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Hello World  5, 2/4



   ♂

 食後の退屈な午後の時間。
「ドモルガンの法則って知ってる?」
 研修を終えての最初の出向のはずの吉村に負かされていた。そんなことを思いつつ、私は吉村に意地悪な質問をぶつけてみたつもりだった。
「ああ、もしかして、集合の一致のこと? なつかしいな、高校の数学でよくやったよね」
 高校数学で? 私は専門学校でやった記憶しかなかった。逆に私の方が困惑する有り様。
「私はあれ、ベン図でようやくわかったって程度だったんだよね」
 あははと笑う私に今度は吉村があっけにとられたような表情で訊きかえしてきた。
「じゃあ、ニシオ、基数変換は?」
「いったん、2進数に戻して、8進数は3桁、16進数は4桁に分けて計算しないと無理かな。重みづけして計算する方法わすれたかも」
「OSI7階層モデルは言える?」
「アプセトネデブゲルブリ・・・。ええと、うえから、アプリケーション層、プレゼンテーション層、セ・・、あーえーとなんだったっけ? あ、セッション層、トランスポート層、ネットワーク層、データリンク層、物理層。対応機器は、上から、ゲートウェイ、ルータ、ブリッジ、リピータ。え? アプセトネデブゲルブリってゆうのは、先生から教わった暗記法。名前はわかるけど意味はわからないまま暗記できるっていう、あんまりつかえないんだけど。なので、意味は訊かないでね」
 食後のあとの珈琲を飲みながら、吉村は私に言った。
「ニシオ。・・よく、国家試験受かったよ。それで」
 そして、苦笑の表情を浮かべる。あぁ、わかっている。わかっているよ。私自身が一番。
「国家資格なんてとてもじゃないけど、実務じゃつかいものにならない」
「実務系の資格ならまだしも、それ以外となると活用範囲が限られてくるのはしかたのないことだよ。それに、ニシオがもっているのは基本情報だろ? だったら、なおのこと。名前のとおり基本の資格なんだからな。現場でたいして活用できないのはあたりまえだよ。でも、基礎のアルゴリズムや文法とSQLは分かっているんだし。あとは、応用を鍛えればどこにいっても大丈夫だと思う」
「応用だけか」
「難しく考えることはないさ」
 吉村が腕時計を確認する。どうやらお昼の限られた時間が残り少なくなってきたようだった。
「ねぇ吉村」
 私は訊いた。
「現場で使えるプログラマになるにはどうしたら早くなれる?」
 私には、なにが足りないのかなんとなくわかっていた。それでも、訊いておきたかった。
「現場で上達できる方法はあるにはあるけど」
「それは?」
 それは、私がきっと、神谷に求めていたものだと。
「目標とする人がいれば比較的に上達は早くなるはず」
 私にとっての目指す人は神谷であって、その神谷はもう、ここにはいない。
「ねぇ吉村」
 だから、私は言うのだ。
「私、吉村を目指してもいいかな?」
「・・・ニシオ、あのさぁ。俺、言ったハズだよね。気のみ気のまま。そんな奴を目標になんかしないほうがいい」
「そんなこと百も承知だよ。私は私の信じたことをやるだけ。それだけだよ」
 素直に吉村の視線を見据える。困り果てたように吉村はため息を漏らして領収書を手に席を立ち上がる。
「ニシオは一度言ったことは必ず実践しないと気が納まらないからな。でも、ひとつだけいいか?」
 振り返る視線と目があったところで吉村は言った。
「俺はあくまで小説家志望だからな。何度もあきらめたが、俺にはやっぱりそれしかないんだ」
「わかってる」
 私の言葉を聞いた吉村の表情はやはり苦笑をもらしていた。


   ♂


「違う、違うよ。ニシオ。そこはそうじゃない」
 昔から頭のいいほうではなかった。記憶力も並以下で、調子のいいときでも学校の成績は中の下。それでも私は理屈を無理やりつくることも他で誤魔化すこともせず、学生の頃は中の下をキープしていた。夢を見ても願い通りになることもないこの世界で、だからこそ夢をあえて見ないことも選択肢に存在するこの世界で、私にはミイコちゃんに出会うまで、そのどちらも存在はしなかった。ミイコちゃんと別れてから、私があの文庫本を手にしたときから、私には小説家になりたいという夢が芽生え、そして消えて、残りの現実だけが目の前に立ち塞がっていた。矛盾だらけの世界で、理不尽なことだらけの世界で、たったひとつ、理屈だけでつくられた世界があり、矛盾がない考え方が存在した。神谷と知り合い、私はまた、夢を見た。
「わからないよ、吉村。もっと丁寧におしえてよ」
「これ以上、丁寧におしえろと? ちっとは自分の頭で考えろ」
 すべてはきっと、私が原因だということも知っている。そして、知っているからできるということは決してないということも知っていた。9月も気付けば終わりに近づいていた。今日の休みを終えれば、10月になる。いそがしいとあっという間に日々は過ぎ去っていく。契約期間を終えてしまえば、延長して現在の開発チームに居させてもらえるかどうかは、出向先の私に対する好感度と技術力の問題だけしかないのだ。予定では来年の4月いっぱいには契約は終了する。派遣元が違う私と吉村はいつまでも一緒に仕事ができるという保障はどこにもない。もしかしたら、吉村と一緒に仕事ができる機会はこれが最初で最後ということも充分ありえる話だ。
「本来なら、わからないことがあったら自分で検索をかけて解決するしかないんだ。他人に教えてもらうなんて他じゃなかなかできないことなんだから」
「わかってるよ。だから、吉村がいるときだけでも教えてもらいたい」
 日々は過ぎ去っていく。そして取り返しが利かない。だから意味がある。まったくもって役にたたない言葉だ。
 知ったからといってなんになる?
 知識をもっているからといってなんになる?
 とどのつまり。結局はやらなくちゃならないのだ。
 やらなければなにもはじまらない。

「吉村と会えてよかったよ」
「なんだよ、いきなり。ほめたってなんにもでないぞ」
「いや、純粋にそう思っただけだから」
 自然とあふれ出た言葉をなんの恥ずかしさも知らない顔で言う。言葉のひとつひとつがどれをとっても真実だった。
「アホか。俺はそういう、純情そうな奴は信じないようにしてるんだよ。ああ、くだらない。くだらないな」
 吉村はそういう奴だ。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。私も吉村もどこか世間一般的な同年代の若者とはどこか違っていた。違っていたからこそ、きっと一緒にいるのかもしれない。違う者同士だからこそ。笑顔でその場その場をなんとなくあいまいにしようとする私と、つっぱねるように自分を押し通す吉村。私たちは違うように見えて自分自身を否定されることを嫌うというところだけは似ている。私は全てをあいまいにして、最初からあきらめて。吉村は最初から自我を通す。わからない人にはわからない共通点がはっきりとある。だからこそ、いままでうまくやってこれた。

 そんな、ときだ。
ブルルルル・・・っと携帯が振動をした。私が手に取り着信を確認すると会社からだった。
「はい、西尾です」
「もしもし、人事の内藤です。西尾さん休日お忙しいところ、申し訳ありません」
「いえいえ、たいしていそがしくありませんよ」
「誰が忙しくないだって?」
 吉村が横から割り込んでくるので、電話中だからと軽く言うと
「誰かいるんですか?」
 と内藤さんが言ってくる。
「いえ、こっちの話なので。それで、用件はなんですか?」
「あぁ、そうでしたね。・・・西尾さん、最近、仕事はどうですか?」
「え? 仕事ですか? 順調ですよ」
「クレームだな。こりゃ」
「え!」
「もしもし、西尾さん?」
「ああ、いえ、なんでもないです」
 横で吉村が他人事のようにほくそ笑みながら私を見ている。
「仕事はたのしいですか?」
「はい、とても。毎日、とてもたのしいです」
「業務的につらかったり、人間関係とかはどうです?」
「人間関係ですか?」
 オレオレ、俺のことを言えと吉村がせかす。
「職場の先輩がとっても親切で優秀な方なのでとても、・・・頼りになります」
「そうですか」
「・・あの、それで用件は?」
「ああ、そうですね。実は話しにくいことなのですが、19日に社員全員が集まって大切な話がありますので、その日は社用ということで午後は出向先から抜けてきてくれますか? 詳しい時間はメールで送りますので」
「社員全員ですか?」
「そうです。社員、全員です」
「わかりました」
「では、用件は以上ですので当日は宜しくお願いします」
 そういって、内藤さんからの電話は切れた。

「なんだって?」
「なんか、社員全員があつまって大切な話があるとか」
「社員全員? ・・・なんか、それっておかしくないか?」
 どこか、いぶかしげに私をみる吉村。
「あ、そういえば」
 私は思いつくままにいった。
「19日って、そういえば、私の誕生日だった」
 ずかーっとずっこける吉村。
「そうじゃなくって。社員全員というところだよ」
「まぁ、それはおかしいといえばおかしいけど。なにが?」
「だ・か・ら。例えば、経営状態が危ないとか」
「まっさかー」
「わからんぞ。ベンチャー企業にはよくある話だ。短期間にそれもいきなり経営状況が傾くなんてことは」
「ないない。ありえないって。きっとあれだよ。テレビ出演するから、全員あつまれとか。8時だよ、全員集合、みたいな。秘密であつめさせてドッキリとか。それに、万が一、経営が悪くなる知らせだとしても、私たちにはなにもできないでしょ? 心配するだけ勉強の時間を割くだけだし」
「そりゃ、そうだが」
「心配するより産むが易し」
 なっとくいかないといった表情を浮かべる吉村をよそに、私は教本を再度開いて勉強の続きをはじめた。
「いいのか、それで?」
「いいも悪いもやるしかない」
「・・・ニシオ?」
「なに?」
 あらためて、吉村は私を見て言った。
「おまえ、プログラマ向いてない」

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