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クソッタレ解放区


vol_2.5   日常の場所



 洗面器を打ちつける水道の音が聞こえる。
 手を置いて、ただそこに、そのなかにいる。下水管へと流れる水柱のなかにいる。
 ここは、何処だ。そこにいる顔は誰だ。目の前にいる人間は誰だ。


 蛇口から流れる水流に、体温を奪われていることが夢から覚めるかのように、ゆっくりと気付かさられた。
 鏡に映る誰かが写真のなかにいる様に、まるで微動だにせずに映し出されていた。
 暗い、黒く暗い。蛇口を閉める。
 モーションのように、機械のように、それが、まるでなにかの規則のように手が動いた。
 呼吸しているのかわからない。意識せずに、ただひとつ溜息をついたのかもしれない。
 ハンカチをジーンズのポケットから抜き出し、濡れた手を拭いた。
 一連の動きだった。足を出した。歩く。


「・・・お腹でも痛いんですか? 顔色が悪いですよ」
 洗面所からでたあと。一瞬、玲奈の目が怪しく笑って、僕の顔を盗み見たように見えた。
 僕はなにも言わずに、前を向いて歩く。

「・・・・慎也はどうですか?」
「どうって?」
「重症か、軽症か。どっちですか?」
「・・・どっちでもない。普通のひきこもりだ」
「普通の尺度が、わからないから訊いてるんです」
「―――暴れるような子供じゃなかっただろ」
「子供ですよ。ひきこもりのわがままな・・・」

 電車に乗った。
 僕の後についてきたはずの玲奈が僕より先に、席をみつけてくれた。
 4人が向かいあって座る席に、僕と玲奈が向かい合って腰を落とした。
 窓を挟んで、ホームの端から乗客が通り過ぎていく。僕は無言で、その様子を傍観していた。

「手、もういいんじゃないですか?」
「―――ん?」
「ハンカチ。もう、いらない」

 目線を落として、乾いた手に濡れたハンカチが包み込まれているのを確認した。
 ゆっくりなモーション。ジーンズのポケットへと手が動く。
 手を膝の上に戻すとハンカチはポケットのなかへとしまわれていた。

「――変な感じだった」
「・・・」
「真剣じゃない目をしてる」
「当たり前です。ひきこもりなんだから、変に決まってる」
「いや、慎也じゃないよ」
「・・・・私のことですか?」
「他に誰がいるんだ」

 玲奈の目線が、一瞬、睨んだが、すぐに窓の外へと移った。
「なぁ、姉弟ってたのしいか?」
「普通です」
「普通って?」
「たのしいと思える兄弟はたのしい、たのしくないと思える兄弟はたのしくない」
「そんなものか」
「そんなものです」

「おかしい、ですか?」
「おかしくない。変だと思っただけ」
「そんな変なことが、もう、何年も続いているんですよ」
「続くものかな」
「続いているから、今、ここにあなたがいるんじゃないですか」

 発車のアラームが鳴った。都会から離れた場所。
 決して、都会とは呼べない田舎町。アラームが鳴り終わるまで、誰も走り込む者はいない。


 ***************************


「慎也はどうだった?」
「・・・普通だよ」

 公園のベンチに座っていると、クソ暑い夏の陽射しのなかでも眠たくなってくる。
 眠くてだるい。半開きの瞼のまま横になって寝たい。たまには、冷房も無い外で木漏れ日の下、蝉の声に溶けてベンチで寝てみたい。

「俺と似てる、それだけ」
「そうか、よくわかった。あんたに似てるのか」
「暗くて黒いよ。眼ん玉みればわかる。同類の臭い」
「そうか、わかったか?」
「・・・知ってるなら訊くな」

 半目のまま、僕は隣のベンチにいる美夏を見た。
 額から頬をつたい汗がながれた。まっすぐ、公園の方をみて、誰もいない熱で揺らぐ砂場をみている。
 僕も視線を砂場へと向けた。ゆらゆらと空気が歪んでいる。そして、また視線を美夏へとむけた。
 玲奈といい美夏といい、そして、香月さんといい、女はわからない。
 一見すれば、見た目どおりに玲奈や香月さんといったようなタイプならとても性格的に純粋だと感じるのに、現実は、なにかよくわからない裏が見え隠れしている。反面、こんなクソ暑いなか、ささいな会話だけするだけのことなのにわざわざ顔を出しに来る美夏も、見ためとは裏腹に真面目にみえてしまう。


「・・・・玲奈も玲奈で、弟がひきこもってるのに冷静だよな?」
「あいつは、元々、そういう性格だ」
「・・女はよくわかんないな」
「見た目で決めるからだ」


 陽射しが暑い。ベンチに寝転がった。木漏れ日を見ながら足をつっぱねて瞼を閉じる。
「・・・辺鄙へんぴなとこだ。どうせ、ひきこもるんだったらこんな田舎より都会のほうが救いがあったかもな」
「田舎も、都会も同じじゃないのか?」
「・・・・学校も嫌いだ、社会も嫌いだ。狭い田舎じゃそんなこと許されない。普通に学校にいって、卒業して、やりたくもない仕事やって・・・。ろくなもんじゃないよ、やりたいことない奴にとっては息苦しい場所だ。個性がねーんだ」

「・・―――くだらない」
「くだらないよな」


「ひきこもりも、あんたもくだらない」
「・・・」

「愚痴だけじゃん。被害妄想だろ?」
「・・・被害妄想か?」
「どうでもいいじゃない。つまんないとか、そんなことどうでもいい」
「・・・どうでもいいか?」

 蝉の声が響く白い世界。ベンチに寝転んで、木漏れ日からわずかに覗く白い光。影と光が一度に視界へと入ってくる。
 真逆の光と影に、わずかながら影が揺らぐ。そのすき間へ光が波打つ。


「なんで、やりたいことがないのに、息苦しいの?」
「・・やりたいことないからだ」
「やりたいことあっても苦しいかもしれない」
「・・そうなのか?」
「ダメな奴はダメ。なにしてても苦しい」
「・・そうかもな」


 俺の人生。
 何も成しとげられないまま、何も残していない。
 今まで生きてきて、なにが残っただろう?
 何を得たのか?

 何も得ていない。何も成しとげていない。
 生きることは何かを得るためか?
 生きることは何かを成しとげるためか?
 学校がなにを教えてくれた?
 先生がなにを教えてくれた?


「・・いつわりだ」
「なに?」
「・・みんな、何も得てないよ。みんな、なにも成しとげてないよ」
「自分が何も得てないから?」
「・・みんな、働いてる。みんな、生きている。だから誰も、なにも得ていないし、成しとげてない」
「生きていくために、しかたなく働いている。それだけのことじゃん。みんな知ってる」



 空気を吸う。揺らめく木漏れ日を見上げる。
 その場にいる限り、時間はゆっくりと通り過ぎていく。




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