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クソッタレ解放区


vol_1.5   一歩



 夕日が差し込む窓辺の席に僕は何ヶ月かぶりに座った。高校生の頃以来だろうか。
 僕はすでに大人になっていた。二十歳と数ヶ月と数日。
 悩んだ顔。いつも悩んでいた。昨日も今日も明日も。ひきこもり続けた日々は僕のなにかを崩していった。
 誰とも関わらなくとも僕自身で自己嫌悪してなにもすることができなかった。なにかをするという挑戦的な事などと思い、無力な自分を責めたてた。なにもない夢。自分は他人と違うと本気で思っていた。
 だから僕はなにもしなかった。なにも理解されないと思っていた。ただの一歩も踏出さずに僕は最初から認めていたのだ。
 自分自身の弱さに。

 絵の具を溶かし入れたようなオレンジジュースの水面に数ミリほど刺しこむ。
 白く細いストローの吸い口を指で塞ぐ。そっと持ち上げて、ミミズのようにちぢれたストローの包み紙に水滴をたらすと、さっきまでちぢんで動かなかった無機物の紙ミミズは、にゅきにゅきとちぢんだ身体を戻すように動いた。


「なにしてんだ?」
「紙ミミズ」

 ファミレスの店内には4時頃とあって客は下校途中の学生たちがだまになって楽しそうに喋くっている。横目でみるとなにがそんなに楽しいのだろうかと疑いたくなるようなほどの笑い声が聞えてくる。
 日常のこんなささいなことも久しぶりに見るとおかしなものだ。僕の目にひとまわり太った女の子がデザートのチョコパフェを独特の持つところが長いスプーンですくって食べる瞬間があった。世界の片隅では何も食べられずに餓死する子供もいるのに無駄にカロリーを消費しようと無理にダイエットする奴もいる。
 彼女はどう考えているのだろうか。

「ストローの袋を潰して水をたらすと動くって奴か。おもしろそうだな」
「いや、意外とおもしろいよ」
「どっちだよ」
「おもつまらない」
「・・・」
「黙るなよ」
「なんか、間が抜けてな。そもそも正登がこんなに喋るとは思ってもみなかった」
「たまに喋るとハイになるんだ」
「そう言われればいつもはダンマリ決め込んでたな。っていうかさっきまでダンマリだった」
「脳内ホルモンが溜まってんだ。興奮成分とか。チンカスとか。吐き出さないとおかしくなる。今、なってんだろ。ときどき吐かないとな」
「自己防衛ってやつか」
「それもあるけど。・・いたたまれなくなる。俺は透明人間じゃないってな。身体が熱くなる」
「ひきこもりも楽じゃないな」
「もう、ひきこもりじゃないよ」

 左の膝を立てて右手のストローでオレンジの中で浮く透明な氷を回す手を止めて一瞬、目線を文太へと向けた。
 水滴に濡れるグラスがカランと涼しげに一回だけ鳴った。

「悪い」
「あやまるな。本当のことだろ」
「じゃあ、謝らない」
「・・・いや、それはそれでムカツク」

 ふぅ。最初に溜息を漏らしたのは文太だ。
「なにか言いたい事があるなら言えよ。なんなら今ここで吐き出してもいいぜ。何か溜まってんだろ?」

 文太は僕に真っ直ぐ視線を向けた。
 僕の心の中でなにが溜まってるって言われても、別にこれといって方向性のあるモノではない。だから話せよと訊かれても漠然と解決法の見つからないような愚痴に近いことしか言えないのだ。
 仕方なく僕はこの目の前にいる哀れなひきこもりを助けようと偽善ぶっている奴になにか言わなければならない気がした。僕にとって、この世で一番嫌いな人間は動物保護とか環境汚染とか人間愛とかぬかしているのにいざとなったら自分だけ逃げるような偽善者だ。
 そして、僕の目の前にいる奴とそれが重なって見えた。

「文太はさ、夢があるらしいけど、もしもその夢が叶わなかった時の事とか考えた事は?」
「ない」
「嘘だね。そんなに意志を貫ける人間なんていない。文太が夢に向っている姿は他から見れば気持ちいいけどさ、ムカツクんだよね。夢にひたすら追いつこうとしてる奴。わかるかな。一直線で何も見えてない。現実すらも」

「・・・」
「・・・」

 沈黙を文太が崩した。

「見えてないか」
「見えてない」

「なにが」
「なにがって?」

「正登はなにを見たって言うんだ。ひきこもってたんだろ?」

「・・・」

「違うのか。ひきこまなきゃ見えないものでもあると?」
「たとえば人間の醜さとかか?」

「・・・」

「それは違うよ。妄想だ。君の頭の中の妄想だ。現実じゃない。それは現実とはいえない」

「だろうな。でも、僕の感じたものは? じゃあ、本当に妄想だったんだって割り切れるものかな。少なくても僕は割り切れない」

「・・・」
「・・・」

 幾分か暗くなってしまう。やはり、気楽に人の悩み相談など訊かないほうがいい。誰かと一緒にいて沈黙が間、間にはさむのは、ひとりのときより耐えられない。

「あ〜、やめやめ。こんなこと喋くっちゃつまんねぇよ。飯にしようぜ」

 最近では珍しい紙製のストローの袋は薄く水色に染まり、だらしなく伸びきっていた。
 不恰好にちぢれた身体を伸ばして動かなくなっていた。
 息途切れたミミズ。まるで自分のようにだらしなく力なく。どこかで自分と重ねて見てしまう。
 この紙ミミズは僕に潰されて雨に打たれて伸びたのだ。最期に身体を伸ばして死んだ。
 最期に小さく震えて死んだ。

 ***************************

 夜は朝よりも身体が軽くなる。一日のなかで一番、活動しやすいのは夜だ。
 太陽のように暑苦しくない。月は誰も照らさないでやさしく見守ってくれる。
 煮えたぎるような熱いものなど僕には必要ない。赤い太陽には黒点という黒い点があるというのを学校の理科でやったのを覚えているだろうか?
 炎が渦巻く灼熱の太陽の表面でひとつだけ温度が低い場所がある。それは太陽全体に比べればハエのような存在だ。遠くから見るとクソに集るハエ。なにせ赤い表面に黒い点なのだから、赤っぽいクソにたかるほどのハエの大きさ。
 そこだけがちょっとだけ温度が低い場所があるのだ。低いといってもやはり太陽の表面なのだから熱いのは熱いのだろうが、でもそこだけ黒くハゲている場所なのだ。
 ハゲて黒く変色したようなクソにたかるハエ。
 僕はきっとそのクソに集るハエのひとりだろう。そこだけ温度が低いハエの一匹。

「あ、見ろ!! 月にウサギがいるゾ!!」

 ほどよく酔った文太は月にとどくほどに両手を交互に振り回す。
 よって僕は文太とは肩幅ほどの距離をおいて死角を狙うのであった。
 すきあればよってふらいつた所を襲える間を置く。

「銀と金を掛け合わせて銅で割ったような月だな」
「どんな月だよ。比喩ならもっと上手い言い回ししろよな。ヘボ小説家」

 ネットカフェで遊んでファミレスで昼飯兼夕飯を喰ってついでに酒を飲んだ帰り道。
 駅に向う僕らを嘲笑うように帰宅するスーツ姿の社会人たちは淡々としたように通り過ぎる。
 そのなかに雑じって僕ら二十歳ほどの青年がこちらを一瞬、ちら見して馬鹿にしたような目つきで笑ったのを僕は見逃さなかった。

「そりゃ、おかしいだろうよ」

 つぶやいて僕は睨み返す。
 たんたんと歩くのは元ひきこもりの僕だけで前を歩く無名小説家の千鳥足をお供する。
 そういえばネットカフェへと向う時には僕のほうが千鳥足になっていたような気がするのは覚え違いだろうか?
 月を見るのが飽きたのか、当の本人は街中を歩く人並みの中から探知レーダーのような眼でアベックを発見したようだった。
 凝視するとまた同じように人並みから仲良くするアベックを見つけては哀れな眼を涙でいっぱいにしていく。
 見ているこっちが可愛そうになるくらいだ。哀れな文学者。

「ああ、しぬ〜。なんだって女は・・・ゲホゲホゲホ・・・ガッペ!! クソ!!」
「死んでください」
「おまえ、そんなこと言うとホントにしんじゃうぞー」

 すでに日本語になっていない。あたりかまわず叫んで地面を蹴る目の前の小説家。
 こっちもいい加減、まともに話し掛けるのも嫌になってきた。
 それこそ、文太は泣いた。笑いながら泣いている。それがアルコールからくる酔いなのか本気なのかは不明。

「ああ、いい月だ。今日はなんていい日ぞよ」
「なにが?」

「飯くって酒のんで遊んだ。たのしくてしょうがない。腹もいっぱいになった。こんなに気分がいいのは久しぶりだ」
「じゃあ、なんで泣いてるんですか?」

「泣いてなんかいない。これは心の汗だ」
「・・・」

 ***************************

 アスファルトは何処までも暗く底無しの岸壁に映る。帰宅の人並みはなくなり、住宅街の街並みはシンと静まり返った。光は街灯と家の窓からの眺めしかない。しかし、街灯の明かりは同じ光なのにどこか硬く沈んでいるようにみえる。たまたま気付いたことだが民家の窓からこぼれる光は他のどの機械から放たれたものよりも暖かいのかもしれない。太陽ほどではないのだがここから見えるどの民家の部屋も暖かく目に映る。
 そんな街並みの闇の中でこいつと僕は闇のなかを歩いて帰る。
 肩を貸してだらだらと歩いているのがおもっ苦しい。
 むかえを呼ぼうとして電話をしたまではよかったのだが、出た奴が悪かった。

「ひとりで帰れるだろ、ガキじゃねぇんだから甘えるな」

 ぴしゃりと言い放った愁はわかっていないのだ。文太がこれほどまでに酒に弱い事を。
 もしかしたら気付いているかもしれないが、これも、もしかしたら自業自得というやつか。
 愁のことだ。きっと酔っていると知っても同じことを言い放つだろう。

「悪いな」
「謝るなら自分で歩け。だいたい酒の飲みすぎなんだよ。歩けなくなるまで飲むな」

「おまえがさ、夢について語っただろ」
「・・それで酒に飲まれるな、俺のせいにされちゃこっちが迷惑なんだ」

「おまえの言う通りかもしれない。俺は甘いよ」
「甘いのは最初からわかってる」

 ムスッとして文太が肩を抱くこっちを見た。
 僕はかまわず言い放つ。イライラしてるのはこっちも同じなのだ。

「おまえは甘い。人間なんてもっと汚い生物なんだ」
「違う、人は人でしか救われない」
「たいした人格者ですね。文太さんは」

「・・・」
「・・・」
 また、沈黙。異常なほどに静まり返った街には文太が足を引きずるような音と僕のおもっ苦しくイライラする足音しか聞えないのがまたイライラを誘う。

「小説家になりたかったのは人が喜ぶ小説を書いてみたいって思ったからなんだ」
 咳を切ったように文太は話し始めた。独り言のように僕には目も向けず先の街灯だけが照らすアスファルトを眺めながら続ける。

「俺も最初は思ってたさ。人間は汚いって。気付いてた」
「・・・」

「でもさ、突然、気付いたんだよ。人間という奴を信じないのは俺の勝手だが、信じるのも俺の勝手だって。信じれば裏切られるけどよ。信じなきゃ誰も信じちゃくれない」

 不全とした物をみる目線で文太を見ていた目線が振り向いた目線と合った。
 文太が突然、振り向いて僕に笑いかけた。そして奴は最後にまた臭い台詞を吐いた。

「だったら、信じたほうが希望があるだろ」




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