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Hello World  5, 1/4



   ♂


「ところで、西尾さん。つかぬことをお伺いしますが、あなた女性ですよね?」
 入社早々、内藤さんにバレてしまった。もう、終わった。私のなかで止まった時間とともにふいに思った。
 小さい頃からそうだった。昔からなかの良い友達だったミイコちゃんがそうだったように、私にもやりたいことの途中で邪魔が入ってしまった。もう、ここまでか。まだ、なにもやってなかったな。

「すいませんでした」
 私が頭を下げたのは、内藤さんに個室へ呼ばれたときだった。
「なぜ、こんなことを?」
「女だということで、偏見をもたれるのが嫌だったんです。女だから、甘えてるとか。女だから、仕事を任せられないとか・・・」
 まえまえから気になっていた。なぜ、私のような奴が上京できたのか。プログラマーとして就職できたのか。
「なんだ、そんなことですか?」
 白髪が数本まじった眼鏡をかけた生真面目そうな面接官だった内藤さんからはじめて笑い顔で訊かれたような気がした。
「そ、そんなことって」
「いや、はは。これは、言葉がすぎてしまったかな。でも、西尾さんの言うことにも一理あるね。出向先によっては、女性をとるよりも男性をとる場合が少なくないからね。でも、やはり嘘はいけない。ましてや、提出書類を偽造してまで。例えが悪いですが、でるところにでれば、これは立派な犯罪ですよ?」
 なによりも、私は内藤さんの口からでた犯罪というキーワードに鳥肌が立った。
「す、すいませんでした」
 額がテーブルへつくんじゃないかと思った。私の目は見開いていて、机を見ているはずなのに、頭の中では、これから起こり得るさまざまな場面がスライドしていく。裁判所、刑務所、違約金に、再就職をしている自分の姿。
「なーんてね」

 内藤さんが言った。冗談を。私はまたもはじめての経験となる内藤さんの冗談を聞いた。
「うそうそ。自分の会社のエンジニアをそうそう手放したりしませんよ。損得勘定でいえば私たち側がどうみても損を被ることになるんですからね。それより、西尾さん。これからは、もうこんなことはしないでいただけますか? 私としても、さきほどの西尾さんの訳を聞いて是が非でも仕事をお願いしたくなりました」
「是が非でもですか?」
「そう、是が非でも。ただし、条件があります」
「条件?」
「はい。西尾さんが男装してまで仕事をしたいというなら、私はそれを止めません。なんだったら、出向先に了解を得て、話を通すこともできます。ただ、今後は今回のようなことはやめてください。そう、私たちに嘘をつくことです。例えば、出向先で問題になる納期の問題とか、対人関係のトラブルとか、なにかあったら私でもいいですし、なにより営業に報告、連絡、相談を怠らないようにしてください。これが、条件です」
「つまり、ほうれんそうですか?」
「そうです。できますか?」
「はい。できます」

 なにもかもが過去の全てとは違う。
 環境も、人もそしてなにより、私が。ミイコちゃんがもとめていたものとは違うけれど、それでも、私ははじめてあのときのミイコちゃんと同じ立場にいるのかもしれない。過去のことなどほとんど忘れてしまっても、吉村のこと、神谷のこと、そしてミイコちゃんとの思い出だけは、不思議と忘れることはない。小学校のこと、中学校のこと、高校のこと、専門学校のこと。その時々が見ていた世界は違えど、瞳にうつる世界が全てだった。その先になにがあるのかわからないから。だから、私たちは過去のことを忘れていく。それが生きているということで、変わるということなのかもしれない。


   ♂


「しあわせというものが、どこにあるのか知っていますか?」
 まったくもって、関係ない話ではないのだが、吉村が執筆を再開した。あれほど小説家をやめるだの、なんだのといっていたのに。それと、バイトもようやくはじめた。いつだったか。私がバイトをしない吉村にしつこく詰め寄ったことがあった。そんな私に吉村はいきなり意味不明ななぞなぞを言ってきた。
「ごまかさないでよ。いつになったら、バイトするの? 本当に、吉村このままだと私のひもになっちゃうよ?」
「なぞなぞに答えられたらするよ」
「本当だな。本当にバイト、するんだな?」
 私がさらに問い詰めると、吉村は顔は動かさず、目線だけを逸して、うんと肯いた。
「よし、じゃあ答え。地面に近いところにしあわせはあるよ」
 逸していたはずの吉村は少しだけ興味ぶかげに、なぜにと私に視線を戻してきた。
「子供の頃。私たちは無垢だった。それは、年齢が低くければ低くいほど。背がのびるにつれ、私たちはいろんなやるべき束縛にしばられ、知りたくもない知識をつめこまれる。視線が地面から離れれば離れるほど。つまり、背が伸びれば伸びるほどしあわせじゃなくなっていく。だから、しあわせはきっと地面に近いところにある理屈になるってわけ」
「・・なるへそー」
 パチパチパチといかにもわざとらしく拍手をする。いかにも馬鹿にした態度だ。
「本当の正解はなによ?」
「正解? 正解はねー、手と手のあわせたあいだ。ほら、おててのしわとしわをあわせて、しあわ・・」
「さて、吉村。バイトさっさと決めてね。じゃないと、私が勝手にさがしてくるから!!」
 なにいってんだろ、この人みたいな顔を向けている吉村に私は最後の捨て台詞を言って、その日、会社へと向かったのだ。
「誰も、答えがあっていたら、なんて言ってなかったでしょ?」


 そんなことがあってから数日後。珍しく、吉村にしてはきちんとバイト先を決めてきた。これからはやりたいことだけやってやると言っても私のひもではどうしようもないのだ。それ以前に、私はルームシェアをするために同居しているだけであって、ひもを飼っている覚えはさらさらないのだ。
「それで、バイト。なににしたの?」
「バイト? バイトっすかー。まったくの未経験ってわけでもないんだけど」
「未経験ってわけでもない?」
「つまりはそうね。プロじゃないけど、プログラマー。なんちて」


   Hello World;


 なにからなにまで夢のようだった。光陰矢の如しとはよくゆうが、私はもう、上京していて、すでにプログラマーという職業に就いている。それはあまりにも非現実的で、どこまでも夢に近い真実だった。なにかを捨てればなにかを得られる。そんな真実があるかどうか私にはわからないが、少なくても、私はいろいろなものを捨ててきた。故郷、仕事、そしてなにより過去の自分。そのなかで、いまだに捨てられないものが本当に大切なものだと私は考えている。捨てて、捨てて、最後の最後に手に残っている思い出。それが嘘、偽りのない私自身だと私は思っている。だからこそ、捨てるべきなのだ。ここまで生きてきた私自身を。私という個性を。そして、捨て去ったあとに残ったものが本当に大切なもの。私の考えが正しいのか間違っているのか、そんなことは関係ない。これは、過去の私が信じてきたジンクスで、今まで手のなかに残ってきた数少ない真実だからこそだ。

「で、なんで吉村がここにいるのかな?」
「ねー。なんでだろうね。不思議ちゃんだね」
 テスターの契約期間を終えた翌週には、私は研修を終えたばかりの吉村とともに次の出向先に出社していた。
「なんで経験者だって言わなかったの?」
「訊いてくんないから。答えられるわけないじゃない?」
 隣の席で吉村は担当のバッチ修正箇所をディスプレイを見ながらキーボードをこまめにブラインドタッチでタイプしている。見慣れない光景だった。そもそも、吉村がキーボードをタイプしている光景を見るのは初めてかもしれない。
「よし、マージもとったし、パッチを当ててテストしてコミットすれば終わりと」
「・・・どこでならったの。プログラミングのこと」
「前職に基本的なことは。あ、前職って西尾と会うまえの仕事ね。でも、その他はほとんど独学だけどね」
 エクリプスに、サブバージョン、オラクルにスクリプト言語。驚いたことに、吉村はすでにたいていのことを知っていて、たいていのツールを使いこなせていた。ひよっこの私とは違い、いわゆる中堅プログラマレベルまでは一通りこなせるようだった。事実、私は不甲斐ないことに、わからないことなどは真横にいて同期に出向されてきている吉村に訊くことが少なくない。出向元は違えど、奇跡的に同じ出向先だと気味が悪いほどの偶然の一致だった。
「現実は小説より奇なり」
「なにそれ?」
「吉村のこと。よく考えてみたら、私、吉村のことあんまり知らないんだよね。派遣の頃に一緒だったとか、いまじゃ、元プログラマだったとか。その程度しか知らない」
 口が動くが、手が動かない。頭は澄み切っているのに、ロジックすらよく租借できない。エディタに表示されるプログラムコードを睨むように見つめながら、私は吉村に訊いた。
「あたりまえだ。個人情報がそう簡単に流失されてたまるか。それに、俺は西尾の考えている通り、ただの小説家希望で、元プログラマで、元工場派遣社員なだけだから」
「そこが、なっとくいかないんだよね」
「どこが?」
「なんで、元プログラマが、元工場派遣社員なわけ?」
 私が言い終わるとすんでにお昼をつげる予鈴が短く鳴った。画面右下のタスクバーに表示されたデジタル時計がお昼の時間を指していた。気付けば、私の仕事は吉村の進捗状況と比べるとひどく悪い。まだ、コード自体満足に理解すらしていない。そんな私をよそに、吉村はいつもの調子で言うのだ。
「言っただろ。俺は自分のやりたいことしかやらないって決めた。それは、昔からもそうだった。気のみ、気のままさ」
 吉村が言う気のみ気のままとは。わかったようでよくわからない。
「気のみ、気のまま。ねぇ」
 私がつぶやくと、吉村はお昼お昼と私を連れていつもの店へと急かした。

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