、こんな薄ぼんやりとした幸福な時間は続かない。その場ではわからないことがいつでも過ぎたあとに思いしらされる。あの頃はよかったと。私も神谷も、そして、誰だってみんないつか自然と口にする日がやってくる。


ところでさ、神谷が言った。

「いま、しごとなにしてるの?」
「テスター」
 神谷に私が答える。
 神谷はほぼ自動的に答えた私に向けてこういった。
「俺は、なにしてると思う?」
「開発でしょ?」
「残念」
 そして、神谷は昔見た頬をひきつらせるかのようななれない表情で言った。
「俺もテスター」


   ♀


「あれから、2年が経っているんだよ?」
 私は再度、神谷に訊いた。
「テスターな訳がない。嘘なんでしょ? 今じゃきっと、システムエンジニアくらいにはなっているんでしょ?」
 神谷は言いづらいと表情にあらわしながら言った。
「なんでそう思うの?」
「神谷は頭いいし、きっと神谷ならそのくらいできると思っていたから」
「俺程度じゃ無理だよ」
 そして会話が途絶えた。定員がメニューを訊きにきた。
 訊きにくるタイミングが悪るすぎると思いつつも、私と神谷は適当に決めてしまった。
 ようやく沈黙を破ったのは私だ。

「嘘でしょ?」
「嘘じゃない。システムエンジニアくらいになってたら西尾にだって連絡の一報ぐらい知らせるよ。それができなかったのは、・・・いままで、西尾に連絡をいれなかったのは、つまり、そういうことだから。だから、西尾から連絡が来たとき、正直、うれしかったよ。俺からじゃ連絡とりずらかったし。西尾が上京したことを聞いてうれしかった。でも、そのあと、プログラマーになったって聞いて複雑な気分になったよ。それに、派遣だっていうこととテスターということ。そして、今日、そんな格好までして仕事をしているなんて、正直、言葉が浮かばない。なんて言っていいかわからなかった」

 私は困惑した。神谷がテスター?
 神谷が嘘をついていると信じたい。信じたかった。
「西尾なら、きっとなれるよ。システムエンジニア。いや、それ以上に」
「私には無理だよ。神谷でさえテスターなのに。私なんかが、なにをやっても決まっている」
 耐え切れなかった。私は神谷から視線を外した。神谷の瞳をみることが耐えられなかった。
「東京に上京したことに意味があるのなら」
 神谷は言った。私と最初に会った頃。あの頃から、神谷は変わっているようには見えなかった。
「西尾と再会できたこと」

「俺さ、」
 神谷は言った。
「福島に戻るんだよ」

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