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クソッタレ解放区


vol_3.0   心の匂い



 ほのかに石鹸せっけんの匂いがする。
 美夏の背後に立たされているとそんなことぐらいしか気がまわらない。
 いきなり呼び出され、隣町のインターネットカフェ、マングースについたまではいいとしよう。だが、こうして仕事をしている美夏の後姿をながめているだけではなにか落ち着かないものがある。

 今日は朝から、電話の受話器に手を出したところからついてない。
 ひきこもってからいままで、ほぼ無に等しい交通機関や電話の利用に縁がなかったからだ。だから、早朝、ひさびさに気持ち良く起きて電話が鳴った。好奇心が抑えきれなくなりでてしまった。“ガチャ…”という音。「はい、西崎です」の後に切られた。部屋にもどり、しばらくすると母さんがドアをノックしたのでかったるく顔だけだしたとたん、女の子から電話で呼び出しがあったことを満面の笑みで伝えられた二十歳越えの青年の気持ちというのもどのようなもんだろうか。

「好きだったりして」
「…誰を」
「澪って娘は、あなたのことが嫌いじゃなかったのよ」
「…なに言ってんだよ。澪さんは愁の嫁さんだろ」
「そういうことじゃなくて」
 珍しく苦笑いをして美夏は上目遣いで眼鏡ごしに覗いた。
「同族嫌悪ってことで嫌うほどじゃないってこと」
「どういうことだよ」
「近すぎず、遠からず」

 「なにが?」という言葉がそのまま顔に出たんだろう。
 美夏は僕を横目で見上げて、冷笑に苦笑いが混じった不恰好な表情になった。
「精神的に病気を持っていながら、天然も混じっている。でも、言うときは言う。ヘタでも、ちゃんと生きているのね」
 それが、自分を指していることに多少の時間がかかった。
「イマドキ、『生きるために一番、必要なものは自分という存在だ』なんて青春ドラマみたいな暑苦しいこと言う奴、見たことない。・・・あ、ここにいたか?」
 嫌味だ。一言で表すならば、その言葉しかない。ニタニタと笑みを浮かべ、幼い弟でもいじめるような姉の笑み。僕は、どうして美夏にそのことを喋ってしまったのだろうかと後悔した。

「おもしろいね」
「おもしろくない」
 銀色のフレームと、透明に境目のないレンズを通して上目遣いで見上げる美夏にたじろんでしまった。
「なに見つめてるのよ。いやらしい」
 たじろんでしまった。じゃない、一瞬、見惚れた。と、言えないので黙って視線を逸らす。
「どうかした?」
「石鹸の匂いがする」
「…石鹸?」
 石鹸、石鹸、、、。
 なにも考えていなかった。唐突に訊かれたので唐突に口に出ていた。
「あたし、シャンプーじゃなくて石鹸で髪、洗うの」
 そう一方的に言い終えると背を向けパソコンのキーを叩く。
 こっちの意見など、関係ないと言いたいのだろうか、まったく気にする様子もない。
 なんなんだこいつは、とおもいつつも美夏から視線が離れない。



 「九龍香月を探してやるよ」と、マングースに着いての第一声がこれだった。
 躊躇ちゅうちょなく、突っ立てろと言われたあとで、「良い友達もったね」と言われ、それきり、今のいままで石鹸の匂いに気付かされるまで立たされていた。 良い友達が愁であることに気付いたのはそう時間は経たなかった。
 なぜかというと、僕が愁に頼んだのである。前日、愁から電話で澪さんが「ありがとう」と言っていたことや、「あの晩のことは、すいませんでした」と言っていたことを代弁して伝えてきてくれたことがあり、別に僕としては喋ることがなかったので文太や香月さんの話しまで喋ってしまったのだ。住所がわからないという、あまりにもなさけないことを聞いた愁は溜息混じりに探しといてやるといってくれたのだった。

「なさけないよな。彼女の住所も訊きだせないなんて」
 美夏が言って、哀れな僕を振りむき見て笑う。
「なんなんだよ、その笑いは?」

「・・・・・同情かなぁ」
 とぼけた口調だったが、視線はあきらかにおちょくっている。かつ、バカにしている眼差しをむける。
 ふざけるなと言いたいところを考えなおしてなにもいわず黙った。
 相変わらずに美夏が笑い、その奥で覗く。出方をうかがっているのか、観察しているのか。
「そんなことより、見つかったのかよ。香月さんの住所は」
一晩ひとばんで、見つけられるわけないでしょ。馬鹿じゃないの?」
 馬鹿じゃないの、は余計だと思う。そのまえに、見つからないんだったら呼ぶな。
「愁はなんでおまえのとこに頼んだんだ」
 本音で訊いてみる。まっていたとばかりに美夏が胸を張る。
「そんなの決まってるじゃない。腕が良いからよ」
 銀に光るフレーム。眼鏡を色っぽく外し、気取った美夏が格好をつけた。
 僕は帰る準備をはじめる。


 ************************

 白いシャツが、なぜか痛々しく、それが以外だった。
 さらっとした髪をうしろで結び、前髪は自然と乱れたままに、マングースの白い壁によりかかるように立っていた。さきほどまで、かけていた眼鏡をシャツの胸ポケットにひっかけるようにぶらさげて退屈そうに指先をみている。
 色白の指先がこすれるような動作を繰り返し、音もない弾きをつづける。
 美夏は僕に気付いた。視線をこちらへむけたまま指先は止まった。

「遅れたくせに、歩いてくるな」
 おねがいの第一声はこれか。朝のことにつられ気が重くなる。
「仕事のおねがいの言いぐさにしちゃ、感じ悪いな」
「冗談、交換条件でしょ。あたしの仕事を手伝う代わりに香月さんを探してあげるってね。よく似合ってるよ」
 上から下まで見まわしたあと、小さく「いいね」と呟く美夏をなぜか見れない。
 微妙に照れくさくなった自分がなんか嫌だ。

「これ高かったんだから、汚さないでよね。あ、言い忘れたけどこれ買い取ってもらうから」
 そう言って、くしゃくしゃになったレシートを僕に手渡した。
「なんすか、これ?」
「あなたが今、着ている服代」
「アイパスのボトムとシューズに、Tシャツは適当に合うやつ選んどいたから少しは今風に見える線だしとかないとね」
 黒いシャツには、ドクロ風なロック文字がプリントされていた。確かに、ボトム(ボトムってなに? ジーパンじゃないの?)と、黒いシューズ(黄色い靴紐)は今風と言えば、今風だが。

「とりあえず、準備はできたと。仕事の内容についてはだいたい理解できた?」
「内容もなにも、ついさっきいきなり呼び出されて、いきなり言われてもな」
「仕事はいきなりくるものよ。特にこういう自営業者はね」
 なにが、自営業者だ。と、思いつつ美夏を一瞥している俺。
 たまらなくなって声をかけた。
「本当に、うまくいくのかな」
「弱音はかない。最近の若者らしくする」

 どこか楽しげで浮かれた美夏にパンパンと尻を叩かれた。
 のったりと足を引きずり俺は歩き出す。




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