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Hello World  5, 3/4



 吉村がいったことの言葉の意味が私にはわからなかった。
「え? なに?」
 教本に向かっていた私は正面に座っている吉村に訊いた。
「おまえ、プログラマ向いてない」
「・・・どうして?」
「そのペースでやっていったらいつか燃え尽きるぞ。いままで黙って見てきたけど、男装してまで。そして、こんどはどう考えたって変だと思う会社からの連絡にも気づかない。いいか、ニシオ。会社に尽くしても、会社は個人にはなにもしてくれない。それは、ニシオ。派遣をしていた頃から嫌というほど味わっているだろ。だから、・・・」
「だから、私は勉強する。会社に頼らない生き方をするために」
 違う。そう、吉村は言った。
「・・・だからこそ、燃え尽きるんだ」
「吉村は、私じゃ無理だといいたいの?」
「そうじゃない。俺は、単純にニシオのことが心配なんだ」
「そう。だけど、私には時間がない。契約期間は来年の4月いっぱい。延長されるかされないかは私がつかえるか、つかえないかでしょ?」
「だとしても、・・・だとしたら、俺はニシオにできることは教えることだけなのか?」
「悪いけど、吉村のいっていること、よくわからない」
 あたまをかきながらなにかを考えるそぶりを見せたあと吉村は私にもうしわけなくいった。
「はっきり言おう。すくなくとも俺にはできなかった。燃え尽きたんだ」
「燃え尽きたって・・」
 まるで、神谷じゃないか。私の考えていることを察したのか、吉村は私の視線をまっすぐにみていった。
「素直に聞いてほしい。いまのままのニシオじゃ必ずいつか燃え尽きる。俺がそうだった以上に。ニシオのいままでのやりかたじゃ、派遣と正社員の狭間に板ばさみにされていたニシオのままじゃ、いつか、そうなる。いや、よほどの適正者じゃない限り、いつか誰だってどんな仕事に就こうが、そうなるのかもしれない。会社の出方を伺って行動するようなマネ、派遣を経験して正社員との不条理を身で感じた人間の陥るところだ。もっと、らくに生きろよ、ニシオ。会社に尻尾をふるな」
 私は、果たして吉村のいっているようなこと、・・・ありえるのだろうか。
「プログラミングはたのしいか?」
 私は、なんで、考えてしまうのだろう。返事が空白になった。
「どうした、ニシオ。俺を目指しているなら、答えてくれ。ニシオが目指す人は実は燃え尽きていた人間で。期限は押し迫ってきている。それでもやる意味はひとつしかない。好きだからやるのか。それとも割り切ってやるのか」
「・・私は」
 私はなんのためにやるのか。
「私は私自身のためにやってきた。いままでも、そしてこれからも。私は私の信じた人を信じて、そして後悔しても満足のいく道を選択するよ。これからはね。そう決めていた。派遣を辞めたあの日から」
「そうか」
 吉村はそして言った。
「俺はきっと、そんなことを言える西尾のことを小説にしたくて、だからここにいるのかもしれない」


   ♀


 神谷がいなくなって、私はあせっていた。神谷ほどの奴でも力及ばずのこの職種で、私が残れる術はそう多くはなかった。言葉とは裏腹に地道な道程だけが東京の夜空のごとく光のくすんだ夜空の下、永遠と続いているようだった。頼りになるのはなにもない。それでも、みえる範囲のかすかな足元だけをみて、一歩、また一歩あるいていった。到達点などない。技術は常に日進月歩で進化し、到達点は遠のく。ある技術は衰退し、ある技術は発展を続ける。複雑に枝分かれするどの先が行き止まりなのかさえ誰にもわからない。そんな道程が永遠と続いていた。食べるためだけならば、他にいくらでもちがう選択肢がある。それを、あえて、私はこの道を選んだ。私が、私であるために。私が、私であるために?


 なぜ、私はこの道を選んだのだろう?
「愚問だなニシオ」
 吉村が言った。なぜ、ここに吉村がいるのか、私は訊いた。
「ここは、ニシオの夢のなか。だから俺がいる。はじめてあったとき、ニシオは俺の知っているニシオじゃなかった。だから、ニシオは本来のニシオに戻るためにこの道を選んだ。違うか?」
 私には自分のことなのに吉村がいっていることが正当な理由なのか判断しかねていた。だから、私は返事を返す代わりに吉村に質問をなげかけた。
「じゃあ、なぜ、吉村はここにいるの?」
「俺か? 俺は、おまえを小説にするためにここにいる」
「小説にするため?」
「おぼえてるか、ニシオ。俺とニシオがはじめてあったときのこと」
 覚えてるよ、吉村。私が吉村と最初に出会った頃。
 あれは、私がまだ微かな期待を抱いていた頃。なくしたはずのその先。誰だって否定したくなることから目を背けていたあの頃。私はいた。休憩所のタバコの煙にまみれる窓の外。夜勤でいつもみる真っ暗でなにも見えないその先を、私は安っぽいソファーにもたれながら眺めていた。私はいったいこの先、どうなるのだろう。いや、きっと、どうなってもなにもかわらない。そう、思っていた。私の人生、なにもはじまらず、なにも終わらない。そんな生き方が一番楽だと思っていた。
「よう、新入り」
 声のするほうを見る私に、ひさびさに親近感がわく姿を見た気がした。金髪童顔のフランス人形のような少女が私と同じみすぼらしい地味な作業着を着て隣に座っていた。背は私よりずっと低い。それなのに瞳に宿る光の強さだけは比べ物にならないくらい力強いものを放っていた。トゲのような禍々しい強さではなく、春の日の日差しのように大らかで広い、それでいて理由もなく見ているだけであたたかい。そんな瞳だった。
「最初にいっておくが、俺は男だ」
 なにかの冗談だと思った。
「その顔、嘘だと思っているだろう?」
 初対面だとは誤認するようななれなれしい言葉で吉村は私に問いかけた。
「いるんだよな。おまえみたいにかってに想像しちゃう奴。先週から入ったんだろ? 知ってるよ、そりゃ、こんだけ職場で浮いてりゃ。もともと、人間関係なんてあってないようなもの、しごく希薄なものだ。そのなかで、これだけ浮いているなんて、おまえって才能あるよ」
 言いたい放題いう奴だな。そう思っているのになぜか憎めない。
「名前は?」
 蒼い瞳の彼に、私は遠いなつかしいミイコのことを想っていた。なぜ、今になってミイコのことを思い出すのだろう。そして私は思い当たった。目の前にいる金髪童顔の彼の瞳はミイコと同じ輝きを放っていたからだ。全てを包み込むような包容力とあたたかさにあふれた力強い瞳。前へ進もうとするエネルギーに満ちた光。
「西尾。・・西尾刹那」
「俺、吉村。シャロン吉村。よろしくな」
 にっこりと笑う彼の表情のあと、私は始めて会話したのかと思えないほど違和感を感じずにいた。
「お、ニシオは笑わないんだな?」
「え?」
「俺の名前。一度、聞いた人間はたいていは笑うか、聞き返すのに」
「そりゃぁ、本人がいるまえで失礼だし」
「そっか」
「そうっす」
「なんで、後輩言葉つかってんの?」
「一応、吉村さんの後輩じゃないですか?」
「そっか」
「そうっす」
「いいよ」
「はぃ?」
「後輩言葉。タメでいい」
「はい」
 そんな短い会話のあと、休憩時間を終えるブザーの耳障りな音が鳴った。
「受け持ちはどこなん?」
「第2ラインです」
「なんだ、俺と同じラインだったのか。俺、詰めのところにいるから」
「私は、ワインダーです」
「そうか。じゃぁ、またな。今日、明けになったらメシどう?」
「いいっすよ」
「ん。了解」
 短い会話だった。それでも、私と吉村が仲良くなるにはこれだけで充分だった。


「おぼえてるか、ニシオ。俺とニシオがはじめてあったときのこと」
 覚えてるよ、吉村。私が吉村と最初に出会った頃。
 闇に映るその光景のあと、私は夢のなかで再び吉村を見た。回想からあけても、私はまだ夢のなかだった。
「俺はあのときからだよ。小説にしたいと思ったのは」
「私もあのとき、小説に夢中だったら、きっと吉村を題材にしていたかもね」
「作家の性だな。興味のある奴をみると抑えられない」
「それは、私も同じ」
「小説家。作家志望、言い方はいろいろあるけど、なれるかな。俺」
「無理だよ」
「じゃぁ、ニシオ。俺はそれに気づいてないのかな?」
「気付いているはずさ。吉村ならとっくに」
「じゃぁ、なんで俺、おまえと一緒にいるのかな?」
 静かな刻のあと、私は考えたのち、それが最初からそうだったようにやはりとぼけて答えた。
「さぁ? 吉村にさえわからないのに、私にわかるはずもない」
 夢のなかの吉村は笑い、そして、最後にこう言った。
「わからないことが不安なんかじゃない。わからないから、きっとたのしいんだ」

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