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クソッタレ解放区


vol_3.3   欠片 −カケラ−



 淡い微かな白の天井に、層をなした色の染みが広がっている。
 気付き、上半身を起こした。喉を上下させ寝起きの体に悪い唾を飲む。
 ゆっくりとベッドへ上半身を叩きつけるように打ちこんでから、また、天井の染みをみつめる。
 ベッドの上で横向きに寝転んでうつ伏せに反転させ、手をそのベッドの下へと潜り込ませる。
 しめっとした感触の紙。薄い雑誌でいて紙そのもののできあいの安さ。
 指先で確かめ、ひっぱり出した。うつ伏せをまた反転させ仰向けに寝転がる。
 また、天井の染みに視線が止まった。

 これは、雨漏りか。
 と、どうでもいいことを思った。広がり、浸蝕した染み。
 いつから気付いたか。この部屋の天井には雨漏りのような染みがある。
 染み、染み。輪っかがいくつもの層になり中心になるほど色が濃い。
 しかし、実際、雨漏りはしたことがない。ベッドの天井だというのもあって水滴がしたたり落ちたことはいままでいちどもないのは確かだ。微かに腹寒い。乾いた紙面が腹の上にある。僕は考えを巡らせるのをやめて、ベッドからひっぱり出した雑誌を視線の上に広げた。

 就職求人雑誌。
 そのなかから、自分に合った条件を選ぶ。まずは、地域。採用条件のなかを目で追っていく。免許の有無。年齢。職種。そして、学歴。僕は高校中退だ。ぱらぱらとめくり続け、気付いたときには、違う地域にたっしてながめていた。しかたがないので、こんどは最初から居直りながめていく。ぱらぱら、ぱらぱら。終わり。もう一度。もう一度。
 ぱらぱら、ぱらぱら。繰り返し、繰り返し、眺める、読む、考える、適合する。
 ページの端を折り曲げながら最後のページまでたっしてしまった。
 たかだか数ミリしかない厚さ。商店街の酒屋の前に置いてあった無料のものだからしかたない。
 この情報が無料で、かつ、不特定多数の誰かが街中からさりげなく引き抜き今の自分のように眺めている光景を想像した。
 途端に自分のやっている行為が、空しく、つまらなくなる。結果、部屋の隅へ投げ捨てる。


 ――---、か。
 これでは、まるでバカじゃないか。
 すでに指先から滑り跳んだものを横向きに寝転んだ状態でみつめた。
 安い紙の雑誌はへにょりと無様にへしょげている。
 妙にしめっていたのに、どこか乾いていたな。
 そんな、どうでもいいことが脳裏を掠めた。
 たよりにしていたのは、あの紙面か。



 微かな音がした。
 機械が生きた吐息を刻む。
 静寂のなか、旭に照らされたへしょげた雑誌をみつめる。

 ************************


「あなたがほしい」

 美夏のことばを忘れようと視線をあげる。
 街中をひとり歩く足先が自然とマングースへと向っていた。
 通りに酒屋の前を通過する。雑誌が微妙に減っていた。
 考えてみれば、僕はいまだかつてアルバイトすら満足にこなしていない。
 考えてみれば、僕はただのいちどもこの地域以外の場所に足を運んだことはなかった。
 考えてみれば、僕は童貞だな。

 微笑が洩れた。あはは、と中身のない笑いが洩れた。
 両手ともジーパンのポケットに突っ込んだまま駅へと向う。
 途中、デパートの巨大な硝子壁に自分の姿が浮かびあがった。
 なんだ、僕は美夏にもらった服を着ているじゃないか。
 あはは、あはは。

 下を向いて歩く。
 気付いていたら電車に乗って改札を通過し、マングースまで歩いていた。
 車内でゆられているときに、なにげなく考えていたことが、改札を通過して道を数歩、歩いた途端、現実味をもちはじめる。だんだんと歩幅が小さくなる。道の途中で、マングースの白い建物がみえた。黒でも白でもない、ましてや灰色でもない。クリーム色の壁には鉄製の階段が露出している。硝子の扉の先にあるマングースの店舗はいつものとおり、白い清潔感が遠目でもわかるほど新鮮に目に映った。文太、香月さん、玲奈、慎也、美夏。今、みんなはなにをしているんだろう。僕は今、ここにいる。マングースの階段の前に。

 ************************


 玲奈が僕とその隣にいる香月さんに珈琲を届けてくれた。
 (なにをしているのよ)と、いった視線を香月さんを避け、僕だけに向けていたので意味もなく僕は笑ってしまった。
 その僕の無意味の笑みが、(彼女なんだ、僕の)そう一方的に解釈されたらしく、なぜか怒ったように玲奈は僕から視線を逸らし背をむけてしまい、このまま返してしまうのもなんなのでつい言葉に出してしまった、「ありがとう」の直後、背をむけて歩く玲奈が振り返り一瞬、僕だけを睨んだ。あまりにもその視線が恐かったので僕は珈琲に視線を落として意味がない笑いを顔に貼り付けたまま白い陶器の取っ手を持ち上げ珈琲を啜った。

「随分と、モテるようになったね」
 香月さんに言われてしまったあとに不適切だと思いつつ他に言葉がみつからない。
 だいたい、否定することのほどでもない。適当に言葉を選んだはずだった。

「悪いですか。僕がモテたら」


 香月さんはあっさりと沈黙してしまった。
 僕はといえば、言葉がみつからない。なにを喋ったらいいか、なにを言うべきか。
 本当の所、香月さんにしてみれば嫌味に感じないはずがないのに僕は平然と皮肉った言葉を選んでいた。
 なにが、「悪いですか。僕がモテたら」だ。もっと、上手い言葉はないのか。本当はもっと砕けた言葉で茶化すべきだろう。
 とことん自分が嫌になる。せっかく、美夏が探し出して会わせてくれたのに僕はなんの準備も整えていないじゃないか。
 心の準備。したはずだろ。香月さんに会って言わなきゃいけないことだってあったはずだろ。
 緊張するな。皮肉るな。


「馬鹿ですよね。俺って」
 香月さんの伏せるように下を向いていた視線が僕の視線と合った。
「こんな皮肉ったらしい言葉しかいえない奴がモテるわけないじゃないですか。ねぇ?」
「・・・」
「気にしないでください。僕も気にしません」
 言った後にまた香月さんは下に視線を伏してしまった。
 馬鹿か俺は。いや、間違いなく馬鹿だ。


「いや、そういう意味じゃなくて。・・・すいません。俺、根がひねくれてるから、どうしても馬鹿ばっかで。香月さん、小説家なのに言葉に無頓着で、・・・その、あの、・・・ごめんなさい」
 言葉が続かない。言葉じゃないとおもっているのに、心が上手く表現できない。
 本当はこんなことに言葉はいらないと思っていた。香月さんと会って、それでなにか自分のなかで伝えられると。
 なにか、素直に受け止められると。でも、現実はどうだ。すべては言葉に、言葉を使わなければ伝えられないじゃないか。
 言葉、言葉というものであらわせられない貧弱な想いじゃない。澪さんのときみたいに伝えられれば。
 言葉なんかに依存しないで想いをぶちあけたい。でも、どうだ現実には。言葉を使わなければ全ては空回りだ。
 伝わらない。いくら想いが強くても、伝わらなければ意味がない。


 微かに香月さんの震える声が聞こえた。視線を向けると肩が震えている。
 いままで思考していたことも自分の自傷気味な感覚も全部、吹き飛んでしまった。

「言葉に無頓着でごめんね」


 泣き声でなく、笑い声。
 香月さん、小説家なのに言葉に無頓着で、・・・。馬鹿。これでは逆だ。
 兎にも角にも僕は安心していた。泣いているのではない。震えていたのは笑いを必至に抑えていたからか。
 だいたい香月さんが泣く理由がないじゃないか。
 空気が震えた。

 僕と香月さんは顔を見合わせてお互いの恥ずかしそうにして笑う表情を久々にみつめあったのだ。




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