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はじまりの記憶  7, 1/3



   ;はじまりの記憶


 物心がついた頃から、私は世間一般的にいう普通の子供だった。実家は農家をやっていて、父は私が産まれてから農業を辞め、運送会社で働くようになったぐらいの変化しかなかった。一人っ子で、兄弟はいない。そういう子供は大切にされると世間はいう。私はどうだっただろうと、ふと思い返せば、兄弟のいない私にとっては比較しようにも兄弟がいないので比較しようがないことにいきつく。稼業を継ぐ気もなかった父は、幼い頃の私に自由に生きていってほしいといったことがあった。その言葉を聞いて私は逆に不安になったものだった。稼業をつがなければ、私は将来、なにになっているのだろう。祖父に相談にいったことを覚えている。私には、なにかやりたいことがあるとか、好きなこととか、そういったことがなにもなかった子供だった。祖父は私にいったことを私はなぜか、覚えていない。だけど、祖父がいってくれた言葉で、そのとき、私はそれまでもっていた不安がだいぶやわらいだことだけは覚えている。幼かった頃、私がいつも遊んでいた公園での話だ。

「夢はもったほうがいいよ」
 友達のミイコちゃんに言われた。
「そおかな。でも、私には別に好きなことなんてないし。ミイコちゃんは夢あるの?」
 学校が終わって、私とミイコちゃんは駄菓子屋で買ったスナック菓子をたべながら公園のブランコでお話をした。
「私はね、実家の料理屋を継ぐの。お母さんと一緒にね」
 ミイコちゃんの家は母子家庭だった。小さい頃の私には、母子家庭という意味がわからなかった。だけど、ミイコちゃんの家が、普通の家でないことは幼心でもなんとなく気付いていた。ミイコちゃん家に何度お泊りにいっても、一度もミイコちゃんのお父さんに会わなかったし、それを私の祖父に話すとミイコちゃん家にはお父さんがいないということを教えてくれたからだ。なぜ、ミイコちゃんにはお父さんがいないのか、疑問に思っていても祖父からは訊いてはいけないと釘をさされていた。
「私にもいつか見付かるかな、夢」
「いつか、きっと見付かるよ、セツナちゃんなら」
 子供の頃。私には夢も、好きなこともなかった。でも、今になって振り返れば、あの頃一番好きだったことは、放課後にミイコちゃんと駄菓子を食べながらお話をして、なにげない遊びに笑顔することだった。高校を卒業してしばらくたった頃、ミイコちゃんは交通事故に巻き込まれ死んだ。即死だった。葬儀の日になって、はじめてミイコちゃんの父親の顔を見た。ミイコちゃんの父親は幼かった私に祖父が口止めさせるほどの遊び人だということ葬式のあとからだいぶたって聞いた。ミイコちゃんのお母さんは泣き崩れ、はじめてみるミイコちゃんのお父さんはミイコちゃんがいるはずの棺の奥を虚ろな眼差しで覗き込むだけだった。

 普通の家庭で産まれ、普通の親に育てられた私には、夢がなく、普通の家庭じゃない家で産まれたミイコちゃんは、お母さんと一緒に料理屋を継ぐという立派な夢を持っているのに死んだ。きっとこの世界には神様とかいう存在はいないのかもしれない。なぜ、私が不幸にならず、ミイコちゃんがそうなったのか。夢もなく、やりたいこともない私にとって、自由に生きることがわからなかった。私はあのミイコちゃんの葬式の日から、ミイコちゃんの分まで生きなければいけないはずだった。私は誓った。亡くなったミイコちゃんのぶんも私はミイコちゃんのように生きなければいけないと。

 誓ったのに。
 そう、誓ったというのに。

「鞄のなかを出しなさい」
 柱時計の音しかしない、時間が止まったかのような本屋に平積みにされていた、一冊の文庫本。背表紙が夜の青い景色に、私は最初に手を伸ばした。花村萬月著書の夜を撃つという文庫本だった。その日、私は産まれてはじめて万引きという行為をした。近所のおじいちゃんがいる本屋。そこで私は過ちを犯した。偶然近くにいた客に万引き行為を咎められて捕まった。あまりにもなさけなく、そして惨めだった。

 専門学校に通ってはいたが、それが本当にやりたいことだったのか。
 夢も、やりたいこともどこかがあいまいで、私はゆらいでいた。
「なぜ、こんなことをしたの?」

 おじいちゃんがいた。見慣れた近所のおじいちゃんだ。
 店の奥にある、古ぼけた畳座敷に私は正座していた。目の前にはついさっきまで手にとっていた文庫本が机の上においてある。
 私のなかにはなにもない。空っぽで、なぜなにもないのかわからなかった。
「つい、・・・できごころで」
「おじさんは、刹那ちゃんがこんなことやる子だとは思ってなかったよ」
 いつからだろうか、私の居場所がここにはないと感じはじめたのは。
 はじまりの記憶。それは、あいまいで、記憶をさぐれば、いつだって思い浮かぶのはミイコちゃんと夕方のブランコで駄菓子を食べながらお話をする場面だった。今となってはすべてがなつかしく夢だったのではないかと思うほどしあわせで、暖かかったというのに。
「親御さんを呼ぶよ。いいね」
「・・・ま、まってください」
 私はとっさに黒電話へむかうおじいちゃんに手を伸ばした。

 いつからだっただろうか。
 私が空っぽになってしまったときは。


   ♀


『ドタンッ』
 音が響いた。開いた瞼の先に、なつかしいフローリングの床がみえた。
 そうだ、私は。なぜ、ここにいるのだろう。
 意識がだんだんと戻ってくる。仰向けに体制を変えると、床から天井に視線が移る。懐かしく古めかしい部屋の蛍光灯があかりを消した状態で目に映った。実家に帰ってきてたんだなと他人事のように思いつく。それと同じく、ベッドから転げ落ちた衝撃で夢から覚めたこともわかった。あのあと、私は、父と母にこっぴどく怒られおじいちゃんの良心で警察ごとにはならずに済んだ。おじいちゃんの本屋には、あれから一度だけ行ったことがある。

「すいません。これを、ください」
 私が手にしていた本。私が以前、万引きしそこねた背表紙が夜の青い景色の文庫本。私はおじいちゃんの本屋でそれを買った。今でもはっきりと覚えている。小さい頃から顔見知りでよく親身にしてくれた近所のおじいちゃんは、そのとき、私を見たのだ。いままで私に向けることのなかった怪訝で不審な者を見る目付きだった。私は、鼓動が早まった。なぜ、おじいちゃんはそんな目で私を睨み付けるのだろう。わかっていた。万引きをした日から、それまでの普通には戻ってこれないことぐらい。だけど、実際、目の当たりにすると、無意識に罪悪感で苦しくなった。それまで親身にしてくれた人を裏切った報いとして、切り捨てられた痛み。あからさまな態度の変化はなぜか私を引き付けていた。


 人はどうしてこうも簡単に変われるのだろうか。
 それでいて、なぜ、私は変われないのだろうか。
 私のなかでひとつの矛盾が生まれた。
 だからかもしれない。私が小説を書いたのは。
 私も小説をかけば、わかるんじゃないかと思った。
 人が変わるということが。


 人間観察にはじまり、小説を構成するプロットの構築。なんどもなんども、未熟な自分の文章に推敲を重ねた。
 それで、出来上がったのは、目も向けられない駄作だった。それは、まるで未完成な私であり、不安定な私、そのものだった。次の日から、一節一節文書を書き加え、削り取り、私は私の物語を書き連ねていった。止まった時間を必死になって埋めるように。それはきっとミイコちゃんと私にある想いの時間の差そのものだった。私にはなく、ミイコちゃんにあるもの。夏が過ぎ、秋になり、冬が来て、春になる。そうして、私は書き続け、ひとつの答えがわかった。私では、無理だと。それからは、本分だった情報処理の勉強に本腰を入れてシフトし、神谷の支えもあって、私はなんとか国家資格を手にすることができた。私は馬鹿だった。大馬鹿だった。だから、しごく当然に派遣の仕事をしたのだ。最初からわかっていた。こんなことでは長く続かないと。
 ゆっくりと、倒れていた姿勢から起き上がり、私は自分の部屋を見まわした。見慣れた本棚に、見慣れた、時計。子供の頃からもっているぬいぐるみに、両親から買ってもらったラジカセ。すべてのものが見渡せる。私の過去の、すべてが詰まっているこの部屋に私は戻ってきていた。


   ♀


「おはよう」
 私には節子という、これまた小説にでてきそうな母親がいる。時代錯誤的なセンスの一文字違いの親子。いまどきどんな安っぽい小説でもそれはないだろう。
「おはよう、じゃないわよ。遅いよ。今、何時だと思ってるの?」
「正月ぐらいゆっくりと休ませてもらってもいいじゃない」
「正月ぐらいねぇ。あんたの仕事ってそんなに忙しいわけじゃないでしょう?」
「忙しいよ。それなりに」
 冷蔵庫から牛乳の紙パックを取り出し、コップにそそぐ。一階に下りてきてあらためて窓の外を見れば、やはり一面が雪で真っ白だった。二階から眺めたような白い絨毯がどこまでも続いている。この調子では今日は南湖公園に行くのは無理そうだった。せっかく地元に戻ってきたんだ。神谷にも、ミイコちゃんのお母さんにも顔を合わせて久しぶりに話でもしたい。
「そういう母さんだって暇そうだね。相変わらず」
「馬鹿言わないでよ。私だって忙しいんだから」
 御節料理の準備が終わっているのか、主婦の義務である初売りのチェックをしている。いつもの倍以上もある新聞のチラシを年に数回しか見ることはできないであろう、真剣な眼差しで一枚一枚チェックしていく。私もいつか、こんな母のようになってしまうのだろうか。なんとなく一文字違いの母を見ていると考えてしまう。
「ねぇ、母さん」
「なによ?」
「いつかは帰郷してくれないと困るよね」
 それまで真剣な眼差しでチラシを追っていた母の目が私に向けられた。あっけにとられたような、ぽかんとした視線を向けてきた。
「驚いた。あんたの口から、そんなことを聞けるなんて。熱でもあるのかしら?」
「いつまでも子供扱いしないでよ。いつまでも子供じゃないんだから」
「ごめんごめん。でもね、刹那。あんたが帰ってきてもこなくても、家は大丈夫だから。それにあんた、家に帰ってきても農業しかやることないんだから、あんたが帰ってきたところで家計の負担がひとり増えるだけよ。だから、帰ってくると私たちが迷惑するわ」
「ひっど!」
 私は能弁な母を信じられないといった目で見た。それでも、ボーカーフェイスを装い、にこやかにからかうように笑う母はやはり、いつもの母なのだ。
「せめて、あんたが男だったらね。力仕事でもおしつけてこきつかえたのにね」
「・・・まぁ、ある意味、男だったけど」
「なんかいった?」
「別に」
「ああ、怒った怒った。そんなに怒らないでよ」
「だれが怒らせたと思ってんのよ?」
「刹那のそのツンとした表情、ママ好きよ」
「人の話を聞け!」
「まぁ、いいわ。あんたがどうしようと。私たち家族に迷惑かけない範囲で好きなことやんなさいよ」
「・・・それが、親の言葉かよ」
「私はあんたが独り立ちするまで育児という義務もこなしたし、これ以上なんの義務があると思ってるの? あんただって、とっくの昔に義務教育済ませてあるんだし、もうこれからはやりたいことやりたいほうだいじゃない。そうでしょう?」
「まぁ、それはその・・・」
「上京して、やりたかった仕事に就いて、それでなんで帰郷する意味があるの?」
 母には敵わない。そしらぬ顔をして言いたいことは断固として曲げない。問うような視線を投げかけてくる母にやはり私はなにも言い返すことはできない。
「ごちそうさま」
 牛乳を飲み干し、コップを置くと私は席を離れた。
「朝食は?」
「いらない。ちょっと外出かけてくる」
 身支度を済ませ、玄関を開けたところで父と出くわした。
「おう、久しぶりだな。どこか行くのか?」
「ちょっと、南湖公園まで。それと父さん?」
「うん、どうかしたか?」
「父さんも大変だね。じゃぁ、行ってくるよ」
「・・・おう、行ってらっしゃい」
 笑顔を向ける私の表情に、父はなにをいっているのかわからないといった表情を返していた。

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