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銀の弾丸  6, 2/4



   ♂


 ダイニングキッチンに寝ぼけ眼の吉村があらわれた頃には食事の用意はもうすでにテーブルに用意できていた。くしゃくしゃの金の細い髪をして、いまにも眠りに堕ちそうな藍色の瞳。赤いジャージで瞼をこする姿をみればどこをどう見ても子供にしか見えない。青いジャージの私は髪をひとまとめにしたポニーテールの頭でキッチンにたっていた。そして、あたりまえのようにキッチンへ向かう吉村のその姿を目撃したのだ。
「今日は、私がつくってあげたよ」
「うん? そうか。顔、あらってくる」

 これから眠りにつくような声で吉村は言うと洗面所のほうへあるいていった。しばらくして、テーブルにふたり、腰を落ち着かせる頃には狐色に焼かれたトーストとレタスとトマトのサラダ。それと、コーヒーとブルーベリージャムの小瓶が鎮座する朝食がテーブルに広がっていた。
「ふつうだな」
「ふつうで悪かったな。嫌なら食うな」
「誰も嫌だとはいってないよ」
「言ってなくても、思ったんじゃないの?」
 吉村は私の質問に答えるのが面倒なのか、トーストに小瓶からすくったブルーベリージャムをひとくち分のせるように塗ると口をおおきくあけてシャリッと音を鳴らし噛み付いた。
「わるくないな」
「調子いいの」
「わるくないよ」
 コーヒーをひとくち。ブラックだけど、口に残ったブルベリージャムの甘酸っぱい味がする。私と吉村は、そして、いつものように出社の支度を整えていった。毎日の朝と同じ。透き通るような冬の乾いた青空を私と吉村は見上げ、肩をならべながら歩いていく。この一瞬、一瞬が私に残された人生の最後のように感じてしまう。不思議と吉村とならば、それもわるくないなと思えてしまえる。いつものように、そして、いつも通り。私と吉村は会社へと向かう。


   ♂


 いつものことながら、私にはプログラミングの才能などスプーンにすくう砂糖いっぱい分もないのではないかと思えることが絶えることがない。プログラマにとって、脱初心者の壁が最大の壁であるように、私にはまるっきり基礎がないのだ。客先相手の人間力も霞むほどしかない。したがって、マネージャ職の素質もあるわけがない。私にとって、なにが一番重要であるか。失敗しないことである。だが、思い返せば、私の半生は失敗の連続であり、成功した例などないに等しい。私は私が嫌いだ。私は私のいいところを言えない。私は私の価値がまるっきりわからない。それなのに、今までいろいろな人が私を助けてくれた。吉村。神谷。そして、私は覚えている。幼馴染で私の一番の友達だったミイコちゃんを。私とミイコちゃんが夕日に暮れる空のなか、ブランコをこいでいたあの日のことを。
『私にもいつか見付かるかな、夢』
『いつか、きっと見付かるよ、セツナちゃんなら』

 あれから、私はミイコちゃんの言葉を信じて生きてきた。感情論に頼らず、私の思うままに。私にはなにもなかった。なにもなかったという事実だけがあった。だから、なにも失くすことがないと思っていた。ミイコちゃんがいなくなるまでは。あれから幾年たっただろう。私は元気だよ。そう、言えるようになりたかった。なにもない私にとって、これは私が大切な、まだ名前もないものを手にするための長い旅なのだ。そして、私は手にし、そして雪の結晶のように幾度も溶けていった。まだ名前もないものを手にする長い旅は始まったばかりに過ぎない。
「いままで、本当にありがとうございました」
 頭をあげると、そこには吉村の、リーダーの、そして、これまであたたかく見守ってくれた仲間の表情があった。
「たいしたこと、教えられなくてごめんね」
「いや、そんなことないです」
 短い期間のなかで蝋燭の火が消えるように私の心は消沈していった。
「おつかれさま」
「ありがとうございます」
 そして、私は開発室のドアを閉じた。
 最後に見たのは吉村の私を見送る言い表せない複雑な表情だけだった。開発室があるビルを抜け、新宿の高層ビル群が列挙する空を見上げ、人ごみに混じる。最後の勤務表を手に私は恵比寿へと向かった。山手線の窓から見る東京の色をながめ、私はひとりになった。ひとりになるつもりもないのに、いつだって気付けばひとりになっている自分がいた。つまらない感傷を捨てて、恵比寿から出向元へと帰る。ビルの扉を開けると、そこには内藤さんがいた。夜に近いビルの外を見ていた内藤さんは、私のあけた扉へとゆっくりと顔を向けたところだった。
「久しぶりです。西尾さん」
「ご無沙汰してます」
「今日で最後ですか?」
「はい」
「・・・結果的に、こうなってしまいましたが」
「後悔はしてません。内藤さんがいなかったら、私はここにいることさえ叶えられなかったんですから」
「いつも、そうやって生きてきたんですか? 西尾さんは強いですね。他の人は必ずなにか開口一番文句が飛び出すんですがね」
「倒産することになったのは、社長のせいですから。私と内藤さんはただの債権者です」
「・・そうですね」
「給料、全額は無理なんですよね?」
「はい」
「今日は、私が最後ですか?」
「そのようですね」
「じゃぁ、一杯、どうです?」
 私は自販機の設置されているところを指をさし、内藤さんを誘った。
「コーヒーでいいですか?」
「はい。コーヒーで」
 あたたかい缶コーヒーをふたつ。私は内藤さんにそのひとつを手渡した。
「お金は?」
「いいですよ。私のおごりです。私が女っていう事実の口止め料として受け取ってください。今後、一切、この事実を口外しないことを約束に」
「西尾さん、あなたいつまでそのままでいるつもりですか? その、・・男装してまで」
「できるまで、ばれないまでです」
 プシュッと缶のプルタブを起こして、私と内藤さんだけのカフェが恵比寿のビルの地上8階で開かれた。
「ここから、全ては始まり、ここで終わる。素敵じゃないですか」
「まだ、終わってないですよ。西尾さん。あなた、まだ、相当お若いはずでしょう?」
「若いだけです。それしかないんです」
 なにかが終わるとき、それは同時になにかが始まるときだと私はどこかの小説で読んだことがある。なにかが、終わり、なにかが始まる。それは、つまり振り出しに戻るということだ。
「ネバー・トゥー・レイト 挑戦は時を選ばない」
 内藤さんは一瞬、私の横顔を伺い、私と同じくビルの外へと視線を向けた。

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