INITIALIZE ORIGINAL NOVEL
クソッタレ解放区
vol_3.1 心の匂い
「人間はなんのために生きるんでしょうね?」
「え、なに。突然、いきなり」
「・・・突然と、いきなりは同じ意味ですよ」
美夏さんは横目で一瞥して何事もなかったように前を向きなおす。
「あの、美夏さん・・・」とは、さすがに喋りずらかった。
なんとかしてこの状態を打破したい。かといって、下手に喋りかけるのもためらわさせるものがある。
そんなことを考えながら口に出た言葉がすでに下手にいっている。
自尊心。羞恥。みっともないな、と、うなだれながらもこのままでいるのも癪だ。
かといってこの状態がまんざら嫌というわけでもない。ただ、なんとも羞恥を感じてしかたがないのだ。
傍らにいる美夏さんに心で呟くなかにもいつしかさんがついてくる。羞恥だ。あきらかに美夏さんを意識している。
これは、あくまでも設定なのだ。恥ずかしがる事も、遠慮することもない。
「あの、美夏さん」
「なに?」
「その、・・・」
「・・・」
「なんで、密着してるんですか」
“へ?”っと軽く鼻で笑われてしまった。
「嫌なの?」
「いえ、そういうことじゃなくて・・・恥ずかしいです。みんな、見てる」
「しょうがないよ。だって、あたしたち恋人同士だし」
そう、ちゃかすように言うと僕の腕と密着度を増す。
見ためよりも美夏さんの白いシャツはさらさらとして肌触りがいい。
僕と美夏さんは互いの腕を絡ませ密着しながら歩いている。
しかも、ここは裏路地に面するホテル街だ。ここがどこなのかという詳しいこともわからない。美夏とはぐれれば必然的に迷子になる。頼りになるのは美夏だけだが、これでは道行く恋人同士にしかみえない。アベックにみえるのかどうか、はっきりいってそんなことはどうでもいい。
深夜の街中を歩くのはどこもかしこも大人の色を付けまどった怪しげな恋人同士の群れだけだ。ここで偽りの真似事をしていること自体はそれほど頓着はしてない。しかし、この状態。美夏と密着している事にどうしようもない羞恥を感じてしかたがないのだ。
「それとも、なんだ。お手て、つなぐ?」
「・・・このままで、いいです」
ジーパンのポケットにつっこんでいた掌に汗が吹き出た。
「美夏さん。俺をからかってません?」
「そんなことないよお」
訊いて、損。
歩幅を一定にして歩くこと数分。
たんたんと歩く。いや、漠然としているが、しっくりとこない。
初めて女の子と腕を組むということは、考えていたことよりもだいぶ違っていた。
緊張して感覚が研ぎ澄まされ、肌の密度。特にその感触がわかるんじゃないかと妄想していたのだが、現実、美夏さんは長袖のシャツを着込んでいる。感覚的にわかることは、純白のシルク調に整ったさらさらとした熱を持つ布切れだけだ。それでも暖かい。暖かくなんとも肌もちがいい。温もり。人の、女の子の温もりというものだ。
初めて、初めて・・・・。初めてが、美夏さんか。あやうく、口に出して独白するとこだった。
僕は無理矢理にでも気がない風に装わなければならない。なぜか? なぜか?
もやもやとした気持ちのまま考えてみるがわからない。
「これが終わったら、本当に香月さんと会えるんだ。文太にも、慎也にも会って話す」
「真面目なのね」
「ひきこもりは、みんな真面目なんですよ。不器用だけどね」
「考えなきゃいいのに。なにも、考えないで生きることを楽しむべきよ。仕事して、汗かいて、お金もらって自立して好きなことするべき。部屋に閉じこもっていてばかりじゃなにも生まれない。たとえ、それが怖くても、辛くても、きっといまより得られることがあるはず。どうせ、生きるのが恥ずかしいのなら覚悟を決めて行動すればいいのよ。みんな、自分が好きなだけ」
「美夏さんにはないんですか。自己愛」
「さあ、わかんない。でも、自分が嫌いでもない」
「みんな、保身なんですよね。俺も、その他大勢も」
「保身ね。あたしには、くだらない云々だよ」
そこで、いきなり止まった。
美夏さんが隠れろと言ったとたんに僕は裏路地の壁際に押し付けられていた。
目的の彼からあやしまれないようにさりげなく壁際に抱きつくような格好になった。
密着する。なにか柔らかな感触が接触し、それが僕の胸のなかで動く。
「・・・美夏さん、ッ・・ちょっと・・」
「静かに」
美夏さんが僕の耳朶を噛むように呟いて、彼が建物に入る瞬間を手持ちのバッグに入っているビデオに撮る。
彼が入っていった建物に入るのと後を追うように中へと追行していくのはほぼ、同時だ。
僕と美夏さんはカップルなのだ。恋人どうしなのだ。そう、心に言いつけ一歩を踏み出して入った建物がいわゆるラブホ(これ以外に言い様がない)だということに気付いたのは受け付けのおばちゃんの視線を横切り、彼の後ろを追行しているときだ。彼が前にいる。僕と美夏さんはそれを追う。美夏さんの手持ちのバックには小型ビデオカメラが仕込まれており、目的の彼、そして相手を写しているはずだ。彼が後ろを振り向けばどうなるか。美夏さんの手持ちバックに仕込まれた小型ビデオカメラに気付いたらどうなるか。だか、そんな考えはすぐに消えた。今は実際に尾行している。今、必要なのは確実に尾行をやりとげることだけだ。彼の尾行をするまえに美夏に言われたことだった。僕はそれを反芻し、不安な考えを理性で捩じ伏せた。彼と相手が部屋へと入っていく一部始終を僕は見終えた。
「これからどうするんですか?」
「外で待って出てきたところを撮って終わり。簡単でしょ?」
「終わりですか」
「そう、終わり」
終わり。 あっけのないことだ。
浮気調査にしてはあまりにもあっけなさすぎる。探偵業者とは、この程度のことでこうもあっさりと他人のプライバシーに関与し、情報を得ることができるのだ。
「下準備あっての今日だからね。簡単にできたなんておもわないでね」
僕の心情を察してか美夏さんが呟く。
「彼は、今日で終わりね」
美夏さんの言葉を反芻する。終わり。 彼は終わった。
受け付けのおばちゃんに軽く会釈をしてみるがここはラブホだ。いかがわしい表情を返され美夏さんと外に出た。
目立たない路地裏のさらに細い路地に入りラブホから対角線上にあたる場所で手持ちのビデオを巻戻す。
腕時計を見て時間を計る。零時過ぎ。ビデオのチェックをはじめる。手持ちのバッグに入れた割にはブレもなく映像は鮮明だ。これだけでも美夏の探偵業としての力量が僕にもわかった。僕らにはこの他にも夕方からカメラに収めたものがある。すでに彼が言い訳できる余地はない。
「ところでなんでビデオとカメラ、両方で証拠を残すんですか」
「この後に及んで馬鹿な奴がいるのよ。『これは合成だ』とか抜かす奴。ビデオはダメ押しね。それに、ビデオならカメラで撮り逃したということはないでしょ」
心底おもしろいような口調で喋る美夏さんにちょっと腰が引けた。
探偵とはこうも他人の人生に足を踏み入れられるのか。こうも冷静に依頼を受け実行できるものなのか。
「おもしろそうですね」
冷静だったのは僕だ。睨み付けるようにして美夏さんは僕に視線をあてた。
「そうね」
睨みつけるような視線とは裏腹に言葉はそれだけだった。
腕時計を見る。まだ、5分と経っていない。やけに時間が長く感じる。
「今日で終わりなんですね」
「そうね」
終わり。
終わり。
終わり。
反芻する。終わり。彼は終わり。
名前も知らない美夏さんという他人に、そしてラブホに産まれて初めて入った僕に見られた彼。
僕は彼の名前すら知らない。今日初めて尾行しただけだ。考えるのはやめよう。
腕時計に視線を落とす。秒針が機械的な時を刻む。
************************
深夜の暗黒がずっとさっきから変わらずに視界のなかを抜けていく。
美夏がレンタルした黒い軽自動車の助手席に座りながら外の景色を透けきっていない硝子窓越しに覗いた。人の起きている気配のない新興住宅地と廃墟のような木造住宅。道路を照らす街灯の光りが車内まで入り込み掠めるたび、硝子窓に自分の顔が微かな鏡のように反射してくる。スライドで掠め、一定間隔を置き、それが繰り返される。
交差点の手前の信号で止まり、街灯が黒い軽自動車の車内の中へと入り込んだ。硝子窓にどこかなつかしい橙色の光が射し込み僕の顔が浮き出たまま景色は停止した。
「さっきから黙ってるけど、どうかしたの?」
「・・・別に」
肩を美夏に小突かれた。
「嘘ばっか・・・」 信号が変わる。
オートマの自動的にギアが換わる音だけが確かに聞こえた。
「ねぇ、あたし、おもしろそうにしてた?」
「してました」
「即答かよ」
「・・・彼。どうなっちゃうんですか?」
「知らない」
ギアがもう一段換わった。
「依頼人しだいね。そのあとはどうなるのか知らない」
「そうですね。浮気してたのは彼なんですから、彼が悪い」
「へぇ、正登は彼が悪いと思うんだ」
「あたりまえでしょ」
「それにしちゃ、いまいち不満気だけど」
「・・・別に」
肩を美夏に小突かれた。
「依頼人が待ってる」