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クソッタレ解放区


vol_1.8   夏の渚



 商店街を照らす光が真上にあたった。
 天上は透明なアーチに覆われている。これのおかけで遊歩道では雨が降っても、傘を差さなくてすむのだ。
 それに夏だからといって直射日光をあびなくてもいい。くぐもった透明なアーチは微妙に光を緩和する。
 ジリジリと焼き焦すような陽射しが緩和されて、天上のアーチの影に一歩でも踏み込んでしまえば途端に気が楽になる。

 遊歩道の通りを突き抜けて、夏の暑い風が吹き抜ける。
 トンネルのような商店街。遊歩道。
 通りの端、喫茶店の外。レンガで作られた小さな植込みに尻を乗せていた。
 目の前には、遊歩道を闊歩かっぽする通行人が幾度も通り去っていく光景が広がる。

 ドクンッ、ドクンッと心臓が小刻みに鳴る。
 背中には植込みに生える角切りに整えられた緑の木々がある。
 ファミレスの周りを囲むような、あの角切りに整えられたアレだ。
 僕は、その植込みを作っているレンガに尻を乗せているのだ。
 ちょっと尻が痛い。

「やっぱり、痛い?」
「・・・痛い」
「最初は痛いよね。そろそろ、なかに入ろ」
 僕は小さく頷いた

 “カラン”と喫茶店のドアを開くと鈴が鳴った。流れる冷風が火照った身体を一気に冷やす。
 目の前で香月さんの透き通るような肌色が一瞬、煌いた。
 露出するうなじがキラキラと光る。汗が冷風の中で球になったのだろう。鮮やかな肌色が汗を弾いて煌いて見えたのか。
 ショートの髪は、繊細な黒髪で綺麗に項が見える所で切りそろえられている。
 向かい合いに席に着くと、香月さんは手を首元へともっていった。

「嫌になっちゃうよ。床屋に行ったらこれだもん。やっぱり、美容院にすればよかった」
「なんで、床屋に行ったんですか?」

 香月さんはその容姿からは想像できないほど拗ねたような子供っぽい愛くるしい笑顔で答える。
「だって、家から近いし、安く値切ってくれるんだもん」
「それに、終わったら、『かわいいね』って言ってくれるし」

「・・・床屋のオヤジが?」

 香月さんの表情は幼い笑顔から一転して複雑になった。なにやら『またか』と言った顔に変化した。
「正登君はアレだね。皮肉ったらしくていけないよ。もっと素直にならなきゃ」
「産まれ付きなんです」
 僕は笑ってみせた。冷房の風が心地いい。
 香月さんは店員を呼んでアイスコーヒーを、僕はコーラを頼んだ。

 香月さんは手にしている分厚い手帳を広げると、なにやらびっしりと文字が書き込まれているのが見えた。
 ボールペンがスチールの光沢を放つと“カチ、カチ”と鳴らした。
 僕は窓を見た。硝子窓を一枚隔てたこの向こうは僕と香月さんがさっきまで見ていた光景だ。
 闊歩する人波が永遠と続く。
 今は冷房が効いて心地良かったがちょっと悔んだ。
 手前に見える植込みに、もうすこしだけでも我慢して座っていられたら隣に香月さんがいてくれるのだから。

 ほのかだが、柑橘類かんきつるいのコロンが鼻孔をくすぐる。
 香月さんは美人だ。すっきりとした顔立ちは見惚れるほど凛々しい。
 僕よりも多少、背が低いが日本人女性の美しさが見える。

「なんか、私と正登君が一緒にいると兄と妹みたいね」

「そうですか?」
 確かに僕と香月さんの背を比べればそうなのだろうか。
 僕は思いついたまま言おうとしたが恥ずかしくなって続きを言えない。

「恋人どうしとか?」

「・・・」
「・・・図星?」

 香月さんは覗き込む。僕はフンと鼻を鳴らした。

「やっぱり、図星なんだ」
 悪戯っぽく微笑む香月さんがいた。
 テーブルにアイスコーヒーとコーラが届いた。
 香月さんはガムシロもクリームも入れないでブラックのままストローに淡い唇を添える。
 氷が浮くブラックのアイスコーヒーが吸われて水面が下がる。
 喉がコクッコクッと弱く切なく鳴る。喉仏が震えるほど小さく動く。

 “ゴクリッ”
 コーラを飲む僕の喉仏は大きく鳴って、あきらかに動いた。
 頬杖ほおづえをついて、窓の外を見る。
 ストローを噛んだ。前歯、奥歯、ストローの食感が変に気に入った。


 窓の外から視線を戻すと、香月さんの吸い込まれそうなほどの純粋な瞳と合った。
 しばらく見つめ合っていた。香月さんは視線を逸らさない。だから、僕も視線を逸らさない。
 なんだか不思議な感覚だった。女が苦手なはずの僕が自然に向かい合って話せる。
 冗談だって言える。香月さんとは何処かで会っているかのようだ。友達のように話せる。


「正登君って、変だよね」
「変?」
「だって、今日、初めて会ったのよ。それなのに、なんだか正登君とは昔から知っているみたいに自然に安心するんだよね」
「・・・安心ねぇ」
「なに? その不審そうな物言いは?」
 僕の表情がよほど冷めたものだったのか、香月さんの声はちょっとだけ本気になっていた。

「なんだかなぁ、騙されているんじゃないかって感じるんだよね」
「騙されている?」
「こういった場面って、よく、悪徳商法の手法とかであるでしょ。裏からがらの悪い男が出てきて、強引に勧誘させられるやつ」

 香月さんはまたまた飽きれたような表情になった。うんざり気味に言う。
「正登君」
「はい。なにか?」
「あなたは、アレね。毒があるわ」
「毒ですか」
「そう、毒よ。それも、半端じゃないわ。根っこまで侵されているの」
 僕を見る香月さんの目は興味津々だ。なんだって、こんなところまできて女の子に毒物扱いされなきゃならないんだろう。

「僕って、汚いですか?」
 僕は半分、投げやりに。半分、真剣に問いかけた。
「そういうことじゃないのよ。汚いと毒は別。汚いってことは露出して見えるの。でも、毒は違う。自分自身でさえも気付かないこともあるし、相手をよく観察しなくてはその毒がどんな毒なのかもわからない。それでいて、毒には、何故そうなったのかっていう理由があるしね」
「毒に理由があって、汚れには理由がないの?」
 いまいち香月さんの言っていることはわからない。
 香月さんは考えて僕をちら見しては頭のなかを整理しているようだった。

「つまり、こういうこと。防御機能よ」
「毒が防御機能なんですか?」
「そう。自分自身を守るための防御機能」
 香月さんは得意げに人差し指を立てて、どこかの探偵のような喋り口調で捲し立てる。
「例えば、蛇がいるわ。蛇は獲物を捕らえるときに毒で相手の動きを鈍らせるでしょ。でも、あれは敵が近づいてきたときにも守る武器として変貌するのよ。あの牙は矛にもなるし自分自身を守るための盾にもなりえるの」
 満足げに言って、僕を見る。
 僕はというと、ただ呆気にとられて意識が薄くなっていた。

「人の話、聞いてる?」
 香月さんが僕の鼻先まで顔を近づけてきたので、後ろのめりに頭を引いていた。
 本人には悪いが、不審げに前のめりになって見ている香月さんがなんとも愛らしい。
 緩んだ表情を立て直して、咳払いなどをしてみる。これではあきらかに聞いていないことがバレバレだ。

「そういう、香月さんも変ですよ。普通の女の子は、そんな小難しいことなんて考えもしない」
 ようやくいった言葉はなんとも情けなく、すこしばかり上擦っていた。

 僕の言葉を聞いた香月さんは、なんとも得意げに言ってみせる。
「当たり前でしょ、私は小説家なんですから」




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