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クソッタレ解放区


vol_3.4   欠片 −カケラ−



「誰かをまっているんですか?」

 珈琲のカップを届けてくれた玲奈へ視線を向けた。
 関係ないじゃないか、君には。僕は視線を逸らした。


「別に、どうでもいいじゃないか」
「慎也を助け出さないでこんなところで時間を潰している暇なんてあるんですか?」
「時間を潰しているんじゃない。大切な人と待ち合せをしているんだ」
「―---彼女、ですか?」

 そこまで言ってようやく僕は玲奈のことを直視することができた。
 皮肉った笑いが玲奈の表情にありありと浮き出ていた。

「だとしたら、なんか文句ある?」


 随分と僕もあれだな。度胸があるというか、無神経というか。
 一瞥するような視線を僕へ向けた後、玲奈はなにも言わないで背を向けた。
 1時間、2時間。カチッカチッと腕時計の針の擦れる音がマングースの店内にながれる有線の音楽に雑じるように聞こえてくるような気がしてきた頃になって、ようやく僕はもしかしたら、これが美夏の悪い冗談だったのかと考えを巡りはじめたとき、遠目に僕を見ていた玲奈が銀の盆の上に珈琲カップを載せて、やってきた。笑顔の玲奈につられて自然と僕の表情も笑顔だったに違いない。このときまでは。

「彼女、遅いですね」


 ************************


 駅のホームに電車が滑り込むと、僕と香月さんは秋の肌寒くもなく温くもない空気を割ってゆっくりと乗り込んだ。
 さっきまで座っていた構内に置かれたベンチが開け放たれた扉の先に眼に入った。
 まだ、扉は閉まらない。対向車の待ち合せをしているのか、でも、他の電車がホームに滑り込む気配はない。
 誰が座っているでもないベンチがやけに眼についてはなれない。傍らに座っていた香月さんが僕の視線に気付いたのか秋の空気に似た声色で尋ねてきた。

「あのとき、なんで私がここにいるってわかったんですか?」
「なんでって、・・・なんでかな」
「本当は、あのウエイトレスさんに関係あるとか?」
「ウエイトレスさん。誰のこと?」

 玲奈が届けてくれた、やけに白かった陶器の珈琲カップを載せていた銀の盆と同じ色のポールに肘をのせ、頬杖をついていた僕は言ったあとに、あまりにも香月さんの質問に対して適当に受け答えをしていたことに自分でもびっくりした。
 頬杖をあわててはずし、傍らにいる香月さんに視線を向けると俯いた香月さんが息を潜ませて沈んでいた。


「正登君。さっきから、なにを考えてるの?」
「なにって、別に、なにも考えてないよ」
「・・・美夏さんのこと?」

 僕はなにもいえなくなってしまった。
 美夏はあのことを香月さんにも喋っていたのか。そう、思うだけで、だから香月さんになにを喋ることがある。
 なにを喋る。相談したいのか。っという事しか思い浮かばない。それだけだった。だから、そのことに関して、なにを、どう、喋ればいいかなんてわからない。どうしても、わからない。考えても、いや、考えが巡らなかった。いくら考えても気が引き締まらない。底の抜けたバケツに、全開にしたはずの蛇口からでる水は溜まらず抜けていく。なにか、底がない。どこまでも抜けていく。抜けるという感覚を捨て去ろうとすればするほど、僕は底がなく抜けていく。



「行くの?」
「…どこへ?」

「美夏さんと一緒にどこかへ行くの?」

 圧縮した空気が漏れるような音が腹の底に低く響いた。
 電車の扉は閉まり。車両が前の車両に引っ張られる。
 底がない所に入り込んだ水を、僕はみた。


「美夏とは、行かない」

 ************************


 夢のなかと、なんらかわりはない。
 ながいあいだ僕はここを待ち望んでいた。この場所。遊歩道の端に座る香月さんと、僕。
 あの時とかわらない。この場所で再会したんだ。人波が掠めるこの場所で、僕は香月さんと出会い、僕は香月さんを好きになった。あの時。夏の風は、秋の色に染められたけど、傍らに座る香月さんはあの頃となにもかわりない。遊歩道の自由気ままな風に、ちいさくゆれる髪。言葉なんていらない。マングースのときみたいな気持ちは嘘のように僕の心からは打ち消し去られていた。

「なにも、変わらないですね。ここは」
「・・・」

 傍らからみる香月さんの横顔はとても澄んでいた。
 余計なものがない、とても純粋でいて、穏やかな横顔。時折、髪が風にゆれなびく姿も、この横顔も、澄んだ瞳も、あのとき最初に会ったときからなんらかわりなくここにたたずんでいる。短めの肩まで伸びた黒髪がゆれた。


「僕たちが変わらないのかもしれない」
「―---そうですか?」

「結局、僕は、なにも変わらないままですよ。あの時から、前にも後にも進んでいない。ここで、立ち止まったまま。誰かの役に立ったのかもしれないけれど、僕はなにも変わらない。進歩なし、です」
「そんなこと、ないと思うけどな。・・・正登君、男らしくなったよ。表情とか、すごく男らしくなった」

「上っ面だけですよ。・・・今、着ているこの服と同じです。中身は・・・・カラッポ!」
 僕は立ち上がっていた。香月さんの視線の前に突っ立て、上から香月さんを見つめていた。
 なぜ、立ったんだろう。いつ、立ったんだ。気付いたら、香月さんの正面にいて、座ってる香月さんを見下ろしていた。
 戸惑う僕を見上げ、香月さんは微笑んで、僕じゃない誰かに告白するかのように言った。
「変わったよ。すごく、見違えるほど」

 その科白に僕はどう答えるべきか、照れ恥ずかしくなった。
 香月さんも、僕に触発されたのか視線を逸らし、照れていた。しばらくして、そうしていることが。向かい合っていることが、不自然だと気付き、僕はさりげなく香月さんの隣に座りなおった。


「みんな、バカ。・・・なんだって」
 途絶えた会話が、遊歩道に満ち溢れる足音に交じり僕の耳元へ届いた。
「文太がさ。言ったことがあってね。『俺の書きたいものは、空気や水のようなものだ』って」
「空気や水?」

「目には見えないけれど、確かにそこにある。蛇口をひねれば簡単に出てくる。
 でも、それってとても自然にそこにあるべきもので、それでいて、なければならないもの。
 なくなったら死んでしまうもの。俺は、そんな小説を書きたい。行間から滲み出るような生きた小説を書きたい。
 そんな小説、あなたは、本当に書けるんですか?
 って訊いたらね。『書くんじゃなくて、描くんだ』だって。私、笑っちゃった」


「書くんじゃなくて、描く?」
「そう。文章は、書くんじゃなくて描く。読むんじゃなくて見る。だから、俺をあんたの弟子にしてくれ、だって。最初、言ってることがわからなくてね。それでいて、文太ったら、あんまりにもしつこいから、テストをしたの。弟子になる素質があるか試すテスト」


 僕は遊歩道に向けていた視線を香月さんの横顔に移して訊いた。

「それが、みんな、バカ?」
「笑っちゃうでしょ。ここに座って、なにを感じるか。感受性のテストをしたの」
 行き来する人波はなにも変わらない。ただ、ひたすら、歩き、視線の先を往復しを、繰り返す。
 香月さんから遊歩道に視線が戻っていた。香月さんの視線が僕ではなく、遊歩道に釘付けになっていたからだ。
「テストは合格。文太は、私の弟子になった」




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