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クソッタレ解放区


vol_2.1   小説家をみつけたら



 夏の夕暮れ。陽射しがだいぶ和らいで空が夕焼けに染まる頃。
 湿気が薄れ、心地いい爽やかな風が僕の頬をなでる。
 夕日に赤く輝く木漏れ日からは、影が揺れる音と一瞬の儚さが包む。
 ベンチに僕が座り、隣には妙に不機嫌ふきげんそうな香月さんが座る。目の前に直立する穂奈美。
 興味津々な、穂奈美の表情。その瞳には一筋の昂揚こうようがあった。


 “シュコン”
 微小の気泡が透き通る淡い赤色に染まったビー玉に浮かぶ。レモネード。いわゆる、ラムネ。
 独特の硝子の容器からプラスチックの容器に替わっても、ビー玉だけは替わらず硝子。
 溢れて泡がこぼれる。手を濡らす甘酸っぱいレモネード。容器を伝ってこぼれる。
 そこには、夏の夕日でしかみられないラムネの顔がある。

 僕は無言で穂奈美に差し出す。

「・・・」
「どうしたんだ?」
「え!?」

 なぜか穂奈美は驚いていた。
 ラムネに夢中といった目線が僕の顔へと移って、ようやくラムネを受け取る。

「ありがと」

 受け取って、穂奈美はブランコのある方へとけていった。
 その途中でラムネの炭酸が溢れた。ぽたぽたと、穂奈美の後に溢れた炭酸が落ちて、夕日色に染まった公園の一点へと目印になる。
 乾いた淡い夕日色。その絨毯じゅうたんに穴をあけたように残る点。
 どこかの童話でパンの欠片を落として帰り道に目印をつけていくシーンがあったがなんの童話だったか。
 それの実写版をみているように、道へ落とすパンの代わりに夕日の絨毯へと穴をあけるラムネ。

 僕はなんとなくおかしく思って笑った。
 しばらくおかしく思っていたがそれに気付いて止まる。
 香月さんが僕を見ている。

「西崎正登君」
「・・はい」
「わたしも、欲しい」

 香月さんは、夕日で赤く染まった白魚しらうおのような指を向ける。
 その指先が僕の唇へとあたった。
 唇に指先のぬくもり。体温が感じる。たった、一本の指先。
 それも、人指し指。人を指す指なのだ。差別の象徴がこれほどまでも美しいと思えるだろうか?
 このまま眠りにつけばいい夢がみられそう。
 微かには感じるかもしれない、香月さんの匂いがなんとも不思議に感じ、なんとも安心に感じる。


「なんちゃって」
 人指し指には香月さんのそのものがある。
 匂い、暖かさ、そして愛らしさ。
 そっと、僕の唇から離すと、さっきまでの不機嫌そうな感じが消えていた。

「たまには、いいよね。こういうの。あの、ちっちゃいガールフレンドは誰?」
 なにをそんなに訊きたがるのだろうか。ちっちゃいガールフレンドをやけに強調していた。
 夕日に映る彼女の笑顔。

「僕にはそんな危険な趣味はありませんよ」
「どうかしら? 本人は気付いてないのかもよ?」

「香月さん。僕の毒が感染しちゃったんじゃないですか?」
「失礼な。わたしは天下一の小説家よ。九龍香月よ」

「九龍香月?」
「知らないの?」
 しばらく考えたふりをした後、
「・・・知りません」
 ガックリと項垂うなだれる。
「私が小説家ってこと、わすれてない?」
「忘れてた」
 またもや、ガックリ。

「まぁ、いいわ。私も今は、九龍香月って心境じゃないし」
 僕は苦笑いをした。香月さんが笑う。


 結局、穂奈美のことは伏せておいた。愁にも、まだ詳しくは教えてもらってはない。
 なにかあってからでは遅いのだ。
 ・・・といいつつ、文太の一人旅の事を香月さんにバラしてしまった、その、二の舞を演じたくないだけだが。
 とにかく、よくわからないがブランコで遊ぶ穂奈美をみていると言いづらかった。
 僕と同じ歳の奴がパパになっていることが信じられなかった。



「わたしにも、ラムネ、ちょうだい」

 微笑んで僕を見る。ブランコに乗って遊ぶ穂奈美が生意気にも親指を立てた。
 どうやら、他からみてもカップルにみえるらしい。


 “シュコン”
 泡がまたも僕の手をぬめらす。糖分が乾いて、ベトベトしてきたがそんなことはどうでもよかった。
 香月さんに手渡すと、自分の分のラムネも“シュコン”した。

 凹の部分。容器のなかでは凸だが、そこにビー玉を引っ掛けると、スムーズに飲んでいく。
 さわやかなレモンに炭酸。そして糖分。最近になって、僕は甘いものに凝っている。
 どうやら、ひきこもりを抜けたころから食欲は戻らないが、どういうことか糖分だけは入るようになった。

「正登君は甘いものが好きなのね」
「・・・気付いた頃には好きになっていた。なぜかは知らないけど」
「好きになるのに、理由はいらない」

「・・・僕の顔になにかついてますか?」
「つれないな。空気読みなさいよ」
 僕の顔を見て不機嫌そうにいう香月さん。
 なんだか変に気を使う僕。話し掛けようか、でも、なにを話したらいいか。
 どうしよう。

 話を変えたい。

「香月さんは小説家、なんですよね?」
「そうよ」
「有名なんですよね」
「あたきちよ」
「・・あたきち?」

「あたりまえ、キチキチよ」
「なんですか、それ?」

「子供には、ないしょ」
「僕、すでに大人ですよ」

「じゃあ、男の子にはないしょ」
「見ればわかるでしょ、男の子ですよ」

「だから、ないしょ」
「・・・だましたな」
「だまされるほうが悪い」

 悪戯に笑う香月さんを見たのはこれで何度目なんだろう。
 僕と香月さん。その距離は手を伸ばせば届く近さ。身体を傾ければあたる距離。

 でも、香月さんが傾いても、僕は傾けられない。
 香月さんが手をさしのべても、僕は手すら握れない。
 近いが遠い。気付いていない。
 もしかして、香月さんは文太を誰よりも理解しているのかもしれない。
 だから、自分でも、気付かない所で待っている。

 僕には、それがわかる。
 どこかで、僕じゃなく、文太を待っている香月さんが。
 文太だってそうだ。なぜ、逃げた。なぜ、ひとりで行く。
 香月さんが待っているじゃないか。誰よりも理解してくれているじゃないか。

 元気のない文太。覇気のない文太。
 なんなんだ。いったい。なにがあったっていうんだ。
 思い返すとそこには、なにかが変だった。
 文太はいつもの姿じゃない。
 無計画で陽気で金髪だけど、悪い奴じゃなかった。
 それに、バカでもない。


「・・・・どうしたの? 正登君」
 心配そうに覗き込まれた僕はようやく我に返った。
 手を見ると、ラムネをにぎる拳に力をこめていた。
 ギチギチに硬くにぎっていた。


 穂奈美をみた。無邪気にブランコで遊んでいる。
 このまま、言ってしまおう。例えそれが間違っていても。

 このままではいけない。
 香月さんに向き直る。
 そして、僕はその台詞を言った。


「香月さん、文太を探しにいきましょう」


 ***************************

 夕日のベンチ。僕は言ってしまった。
 香月さんが心に想っていることを、僕の口から言ったのだ。

「・・・ふざけないで」
「ふざけてない」

「・・・・帰る」
「なにがあったっていうんですか? 文太と一体なにが・・・」
「文太も所詮、ただの男なのよ」
「男?」

「正登君、あなたには、いつか話そうと思う。だけど、今はいいたくない。 だから、今は、ひとりにして」
「・・・逃げてるだけですよ。今も明日も、そんなことしたってなにも・・」
「うるさい!! あなたに、なにがわかるっていうの!?」
「・・・」

 夕日の木漏れ日に、微かにみえた。香月さんの頬から涙が伝ってながれた。
 涙。僕がながした涙のように、香月さんは泣いている。
 無力で、なにもできなかった。そんな、涙。

 たった一度さえ、一度だけでいい。
 手をだして、助けてやりたい。
 苦しいんだ。香月さんはきっと、思いつめていた。
 僕がいってしまった。

 言ってはいけないこと。

 冷静になったときには全てが、終わっていた。
 僕は気付いていたはずだ。香月さんが文太をどうしようもなく好きなことを。
 大切に、思っていることさえ、わかっていた。
 あのとき、僕は、穂奈美をみて、なにか漠然としたものを感じていた。
 迷ったのだ。このまま、告白していれば、全てが良くなるはずだった。

 告白してしまえば・・・。
 でも、しなかった。告白。
「好きだ」と言えば。たった一息でいえるのに、いきがって僕は、違うことを言っていた。
 いきがった。僕はただひとり、熱くなっていた。言ってはいけないこと、言っていいこと。


 香月さんの涙をみて、穂奈美が心配そうに僕の隣へとやってきていた。
 白く血の気が引いていく僕の顔を心配そうに覗き込む。
 香月さんはゆっくりとベンチから立ち上がり、ひとり、歩き出した。


 ***************************

「・・・あほ」
 背後から突如、聞えてきた声にも僕は反応できないでいる。
 愁は木の影で全てを見ていた。

 ベンチの後ろには、大きな木がそびえたっている。大人が三人ほど手をつないで囲めるほどの幹。
 夏の強さも木漏れ日に変え、ついさっきまで、夕日を色づく木漏れ日に変えていた。
 不思議な事に、この木には毛虫が一匹もいなかった。
 だから、ベンチにだって普通に座っていられるし、そこから見上げる木漏れ日も文句無しの最高だった。
 でも、今は・・・。


「なんで、好きだと言わなかったんだ?」
「・・・知るかよ、言えたら言ってる」
 無言でなにも聞えない。愁の方へと振り返っても暗くなりかけた夕日の木漏れ日だけで影しか見えない。
 さっきまで、香月さんが座っていたところには、穂奈美がちょこんと座りラムネを飲んでいる。
 僕もラムネを飲んだ。

 甘く、こころなしの酸っぱさ。
「これで、いいんだ」

 僕がつぶやいたときだった。


「・・・文太を探しに行くんだろ?」
 愁が問いかけた。
 振り返る。相変わらず、影しかみえない。

「あれは嘘だったのか? 彼女に嘘を言ったのか?」
「・・・」
 調子をふざけた格好だった。影しか見えない場所で愁が訊いた。
 きっと、笑っている。なんでもない顔をして、愁はいつだって明るく元気に笑っている。
 いやらしくない顔で、なにも動じない、そんな顔。木漏れ日で影にみえる愁に僕は憧れている。
 あのときも、今も、愁がいてくれたから。見放さなかったから・・・。

 ラムネを飲み干して、背後を振り返った僕は言った。
「バカ言うな、文太を探す」

 少しだけでもいい、愁に近づけるのならば僕は愁のように力強く生きたい。
 木漏れ日に隠れていても、僕は愁のその言葉に声をかける。

「だったら、行動あるのみだ」

 木漏れ日が暗くなって、たとえ、そこがみえなくなっても、
 信じられるモノがあるならば、それは確かな意味をもっている。

 空が暗くなっても信じられる事。
 僕が迷っても、明日という時は自然とやってくる。
 そのとき僕になにができるだろう、香月さんがなにを想うだろう。
 太陽が落ちたその後も、人を信じろといったのは文太、おまえだろ?
 愁の影しか見えない木漏れ日に、天を見上げながら僕は思った。




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