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クソッタレ解放区


vol_3.2   心の匂い



 無表情で美夏は資料を受け渡し、換わりに報酬の入った封筒を受け取った。
 仕事はこれで本当に終わりだ。依頼人が喫茶店のドアを開け放ち外の人波のなかに消えた。
 漠然と見ていた。美夏は無表情といった仕事上の顔だ。僕も無表情だ。
 無表情だ。無表情だ。そして彼の妻らしき依頼人ですら無表情だった。
 すべてはそうだ、無表情だった。彼の終わりは無表情だった。


「所詮、これは仕事なのよ。他人である彼がどうなるか。あたしたちには知ったことじゃないのよ」
 隣の席に座っていた美夏が僕の正面に座りなおして報酬の札を数えながら語りかけてきた。
 視線は数枚の福沢諭吉とせこい料金設定のせいで枚数だけは諭吉より多い夏目漱石だ。
「知ったことじゃないですか?」
「関係ない。どうでもいい」
「・・・そうですか」
「あたしの喋っていることもどうでもいい?」
 覗く。だが、僕は無表情だ。
「あなたの顔、すごく疲れた表情をしてるよ」
 そんなはずはない。僕は無表情なのだ。覗いている美夏とおなじはずだ。

「そんなことない」
「疲れてる。酷く狼狽してるよ」
 笑いかけてきた。なぜ、美夏が笑いかけたのか笑えるのか理解できない。
 いや、理解できないのではなく考えが働かない。僕はこのだるさに似た無気力感に包まれていることを今頃、自覚した。
「探偵は依頼人のために動くけど、依頼人に同情はしない。なぜだかわかる?」
「仕事だから、ですか」
「じゃあ、仕事ってなに」
 仕事。仕事。仕事。仕事ってなに? と、来たか。
 いやまてよ。仕事という単語は2回しか出てこなかったはずだ。
 考えを巡らすことは途中で止まった。
 そんなことわからない。という言葉が浮かんだ。

「わかりません」
 独白するように言うと美夏さんは鼻で笑った。
「それでいいんだよ。それが、西崎正登の仕事だ」
「意味がわからない」
「わからないことがあんたの仕事なんだ」
「意味がわからないと言ってんだ」
「・・・意味もわからないのか」

 しばらく沈黙した。
 なぜ、僕はこんなくだらない事で言い争いをしているんだ。
 そう自分勝手に巡らせたとたん、だるさが増した。体中の関節、とくに首、腕の付け根、膝。
 もろもろが油が切れたブリキ人形のように鈍くおもい重圧感をもちはじめた。
「あれから、よくねむれないんでしょ?」
「そんなこと、ない」
「わかりません。意味がわかりません。意味がわからないと言ってるんだ。どれも、これもおなじじゃない」
 僕をみる眼差しをはずさない。僕は美夏から自然と視線を離した。それは、恥ずかしいとかそういう感情ではなく、かといってなんとなくでもない。離さなければいけない。そう感じる確かなものがなぜかあったのだ。真理めいたそれは、ごく自然に視線を離してくれた。
 ひとりになった僕の視線は宙をさまよいある場所で停止した。なにもない、喫茶店の壁。クリームのような白を濁したような中間色。白とも黒とも、ましてや灰色とも違う濃淡色。視線は停止したまま、その色を見張った。

「仕事をする意味なんて人それぞれ。だから、正登がした仕事の意味は、わからないでいいんだよ。
 理由もなく仕事することだってあっていい。これから・・・・」
「うるさい」

 美夏を遮っていた。
 なぜ、遮ったのだろう。わからない。
「うるさい」 もういちど美夏を直視せずに言った。
「うるさい」 鏡を反射したような間接視もしない。
「うるさい」 壁をみたまま言った。
 声のトーンが落ちて最後に呟いた。
「うるさい」 聞こえないほどの口元が変形しただけの形。
 壁が白い。クリーム色だ。純白じゃない。クリーム色だ。
 僕は飽きなかった。昔から無意味なことを考えるのは得意だった。
 部屋でも同じようなことに気付き、考えた。
 ああ、僕は、僕は、・・・・同化している。
 この瞬間。僕は僕でなくなる。くだらない悩みも消える。
 それはなぜか、同化しているからだ。壁になる。空になる。
 一色の単純色に染まる。それだけで、なにかが消える。


 探偵なんてクソだ。
 なにが、探偵は依頼人のために動くけど、依頼人に同情はしない。だ。
 格好をつけるな。所詮は金儲けとしているだけじゃないか。しかも、他人の情報を盗む。
 犯罪とたいしてかわらない。白を表面に貼った黒だ。単純色だったはずの心に染みが走る。痛い。鈍く痛い。
 つくづく意識して心のなかで呟いた。
「オレには探偵はむいてない」

「探偵にむいているとおもうんだ」
 美夏の淡々とした声が単純色と化した僕に突き刺さった。
 うるさいは声にも、形にもならず壁の自分も消えていた。
「人の痛みを知りすぎてる奴は探偵にはむいてない。でも、人の痛みを知らない奴はもっとむいてない」
「・・・・・むいてないよ、俺には」
「オレって言った。・・・本当はやりたいんだろ?」
 あまりにも男っぽい美夏の言葉に自然と美夏に視線をむける。
「なにいってんだ」
「オレって単語は、あんたのなかじゃ本心を司っているのよ。ボクじゃ本当に収集がつかなくて、こまりはてたとき、オレがでる。ついでに視線をあたしにむけてるじゃない。興味あるんでしょ、探偵に」
 視線を美夏にむけていたことに気付いた。真剣な表情の美夏がいった。
「あなたがほしい」




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