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Hello World  5, 4/4



   ♀


「起きろニシオ。おきろ・・。 お・き・ろ!! 仕事、遅れるぞ」
「・・・今日、何曜日?」
「金曜日だよ。金曜日の19日」
 まだ朦朧とした頭のなか、今日が内藤さんのいっていた社用で抜ける日だということだけが思い浮かんだ。
「今日は、ニシオの誕生日だろ?」
「そうだっけ?」
「・・・わすれたのかよ。今日で13歳なんだろ?」
「23だよ」
「一人で起きられない23歳がどこにいるよ?」
「ここにいます」
「じゃぁ、起きろ。朝食の支度してあるから」
「うん」

 朝から吉村と会話をしながら寝ぼけまなこのまま着替えを済ませ食卓へと赴くといつも以上に豪勢な朝食が用意してあった。椅子に座り、吉村が座るのを待って、いただきますをふたりで言った。シャケのムニエルにあつあつのご飯。スイートキャロットとほうれん草のそえものがついている。コーンとトマト、レタスが鮮やかなサラダ。クルトンがのったコーンポタージュにいつものブラックのコーヒー。
「今日は特別だぞ。ありがたくかみしめろ。しあわせは地面に近いところにあるんじゃない。目の前のこの食卓にあるんだ」
「手と手のあわせたあいだにあるんじゃないの?」
「つまらないこというなよ」
 自分でいったくせにと思いながら、ありがたくいただく。食卓に並ぶどれをたべても当然のごとくおいしかった。みずみずしいトマトに、シャキシャキのレタス。甘いコーン。バターで香ばしく焼き上げられたシャケと歯ざわりのいいスイートキャロットとほうれん草のそえもの。ほかほかのご飯に、心がほぐれるようなコーンポタージュ。どれをとっても完璧な朝食だった。少なくとも23年間生きてきたいままで、これほどバランスよく心を満足してくれた朝食は今日がはじめてだった。至福のうちに食事を済ませ、コーヒーを飲む頃には余裕をもって起きることのなんと有意義なことかを身にしみて知った。
「やっぱり、早寝早起きは三文の得だね」
「誰がおこしたと思ってる。食器片付けるから、ニシオはテレビでもみてなよ」
「いくらなんでもわるいよ」
「今日だけだっての」
 それだけ言うと吉村は食器を重ねてキッチンへ向かっていった。テレビをつけて、今日の天気をチェックしながら、私は吉村に訊いた。
「吉村、今日は一日、晴れだって」
「そうか、じゃぁ、傘いらないな」
「吉村、ねぇ。吉村っ。星座はなに座?」
「ふたご座」
「・・今日の運勢あんまりよくないね。パートナー運のいい日。『自分が決してひとりで生きているのではない』ということが実感できるときです。人によってはビジネスの面でも協力し合える相手との縁が出てくることでしょう。気をつけなくてはいけないのは、単にひとりでいることの寂しさから逃れるために恋愛や結婚を考えること。『精神的に独立している大人同士なら、一緒になったときにより幸せになれるのだ』と自分に言い聞かせましょう。だって」
「テレビの占いって中途半端な順位の星座って読み上げてくれないよな」
「開運アイテムは、キッチンにカラフルなマスコットやアクセサリーをひとつ置いておくといいでしょう。明るい気分になれます」
「俺にこれ以上、家事をまかせる気か? ニシオはどうなのよ?」
「私はね。結構上位みたい。あ、次の奴だ。好調運の1日です。ついつい気が大きくなってしまい、他の人のことをなんとなく軽視したものいいになってしまうかもしれません。何気ないことでも相手が気分を害するようなことを口にしないように、常に相手を思いやりながら接するように心がけてください。また、あなたにとって何か重要な転機になるようなことがありそうなので、相手との時間を大事にしましょう。開運アイテムは、葉の柄のしおりを仕事がらみで読んでいる本や勉強しているテキストにはさみましょう。だって」
「葉の柄のしおりか。俺、もってるよ」
「嘘!?」
「やるとはいってない」
「くれ。ちょーだい」
「どうしようかな」
「くれよ」
「俺の誕生日に、今日以上のものを用意してくれるなら、そのときになってわたしてやるよ」
「約束」
「するな?」
「する。ところでさ」
「ん?」
「吉村の誕生日っていつ?」
 あまりの唐突な質問に吉村はあきれるのを通り越して背を向けたまま笑っているようだった。
「6月20日」
「嘘、私吉村の誕生日になにもしてなかったよね? 去年の、ほら、6月20日」
「会って、そう日もたってなかったからな。そういえば、いままで俺たちお互いの誕生日すら知らなかったんだよな」
「不思議なもんだね。そんな者同士が今じゃ、ルームシェアしているなんて」
「まったくだ」
 食器を片付け終わると私と吉村は一緒に家を出た。朝の眩しい日差しのなか、私と吉村は会社へと向かう。今日、一日。そして明日も明後日も。いつまで続くと限らないそんな風のなかを私と吉村は肩を並べ歩いていく。


   ♂


 会社のパソコンを立ち上げ、出向元からのメールを確認する。どうやら19時までに向こうにあつまらなければならないようだ。その報告を担当のリーダーに伝えると、今日は余裕をもって18時には社用として抜けさせてくれるそうだ。その分の時給は出向元もちなので出向先にはなんの不利益もない仕組みになっている。吉村にもそのことを伝えると、今日はケーキを買って待っていると返事が返ってきた。
「悪いね、吉村」
「いいよ。それより、新宿からじゃ恵比寿までだと時間あまるだろ?」
「まぁ、そうだけど」
「ちょっと、つきあえ」
「つきあえって?」
「お茶ぐらいできるだろ? 俺も今日は18時にあがらせてもらうからさ」
「そうなんだ」
 いつからか、気付けば私と吉村がひとつの部屋にルームシェアするようになっていて、それがあたりまえになっていた。4月頃からはじまった私と吉村の上京生活。それが、もう半年になる。私と吉村、それぞれがいまだに変わらないまま、変わったことといえば、満員電車になだれ込む人の多さや福島の水とは比べ物にならないまずさの東京の水に慣れてしまったこと。ビルの谷間から見えるくすんだ低い空。遠い昔に感じる田舎の風景。風は冷たく、空はどこまでも高く広かった。あの頃を、私はときどき思い出す。思い出すことは、私にとって忘れてしまいそうになるからだ。ここで一人前になると決めた。そのためにやるだけのことはやるつもりだ。だからこそ、だからかもしれない。私が昔に戻らないために。私は私を変えてみせる。


   ♂


 仕事に熱中するあまり、吉村に呼び出されるまで時間がまわっていたことを私は気付かなかった。
「ニシオ、そろそろいこうか?」
「ああ、うん。もうそんな時間なんだね」
「おまえ、熱中しすぎ。そのうち、燃え尽きるぞ」
「そんなことないよ」
「じゃぁ、いこうか」
 失礼を承知ならが開発ルームに残る人達に挨拶をかわし、外へ出る。新宿駅の方へと歩きながら、私は吉村に訊いた。
「ねぇ、話ってなに?」
「今後のこと」
「今後のこと?」
「そう、今後のこと」
 疑問符が残る頭でオウム返しに吉村の言葉を言うのもなんなので私は黙って吉村の後をついていった。しばらくすると吉村とよく食後に行くコーヒーショップが見えてきた。自動ドアを抜け、いつものコーヒーを頼み、席につく。店内はお昼の何分の一も客が少ない。東京で人の出入りの少ない場所をみると、なぜか落ち着かない自分が意識できた。常日頃から、まわりには見知らぬ人であふれる東京という土地に人見知りの人間が来るとどうなるか。人と人とが交差するこの都市で、この場所で。そのほとんどは地方出身者の似た物同士だというのに、私には他人がもともとからこの場所にいた東京人に見えてくる。
「出会いがないんだよな、この街には」
「え?」
「女だよ、女。こんなに邪魔なほど人があふれているっていうのに、不思議と出会いなんかない。ニシオにもわかるだろ? 仕事以外でニシオ、誰かと話したことはあるか? この街はな無駄に人も物も欲もあふれかえっている。地方のほうがよっぽどシンプルだった。そう思わないか?」
「そう、思うよ。私も」
「こんな街で、ニシオ、続けていくつもりか?」
 唐突に吉村が言いたいことを伝えてきた。それも核心に。
「続けるよ、私は。もう、この場所しか・・・」
「もう、この場所しか、ないんだから。・・・か?」
「そうだよ。そう」
 人波が絶えることのない歩道を眺めていた。明けることがない街を見るように、この眺めは絶対に変わらないだろう。人はなぜ、東京にあつまるのだろう。国外の人達から、地方の人達から、この場所にはそれだけの価値が本当にあるのだろうか。私はときどき感じる。この場所にそれだけの意味と価値があるのだろうかと。
「どこにいたって、自分が変わらなきゃ、なにも変わらないよ」
 吉村が言った。ぽつりと。
「そうかな。東京という居場所がなかったら、私はここに座ってコーヒーを飲みながら、吉村と人の流れを見ていることもできなかったはずだよ。開発もテストもなにもせず、田舎でまだ製造ラインにへばりついて変わらない日々を送っていた」
 人の流れは止まらない。そして、人の心も。私は東京は好きじゃない。それでも、私は東京にいなければならない。それは自分を変えるという手段として。結果ではない。窓の外、途切れることのない人波を見ながら私は考えていた。私も見渡す限りの人波のひとつだということも理解している。吉村はなにも言わなかった。私は吉村の方を見ると、吉村もまた、外の人波を眺めているようだった。
「帰ろうか?」
「え?」
 言うが早いか飲み終わった、カップを片手に返却口まであるいていく吉村だった。
「え、なに。話、あるんじゃなかったの?」
「いいや、もう。帰ってケーキでも勝って酒でも飲んで寝る。ほら、もう、行けよ。集まりがあるんだろ?」
「いや、そうだけど」
 コーヒーショップから出ると、10月の冷たい風が吹いていた。
「じゃーな。ニシオ。新宿から恵比寿だと、電車逆だろ?」
「うん。え、ここで?」
「なにが、あってもきばれよ、ニシオ」
 笑いながら吉村はそう言った。次の瞬間にはあっさりと私に背を向け、人波に溶け込んで見えなくなった。
「なんだったんだろ、いったい」
 つぶやく私の言葉は、いつまでもそこに立ち止まっていた。


   ♂


 恵比寿に着くと丁度いい時間になっていた。出向元の会社のエレベータに乗り込み指定のフロアにつく頃にはたくさんの他の出向社員でロビーは埋め尽くされていた。なかには研修のときに一緒になって学んだ仲間がいたのでその輪に加わり、私も近況を報告しあったりしていると、やはり、他も出向先によって苦労が絶えないようだった。先輩がキツイ性格だの、納期がヤバイだの、ケースは違えど、ほぼ似たようなものだ。話に夢中になっているところへ内藤さんの声がした。これから、社長の話があるということを言って、簡易のマイクを隣にいる社長に手渡す。研修のときに見かけたとき以来見たことがなかった私は生真面目そうな社長の顔を見ながら、耳を澄ませた。
「社員の皆様。日頃のお仕事、誠におつかれさまです。本日、皆様にあつまってもらいましたのは、今後、会社としての経営を認知してほしいということであります」
 緊張感が若干、歪んだようなものに変わっていった。内藤さん、他。人事の人達が手分けしてなにかを配っている。私の手元にもその紙が回ってくる頃には、各所でただならぬ騒ぎ声が聞こえてきていた。紙の紙面に書かれているものを見る。


          告 示

             破産者 ○○○○株式会社

 上記の者に対し、平成19年10月19日午後4時
東京地方裁判所において、破産手続開始決定がなされ、
当職が破産管財人に選任されました。
 本件建物及び建物内のいっさいの動産は、当職が占有
管理するものですから、みだりに立ち入りあるいは搬出
等する者は、刑法により処罰されることがあります。

平成19年10月19日
   破産管財人 弁護士 ○○○○
      

 なにかの冗談だと思った。なにかの悪い冗談だと思いたかった。吉村の言葉を思い返していた。
『なんだって?』
『なんか、社員全員があつまって大切な話があるとか』
『社員全員? ・・・なんか、それってあやしくないか?』
 ・・・
『そうじゃなくって。社員全員というところだよ』
『まぁ、それはあやしいといえばあやしいけど。なにが?』
 ・・・
『だ・か・ら。例えば、経営状態が危ないとか』


「本当に、本当に、申し訳ありませんでした」


 社長がなにをいっているのかさえ、私には到底理解できなかった。最後の謝る言葉だけが頭に響いて、それだけが残っていた。頭を下げる社長。騒ぎが止まない社員の声。感情に満ち満ちた蔑んだ瞳。私は、内藤さんを視線で探したがどこにも見つけることはできなかった。上京し、大変なことはたくさんあったけれど、ようやくこれから全てが上手くいくと思い込んでいた。会社が倒産したその日、そして、私は23歳になった。

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