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銀の弾丸  6, 1/4



   ;銀の弾丸


 いつの頃の話まで遡ればいいのだろう。私がはじめてそう感じはじめたのは、やはり専門学校を卒業して派遣で働いていた頃からだろうか。それまではただの思い込み程度しか感じていなかった。作業開始のベルが鳴り、毎日決まりきった時間に毎日決まりきった作業を永延と束縛時間いっぱいまでやらされる。それは、工場へ出勤して、ロッカールームで自分の着馴れた作業着に視線があうところからはじまる退屈な時間。いつだって、たのしい時間はあっという間に過ぎていく。誰だっていつかは知るのだ。好奇心を失い、日々の繰り返されるパターン化された魅力のない毎日に。いつかはこんな生活から抜け出せると自分自身に言い訳を繰り返しながら。根拠のない葛藤だけが、ひとりきり胸に沁みる日々だった。気付けば、たのしい時間はいつだって終わっていて、そして同時に誰かが必ず止めをさしにくる。それが単なる思い込みから確信に変わったのは確かにこのときからだった。わかっていた。わかりきった事実だった。確かにそこで諦めてしまえばそこで終わってしまう。だが、このまま信じ続けたところで、なんの希望すら差し込んでくる気配はなかった。
 悪い夢のなかにいるようで夜は明けることがないと信じて疑わなかった。たのしい時間はあっという間に過ぎていく。それが事実ならば。私は倦怠にまみれたなかでひとつの逆転の発想を思いついた。たのしい時間はあっという間に過ぎていく。もしも、これが事実ならば。私はいつしかこう思うようにしてみた。たのしい時間はあっという間に過ぎていく。ならば、たのしくない時間を無理やりにでもたのしいと思えるようになれば、どうだろう? 時間は早く過ぎるのではないかと。そして、もうひとつ。私が嫌なことを楽しめば楽しむふりをするほど必ず誰かが邪魔をしにくるはずだと。楽しくないものを楽しいものとして芝居をすれば、楽しいものを楽しくないものとして芝居をすれば、あるいはもしかして・・・。必ず止めをさしにくる。誰かはわからないが私にはそんな予感があった。信じるものがなく、頼るものもなく。だから、きっと私にはためらいというものをしばし忘れていたのだ。
 それから数ヶ月、私はなぜか気付けば上京していた。すべては後になって気付くもの。私の考えが私のなかで結末を向かえるその日まで。


「これから、私は生きていく。自分に嘘をつき、他人に嘘をつき。そして、自分が誰なのか、わからなくなるまで。だが、それが、私にとって次の一歩となるのなら。私がいつか振り返るときがくるまで。私は私を止めることをしないだろう」
 吉村が書いたゲラを丁寧に私は読んでいった。序章の最後の台詞を言葉に出してページは終わる。
「どーよ、ニシオ。俺の小説は? 正直に言っていいんだぜ、正直に」
 なぜか自慢げに私の前にゲラをよこした吉村が、なぜこうも自信満々なのか、私には理解できない。
「そもそも、このギャグショーってタイトルはなに?」
「いかしてるだろ?」
 午後の退屈な時間つぶしにでもどうだろうと計ったように吉村が話しかけてきたのはそういうことだった。
「うん。いかれてるね」
 にこやかに言葉を返してみると吉村も「だろう」といってにこやかになった。
「とくに、この物語の主人公、異常に陰気だよ。こんなの誰もお金を払ってまでして読みやしない」
 私が散々にけなしていうと、吉村はにこやかな表情を崩さずに言うのだ。
「その物語の主人公のモデルはおまえだよ、ニシオ」
「あぁ、なるほどねって、かってに書くな!」
 期待通りのツッコミに満足げの吉村は部屋に響くほどの声で言う。
「物語にはギャップが必要だ。クソ陰気な中身だったら、タイトルはこのくらいおちゃらけてたほうが丁度いい!」
「誰がおちゃらけだって? 誰がクソ陰気だって?」
「あくまで物語のなかの話だよ。物語の」
 電気ポットからインスタントのコーヒーを入れて、私のマグカップと一緒にテーブルの上に置いた。自分のぶんのマグカップを両手で抱えながら、吉村は言う。
「いつかはニシオのことをちゃんと小説にしたいと思ってるのさ。なんたって、俺がここにいるのはそのためも含んでいるんだからな」
 吉村が私と一緒にいる理由。それはつまり、そういうことだったのだ。
「でも、それは、いつかは終わるんでしょう?」
「いつかはな」
「いつのことになるかわからないけど、そのいつかが終わったら、その後はどうするの?」
 私は私を見つめながら吉村に訊いていた。マグカップのなかに浮かぶコーヒーに映る私だ。両手で抱えた私は心地いいほどあたたかく、どこかなつかしいくもあり、どこかとりとめのない気持ちになった。
「気のみ気のまま」
 それだけ言うと吉村はそれ以上、なにも言葉を発しなくなった。
 人は、・・・人はいつしか自分を探すようになるのだろうか。私が派遣を辞めたように。神谷が帰郷したように。吉村もまた、自分を探しているのだろうか。
「いつになるにせよ、俺は俺が決めたことに従うだけだから。そういって、最後までついてきた吉村は私に言ったのでした」
「・・・なにそれ?」
 吉村は私に言った。
「その序章の続きだよ。今、思い付いた」
 私はなぜか、吉村の生き方が嫌いではない。むしろそれは私が求めていた生き方そのものかもしれない。社会を斜め視線で見上げ、常に自分はその脇を傍観者の立場で通りすぎていく。吉村が書いた小説に出てくる私も以外と噛み合っていた。一見、真面目に見えるが内心は自分勝手で、どうしようもなく自分に甘い。ただ、ひとつ。私がどうしても納得がいかないのは、このタイトル。
「やっぱり、私はギャグショーなんて変なタイトル嫌いだね」
「嫌いっていってもね。俺の小説だし」
「嫌いなものは嫌いなの。今すぐ変えてよ。じゃなきゃ、私主役降りる」
 飽きれたように吉村は言った。
「おまえ、なにもしてないだろ?」
「じゃあ、出演料。なんでもいいからよこして」
「プログラムを教えてる。それでギャラはチャラだ。それにな、俺はこのいいかげんでくだらないタイトルが好きなんだ」
 休日の空を見上げ吉村の視線はどこか遠くをみているようだった。もうすでに、月日は11月に突入しようとしていた。破産手続開始決定というあまりにも一方的な事実をつきつけられてから1週間が過ぎていた。出向先の要望であと数日だけは今の開発チームに存続することができるのだが、私と吉村が一緒に仕事ができる期間はつまるところ、そのあと数日というわけだ。
「雲がおおいな。ひと雨くるかもな」
 どこか呆けた声で吉村は力なく言った。
「私は、雨なんて嫌いだよ」
 吉村が私を見た。
「俺は好きだよ」
 私が信じられないといった風に問い返す
「なんで? 雨なんて、じめじめしてて、どんよりしてて、いいことなんてなにもないのに?」
「俺は好きだよ。マイナスイオンがたくさんでるから。だから、雨の日は最高なんだよ」
「なにそれ?」

 私が冷たくそういうと、吉村はやはり空を見上げ今にも降りそうな雲に向かってポツリと言った。
「そう、教えてくれたはずだろ?」


   ♀


 もうすぐクリスマスか。街のあちらこちらで小さく明かりの灯る電飾が配置しはじめていた。取り付け途中の電飾に、気の早い店の窓には雪のようなスプレーで縁取られたトナカイのガラス絵が描かれている。もうすぐ、あと数週間もしないうちに街にはやけに浮かれた音楽がながれ聞こえてくるはずだ。夕飯の買い出しに出かけた私と吉村が見たのは毎年恒例のイルミネーション、その完成前だ。お祭り騒ぎが好きな日本人だけあって、毎年恒例のイベントもいまの私にとっては単なる皮肉にしか感じなかった。気分転換に外へ出てみれば色付いた希望ある若者たちで街は賑わっていた。まだクリスマスイブでもクリスマスでもないというのになぜか私以外の他の誰もがしあわせそうで、幸福につつまれているように見えてしまう。
「もうさ、どうでもよくなっちゃった」
「そんなこと、言うなよ」
 冗談のつもりで言った言葉なのに、吉村の声は冗談には聞こえなかった。
「冗談だよ。冗談。ほら、まだ私って若いし。23だよ? ピチピチなんだから」
「例えが古い」
「例えが古くても、私のお肌はまだ水をはじく!」
 自信満々にそういうと不思議と腹に力が沸いてくるようだった。地に足がついていることを実感する。くだらなければ、くだらないほど。言えば、言うほど。街を歩くたびにアベックがいちゃつく嫌な季節だとしても。大人になればわかるのだ。見えてくるのだ。見えてしまうのだ。実はクリスマスほど欲にまみれた季節などそうはない。チキンやケーキを大量に売りさばく商売欲。男と女が秘密を交わす性欲。そして、なにより大人が子供に愛情を素直に表現できる季節なのだ。
「せいぜい、子作りに励めよ、青年ども!」
「お、おい。ニシオ!」
 通り過ぎるアベックが蔑むような眼で通り過ぎ、またあるアベックからは完全に存在を除外された。家を出る前に酒を大量に飲んだのがまずかった。言ってはいけないとわかっていながら自制がどうにも止められない。吉村も失敗したといった顔で一歩後ろをただひたすらついてくる。寂しいはずなのに。虚しいはずなのに。なにがおかしいのか、笑いが止まらない。
「もう、帰ろうニシオ。今日は家でおとなしくしてよう?」
「帰らない!」
「帰って勉強でもしよう?」
「しない。燃え尽きた!」
 いい加減な言葉だけが絶えることなく口をついて出てくる。そして、私はよりにもよって、南口の交番横にある広場で、こてんと果ててしまった。ここには集英社のあの有名な週刊誌に出てくるキャラクターの銅像がある。その真横に私はこてんと倒れ力つきた。
「目立ちすぎだよ、ニシオ。せめて通りの裏に」
 私よりも背が低い吉村の肩をかりて、交番の裏手にある広場のベンチにたどりつくころには、私の酔いもそうとうなものになっていた。
「酒癖わる。酒癖悪いよニシオ。絶対小説に書いてやるからな!」
「おう、書いてみれるなら、みせてみせろ」
 吉村も隣でこてんとベンチに座ると、会話のないまま時間がながれていった。吉村が私の酔いが醒めるまで待っていてくれているのか、それとも小説の構想でも練っているのか私にはわからない。ただ、私には、会社がつぶれるという事実だけが重く圧し掛かっていた。それを一時的にせよ忘れたかった。ここ数日、ろくに熟睡できた覚えすらない。夜は悪夢にうなされ、朝昼は胃がきりきりと痛む。食欲などないも同然だった。重い瞼を閉じて、火照った頬に肌寒いはずの風が心地よかった。ベンチに座り眠りに堕ちる前、私は最後に心のなかにあるただひとつの事実を言った。
「こんな姿、吉村にしか見せられないよ」


   ♀


 私の寝室に女のような男だと思えない男が立っている。
 金髪、童顔、藍色の瞳、短身。赤いジャージで私が青いジャージ。
「そんなこんなで、また明日から会社ですが」
「嫌だ。会社行きたくない。お家にいる」
「出社しようね。なにがなんでも出社しようね?」
 にこやかに微笑んで言う吉村がどうみても子供をあやすそれになっているのはこの際、どうでもいい。いや、正直どうでもよくはないのだが。女の部屋に男なのか女なのかわからない男がいるというのに、そいつから一方的に説教をくらわされる私の立場にもなってみろ。
「出社オーライ。プログラミング上等! リピート・アフタ・ミー?」
「ノー! アイキャンノット・スピーク・イングリッシュ!」
 こうなったら、根比べだ。布団にまるまり、じっとしているが、しばらくたっても吉村からなんの反応も返ってこない。様子を伺うためにゆっくりと布団の端から部屋の隅にいる吉村を見上げると、子馬鹿にしたような表情で吉村が私を見下していた。
「23歳にもなって、アイキャンノット・スピーク・イングリッシュって・・・」
「おまえが、振ったんだろうが!」
 がばっと布団をほうりだして気付けば、吉村のほうに私からつめよっていた。
「なに? ベンチに放置していったのがそれほどショックだったのか?」
「違うわ。だいたい、女ひとりベンチにおいといて、ひとりだけ買い物して帰るほうも帰るほうよ!」
「いや、あれはいたしかたなかったんだ。二人分の食料とニシオを背負ってマンションに帰るなんてさすがの俺もこの身長差では無理というわけだったんだよ」
「なーるほどう。それで吉村は、私より食料を選んだと?」
「ちゃんと起こしてもらえたじゃん。お巡りさんに。俺が帰ってから電話しなかったらニシオ風邪ひいてたよ。風邪こじらせて死んでたかもよ?」
「携帯に電話しようよ。携帯に。突然、おこしてもらったと思ったら、お巡りさんがふたり、私の前にたってたんだよ? どんだけ、怖かったことか。吉村だと安心して目をあけたら警官だったんだよ?」
「いや、悪かった。ニシオがそこまでショックを受けるとは思わなくて」
「もう、いい。わかったから今日は寝る。土曜は吉村のゲラを読まされて、日曜は警官に起こされて今週末は最悪だったわ」
「会社は?」
「いく。いくよ。行けば文句ないんでしょ。さ、吉村も自分の部屋に戻った戻った!」
 寝室から吉村を追い返して、静かになったところでこれが吉村の戦略だったことを改めて気付かされる。なんだ。そうか、そういうことか。結局はいつものとおり、手のひらで踊らされているのは私のほうなのだ。
「はぁ」
 考えるのも疲れた。寝よう。
 そう、思えるのだが、なぜか眠れない。これから先、いったいどうなっていくのだろう。それだけが堂々巡りに私のなかで渦を巻いていた。まだ、23歳。されどもう、23歳。まったくもって先が読めない。エンジニアにとって35歳定年説があるように、節目は30歳前後だ。それまでに自分の居場所を決めなければならない。時間はまだあるとはいえ、そう、おちおち考えることができるのもあと7年だ。
「わからないよ、ミイコちゃん」

 毛布を抱きながら考えてみたところで、なにも答えなどでなかった。眠気のないまま起き上がり、上京してきたときに持ってきたアルバムを開く。幼い頃。私には、なかのいい友達がいた。新垣未依子。彼女には夢があった。はからずもその夢は叶わなくなってしまったが。よく、ふたりして悪さをしてはミイコちゃんのお母さんに怒られたものだ。私の母以上に真面目で熱心でやさしい涙もろいお母さんだったその人とは、かなりの間、会っていない。ミイコちゃんなら、どうするだろう。いじめられっ子だった私の身方。私の憧れ。しかし、その人はもう、ここにはいない。そして、いつからか私の前からいなくなってしまった。思い出すのはミイコちゃんと神谷、そして吉村。私の手に残っているもの。30歳になった頃の私の手の中に残っているのは捨てられない思い出と、あとはなにが残っているのだろうか。漠然とした不安のなか、私はひとり押しつぶされそうな圧迫感を感じていた。

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