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クソッタレ解放区


vol_2.4   日常の場所



「随分とまぁ、甘いんじゃないの?」
 茶髪の女。片瀬美夏と名乗る情報屋は文庫本を掌のなかに収めた格好で呟いた。
 著者は九龍香月。ちまたでは、それなりに有名な小説家らしいが、僕は彼女の本を読んだことがなかった。

「ダメ、ですか?」
「だめってことはないけどさ。元ひきこもり・・。めんどうね。ヒッキーでいい?」
「どっちも嫌です」
「ヒッキー。こんどニックネームに使うわ。で、その、――なんだっけ?」
 溜息まじりに、また僕が答える。
 人の話をまともに聞いてもいない。

「僕には無理なんですよ。ひきこもりを改心かいしんさせるなんて」
 パタリと文庫を閉じると、マングースのパソコンへ視線を向け、それから僕へと視線がいった。
 見慣れない変な微笑みを一瞬だけ向けてからは、パソコンから動かなくなった。
「改心ってかっこいい言葉、使ってるけどさ、別に悪い事してるわけじゃないんだから、単に部屋からひきずりだせばいいだけのことじゃないの? 簡単じゃない。部屋から一歩踏出させればいいだけのことよ」
「それが、難しいからひきこもりやってるんです。だいたい、現に困っている人がいるじゃないですか。だから、僕を会わせたんでしょ。改心に語弊ごへいはありませんよ」


 窓のブラインドから、光が漏れる。爽やかな朝の光は、微かなほどの線に姿を変えて、美夏をあやしく照らし出す。
「・・・別に、あたしとは関係ない」

 僕は黙っていた。横でパソコンを使っていることを除いては、美夏はここにいることさえもわからないほどに存在が薄い。
 店内は僕とこの茶髪の女しかいない。
「あたしは、依頼人クライアントが求める情報を提示しただけ。わかる? あなたを紹介しただけよ。それで、終わり」
「・・・なにが言いたいんですか?」
「あたしには関係ないってことよ。ひきこもりも、それを助けようか判断がつかないあなたも。どうでもいい」
 美夏は僕を見て笑った。
 僕はなんとも思わなかった。
 そして、なにごともないようにパソコンへと視線を戻した。


 ***************************

 その日は、とても居心地のいい夏の朝だった。
 僕は、ただっ広い公園のど真ん中。いつものベンチに座っているのが鬱陶しく思えたから、愁のようにジャングルジムの天辺に登ってみることにした。青空が僕と天を繋ぐ。青の視界に風が吹いた。

「なにやってるんですか? ―――西崎さん」
「暇なんだよ。腐ってしまうほど暇だ。なんなら、そこらへんの雑草になった気分だ」

 呟くようにいった科白は玲奈に微かに届くか、届かないほどの小声だった。
 ジャングルジムに仰向けに寝転んだ。足を鉄棒から離して、両手も離した。
 空は憎たらしいほどのハレバレとした天気だけだが、なんの迷いもない青一色にもみえる。


「もう、昼ですよ」
「・・・・昼?」

「・・・西崎さんって変わってるって言われたりしませんか?」
「変わってるから、たのんだんだろ?」
「じゃあ、早くやってください。お金もちゃんと払いますから」

 半身を起こして、青空から地面にいる玲奈に視線を落とした。
「自分の弟なのにな」
「・・・姉弟きょうだいなんて、そんなものですよ。だいたい、西崎さんに関係ないでしょ」
「関係ないな」

 玲奈は、疲れが入った困った顔をした。
 僕を見ている。
「なにがおかしいんですか? にやついてますよ」
「別に。なんとなく、ひきこもりってなんなんだろうって思っただけ」
「・・・たしかに、ひきこもりは、わかりませんね。慎也もなに考えてるんだか」
「ひきこもりも、ひきこもりなりに理由があってひきこもりをやってるはずだよ。それが、たとえ本人が気付かなくてもね。意味のない事は辛いことだし、ひきこもりに意味があるのかって言われたら、ないかもしれない」


 なんの起伏もない時間だった。
 突拍子もなく発生する、トラブルも、喜びも。
 なんにもなかった。

 ただ、あるのは時間だけで。
 その時間さえも、ただ過ぎるだけの存在だったかもしれない。

「馬鹿ですよ。くだらない」
 公園には、格子のゴミ箱が隣にあるベンチと、あの、大きな木のあるベンチがある。ふたつあるうちのひとつのベンチ。
 玲奈は大きな木のある方にいた。木陰に見えるか見えないかのところにいた。
「私は、そんな考え方は嫌いです。たしかに、弟がひきこもりになって、助けてくださいとたのんだのは私です。でも、それは慎也のことを思ってじゃない。昨日も言いましたが、私が嫌になったから。ただ、それだけなんです」


 八千草玲奈。
 彼女は僕に言った。弟がひきこもりで、それを嫌っている。
 それは、その行為だけではなく、弟という存在自体が。このままでは、自分が弟に対してどうにかしてしまいそうだと。
 夕日に照らされていたベンチ。なれていたとはいえないか?
 最初は了解したのだ。しかし、後になって玲奈という店員の辛い想いを聞かされたあとは、なにか変わった。
 僕はひきこもりだった。そして、抜け出せた。でも、それは抜け出せられたのではないか。
 自信とまでは言えないが、僕には、それなりの確かな信念があった。

 ――あったようにみえた。
 愁と出会うまで、そして、文太と出会うまで。
 僕は僕という、単なるひとりの人間で、だからこそ、生きているし、ここにいる。
 でも、ひきこもっていたときは、それを認めたくなかった。自分は、この世界に住む人間の、何十億というなかの、たったひとりだと思いたくなかった。
 一般人として、そこにいたくなかった。社会という歯車になりたくなかった。
 どんな理由だっていい。玲奈の弟も、きっとそう感じたから、変に思ったから。

 言葉では、わかる。
 この世界は、この社会は、たくさんの人々の助け合いでなりたっている。でも、それはあまりにも悲しくはないだろうか。
 僕はそれが怖かった。たくさんの人のなかに生きるのが、紛れることが。忘れられることが。

 僕は僕であって、その他ではない。
 僕は僕であって、彼でもない。
 僕は僕であって、日本人ではない。

 僕は僕なのだ。
 単にそれだけのことだった。
 たった、それだけのことだった。


「今すぐじゃなくてもいいです。私も、期待とかそういうのあきらめてますから。それでは、・・・失礼します」
 彼女は昨日のように礼はしなかった。
 ただ、上で、ジャングルジムの天辺にいる僕を見て、そして背を向けた。
 足を地面につけていない。ジャングルジムの上は、ただ僕の心を宙に浮かせる。
 地上から数メートル。そこは、地面に足をつけることよりも確実に危険だが、地面にはない心地いい風がある。




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