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てのひらを太陽に  4, 2/3



   ♀

 私が東京へ上京した日が悪かったのか、あこがれだった同級生、神谷は私の上京とほぼ同じくして、東京を去ることになっていた。喫茶店でのあの出来事から、私は当然、なにをやるにも気がすすまず、それでいて、なにもかもが色褪せてみえて、もう、なにもかも、なかば、どうでもよくなっていた。神谷とはあの後もいろいろと話をした。そのどれもが、専門学生時代のこと。それと、私の一方的な派遣生活での話。神谷に話を訊くのは気がすすまなかった。福島へ帰るよ。などといわれてしまったのだ。それだけしかない生活だったのは、訊かずともわかっていた。なぜなら、私も同じようなものだから。

「なぁ、西尾さんよぉ。元気だしなよ。ふられたぐらいでなさけない」
 へらへらと笑って言う、吉村の声が聞こえる。そもそも、ここはどこだろう。そう思えることがたびたび頻度をましているようだった。下手な日本語をえつらえつらとつぶやき、汚い言葉を蒔き散らかすことよりマシだと思いきや、とたんに言葉に意思があるかのように、奥へ奥へと潜っていく。私の性格もなにもかも、すでに失語症にかかっているかのような雰囲気に見舞われていた。なにを話すのも面倒だった。なにを始めるのも。なにを続けるのも。なにを考えるのも。そして、それは私の意志とは無関係に別のなにかに操られているかのごとく自由がきかなかった。東京へ上京したのは、神谷を追ってではない。そんなことを思いながら、それでも、倦怠感はぬぐいきれない。私は私個人のために上京し、派遣を辞めて故郷を去った。それでよかったはずではないか。

「仕事、いってくるね」
 吉村のなっとくいかないという顔をよそに、私は今日も満員電車に乗り仕事場へと赴く。足枷をはめられたかのような重い足をひきづりながら。そうして、また今日も、テスターのなんの変哲もない毎日を繰り返す。仕事場でたまに携帯が着信したかと思えば、私を心配する吉村からのメールと、担当の営業からかかってくる「調子はどうですか?」といったものぐらいだった。神谷と再会して一週間が経過した頃。神谷が東京を去るときが日々一刻と迫っていた。”ベルトコンベア”ふいに、そんな言葉が浮かんだ。派遣の仕事。現在の仕事。故郷での私。現在の私。映画のコマが断片的に浮かぶ。そこに映っているのは、私だった。客観的に見られている私がそこにいた。基盤をチェックする台のケーブルが私の手元にある。テーブルからたれていた。目線をあげれば液晶テレビからカラーコードが目に入る。私はいったいここでなにをしているのだろう。誰に問うわけでもなく、なんの意味もなく、私は思った。

   ♀

「急に呼び出したりしてごめんね」
 私は神谷と待ち合わせをした。私が連絡した。
 神谷は私の座っている席の向かいに座り、いつかとおなじように私のまえにあらわれた。
「今日もその格好なんだな」
 伊達眼鏡に男物のスーツ。髪はひとまとめにした私がいた。
 それにくらべて神谷はジーンズに軽めのジャケットを着込んでいた。
「もう、なれたよ」
「もっと、早く。たとえば上京してすぐにでも再会できたらよかったのに」
「いままで連絡をよこさなかったのは、どこの誰でしょう?」
 私が軽く毒を吐き、神谷が苦笑いで誤魔化す。
「西尾はそんなキャラだったっけ?」
「神谷が知らないあいだに私だって変わったんだよ」
「派遣だっけ?」
「そう、派遣。神谷には耐え切れないような、肉体労働」
「専門卒で?」
「専門卒で」
「みじめだっただろうな」
 神谷が本音で言う。
 久しぶりに本音で語り合える。そんな人に出会えたのに。神谷が来るまえに頼んでいたコーヒーをひとくち含む。
「みじめだったよ。だから、辞めた。神谷には言ってないこともまだたくさんある。今度は、神谷のこと、訊いていい? 話せる範囲でいいから」
「話さなくてもわかるさ、きっと、これから」
「いいから、教えて」

 伊達眼鏡を外して、神谷を見る。
 神谷には、話す義務などないことぐらいわかっている。だけど、それでは、私の気が収まらなかった。
 しばらく沈黙が続いたが、耐え切れなくなったのか、神谷は喋ってくれた。
「喋ってもいいよ。西尾が、ここのコーヒー奢ってくれるならな」

   ♀

「鬱なんだよ」
 理由を訊いたような気がした。
「なに?」
「鬱なんだ」
 いつか、そう。そんな言葉を聞いた覚えがある。
「しかも、重度の。だから、田舎に帰ることにした」
 私が派遣にいた頃。その病気は私たちのまわりにいた。
「鬱なんだ」
「鬱って、あの、鬱?」
 精神の弱い人間。否、強い人間ほどかかりやすいということも知っている。
 真面目で几帳面で、その全てが目の前の神谷に合致していた。
「プログラマーになって、俺はなんどか自殺しかけたらしい」
 神谷がなにを言っているのか。神谷が言っていることが理解しがたかった。
「俺なんかが、正直、この世界で生きていくには実力がないと思い悩んでいたんだ」
 神谷のいっていること。その全てがわからなくても、断片的には理解できる。私も悩んでいた。東京へ上京するまえから。上京してからも。
「俺には才能がないって思い知らされたよ。俺には才能がない。西尾には悪いけど、言ってなかったことがある。俺はテスターをするまえ、開発にいたんだ。そこでがんばっていたんだけど、使い物にならなくて、それで、俺・・・」
「もういいよ、神谷」

 なにかを否定したくて、なにかを受け入れたくなくて、ただ、それだけの理由で私は神谷に辞めた理由を訊いた。
 時間が戻せるのなら、ただ、一度だけ、そんなことができるのなら、私は神谷の言葉を訊かないほうを選択していた。
「そんな、顔するなよ」
 神谷を心配していたはずが、逆に神谷に心配されていた。
「大丈夫。西尾なら」
 私と神谷はそれから、急に口数がすくなくなってしまった。
 口にするコーヒーもなんだか苦さが増している気がした。
 神谷と専門学校で出会ったあの日。派遣でのながかったあの頃。そして、今、ここにいる私。
 そのどれもが、現実で、だからこそ、漠然となにも考えられなくなっていた。
「これから、どうするの?」

 だからかもしれない。
 こんなとき、漠然としたことしか訊けないのは。
「どうしようか? とりあえず、帰って。なにもすることないな」
「いつまでここにはいられるの?」
「今月中までかな」
 今月中。あと、1週間。今月が過ぎれば、もう7月を向かえることになる。
 あと、1週間。それが、私と神谷に残された時間だった。
 ながいようで短い。愉しい時間ほど神様は私から時間を奪い去っていく。
 いつだって、私をひとりにさせようとする。
 孤独にさせようとする。
 いつの日か、また出会うことがあったら、きっとこの日のことを笑い話にさせてやる。
 そんなことを、私は考えていた。
 いつか、きっと。私が経験してきたこと、神谷が経験してきたことすべてがそうなれるように。

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