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クソッタレ解放区
vol_2.0 夏の渚
「文太は、ああ見えても馬鹿じゃないのよ。確かにアホな所はあるけど、それは本質とは別なの。
わかる? あいつはきっといつかすごい奴になる」
そういう奴にかぎって途中で挫折したり、たいした結果にならない気もするけどな。
現実にそうなりつつなっていた。文太は旅行にかこつけた一人旅に出て、すでに数日が経とうとしている。
なんの音沙汰もなし。何処にいるのかも不明。死んでいるのか、生きているのか。
「愁に訊いたんですけど、何処へ行くか言ってなかったそうですよ。文太からもあれからまったく連絡なし」
「・・・そう」
香月さんは落ち込んでいる。
いつもとおなじ植込みのレンガの上に座っているものの、隣では、彼氏を待つ彼女の横顔が垣間見える。
「香月さんって、文太の彼女なんですか?」
「・・そんなことあるわけないでしょ。わたしはあいつの・・・・」
「あいつの?」
「小説の先生だよ」
会話が途絶えた。
闊歩する足音と喋り声が夏の湿気を含む空気のなかで響く。それが、アーチのなかで微妙に反響して聞えてくる。
その波の中、香月さんは僕の右腕に頬を擦るほどの近さにいる。
そっと、頭を傾ければ、そこには女の子の頭の上、旋毛をまく黒髪が見えるのだ。そんな距離。
「香月さんはモテますね」
「・・そうね」
道行く若い男達は皆、こちらを見ては通り過ぎる。一瞬、ちらりと見ては子供のように瞳を輝かせて、そして、儚く失せる。
そのどれもが香月さんに魅せられて、そのどれもが隣にいる僕を見て失せるのだ。
薄いピンク色に染まったキャミソールからは、チョコレート色のヘンリーネックが覗く。
子供っぽく、かわいい、キャミソールに負けないほど、香月さんは妙に存在感があった。
たとえば、かわいいものを着れば、かわいくなる。という設定ではなく、オプションとしてキャミソールを着ているという格好があった。
あくまでも、キャミソールはキャミソールなのだ。
そこには服という概念しかない。だからこそ、香月さんを見る男達は皆、魅せられるのだ。
「モテモテですね」
「・・・そうね。・・そういう、正登君はどうなの?」
「・・・」
下を向けば、香月さんのチェックのスカートから、眩しく煌く肌色がのぞく。
となりを気にすれば、美白の腕が僕の腕とくっ付いては、僕は敏感になってしまう。
桃の表面に生えたほどの産毛が、くすぐったく、半袖までの僕の腕と接すると、僕は密かに胸を弾ませていた。
「・・・・ほら、もっとくっ付いてよ」
「・・・おもしろいですか?」
腕が絡む。肩に香月さんの黒髪が被る。傾けてくる。
甘く爽やかな柑橘類のコロンがまたも鼻腔を擽る。
ほんのりと項だけが白く淡く眼に映った。
「本当は気持ちいいんでしょ?」
上目遣い。なにかが、その瞳のなかで笑っている。
僕はというと、ことごとく困ったような顔をした。香月さんは小さく笑った。
「ナンパが怖いんならこんな所にいないで、なかに入ればいいんじゃないか?」
「なかじゃよくわからないのよ」
「わからないって?」
「教えない」
悪戯に香月さんは笑う。
それにつられて僕も自然にほころんでいた。
「なんじゃそりゃ」
「秘密。永遠の秘密ね」
「永遠なんて本当にあるのかよ?」
「あるわよ。私の頭の中、ここなら誰にも覗けないでしょ」
「・・・たしかに」
「永遠なんて、ないようで本当はあるの。気付いてないだけ」
「身近すぎて気付かない」
「そういうこと」
数日前、文太は何処か知らない場所へと行ってしまった。数日後、僕は香月さんと出会った。
なにかが変だ。僕の心。今がとても変なのに、とても居心地がいい。
自然体に、なにも考えなくても、僕は僕でいられる。
この瞬間だけは、夏の風のように意味も無く、不思議に現実味が薄れるのだ。
夢の中のようにしっとりとしていて密度があり、暖かい。瞼を閉じるその瞬間までも確かな実感がある。
矛盾しているが、それがいい。矛盾しているからたのしい。実体のない雲のように確かに見えるが掴めない。
僕の心はそんな心境にあった。なにか掴めそうで、判断としない。それがなんなのか未だにわからない。
今も当たり前のように座っているが、それはたった数日前に始まった出来事。
そもそも、僕は香月さんのことを良く知らない。それに、なぜここに座っているのかさえも。
それでさえ、僕はここにいる。文太の約束。闊歩する人波。足音は海の細波のように定期的に過ぎていく。
「ねぇ、キスしようか?」
「はい?」
冗談だと思って訝しげに、香月さんを見た。
次の瞬間、僕は香月さんの唇に奪われていた。気付いたときには、香月さんと接吻をしている自分がいた。
ほんのりとやわらかい。しっとりとしていて、熱い。香月さんという確かな温もりが、実感が、唇に存在する。ふたりがひとつに重なって。
嘘のような瞬間、嘘のような感じ。
その、嘘を打ち砕いたのは香月さんの呼吸だった。
息がかする。香月さんの吐息と僕の吐息。鼻先で交じって感じる、香月さんの匂い。夏の湿気よりも暖かくやわらかな生の息吹。
夢も嘘すらもない。
闊歩する足音が響くアーチのなかで、僕は香月さんと確かなキスをしている。
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「・・・・・・・・・・・」
「おい、そこの青年。今回はやけに『・・・・・』が多いな。どうかしたか?」
「香月さんとキスをした」
「・・・・・・・・・・・・・・マジか?」
「マジだ」
「どんなんだった?」
「よかった」
「やけにストレートな表現だな。もっと、こう、やわらかかったとかないのか?」
「やわらかかった」
愁は公園のジャングルジムの一番上に登って、ベンチで考える人になった僕を見下ろしている。
質問を終えて、愁は胡座をかいたような姿勢から僕と同じ考える人になった。
「初めてだった」
「・・・だろうな。見ればわかる」
「キスをした」
「接吻だな」
「・・・・・これから僕は、どうすればいい?」
「告白しろ」
「この僕ができると思うか?」
「・・・男だろ?」
「それが、文太の彼女でも?」
「・・・・おまえは、毎回、厄介ごとを持ち込んでくるよな」
「文太にたのまれたんだ」
「あいつのアホさも休み休みにしてほしいよ」
「・・・で、どうすればいい?」
「たまには、自分で考えろ。・・・おまえはどうしたいんだ? 好きなら好きと言ってしまえ」
「言えたら言ってる」
「だよな」
「・・・」
「・・・」
どれほどの時間が経っただろう。いや、まだ実際には、ほんの少しなのだろう。
時間が止まるように、ゆっくりと流れる。ブランコが揺れる音が聞えた。
「あー、シュウにぃだ!!」
どこかで見た憶えのある、幼児ほどのちっちゃい女の子が駆け寄ってきた。
ジャングルジムの天辺で愁は立ち上がった。
「ほなみじゃないか。どうしたんだ? ひとりで」
「ブランコしにきた」
「・・・シュウにぃのおともだち?」
「え?」
どこかであった女の子は元気にたずねてきた。
「きょうは、おべんとうたべないんだね」
「弁当?」
「・・・もしかして、わすれちゃったの?」
僕は必死に思い出すが、目の前の子供を、よくわからないでいた。どこかで会ったような気がするのだが。
「もういいよ!!」
「あ〜ぁ、ほなみちゃん怒らした!!」
「・・・おまえは小学生か?」
御山の上で、ヤンキー風の野郎が指をこちらへ向ける。
「ごめんな、ほなみ。こいつ、思考力はあるんだが、記憶力はイマイチなんだ」
「おまえに言われたくないな」
「・・・・ほなみっていうの。よろしくね」
ちっちゃい女の子が僕に、これまた、お人形のようなちっちゃい手を出した。
なんとなく、僕はおっくうになっていた。こういう場合、どうすればいいのだろう。
子供相手に愛想笑いもできやしない自分。
「まったく、女の子に恥かかせんじゃねーよ。素直に手を出して握手しろ」
僕は素直に手を出した。そして、ちっちゃい手と結ぶ。もちもちと暖かく、少しばかり汗でしめっていた。
ほなみといった女の子は、なぜか僕を見ない。恥ずかしそうに下を向いている。
愁が御山から跳んだ。
蝉の声が響く公園に砂埃が舞う。
眩しい陽射しに照らされて、愁が砂埃から薄っすらと現れる。
ジャングルジムといっても、それなりの高さがあるのだが愁は平気な顔でそこにいた。
「それでいいんだよ。おまえも香月さんにそう、やってやれ」
「・・・でも、」
「なんども言わせない。女の子に恥かかせるな。今日はもうバイト、終わったんだろ? だったら、会ってやりな」
愁はそういってから、ほなみという女の子のところで、ひざまずいた。
「ほなみ、この勇気のない、あんちゃんに力を貸してやってくれ」
「おい、なに言ってんだよ愁。それに、その娘は一体・・・?」
「ん? ほなみのことか?」
愁は、珍しく照れていた。目と口が不気味に笑っている。
「俺の娘だ」
僕は、しばらくの間、考えてから愁とほなみを見比べる。
疑う目の僕へと、同じ笑顔をふたりは向けた。