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クソッタレ解放区


vol_3.7   生きる証



 知っている染みが天井の部分を浸蝕しはじめた。
 家を出るんだ。時計の秒針が時を刻む。
 そう、自立する。親の助けを借りずに、自分の力だけで生活していく。
 ベッドに沈みそうになりながらも、身体のなかでなにかがくすぶった。
 ひとりだちする。ここにいるかぎり、なにも進まない。
 おれが言っていること、わかるか。時計の秒針が振るえる。
 無音に秒針の声が響く。鼻をすすった。たったそれだけで、音が響いた。
 僕は、ベッドに沈んで考えていた。考えるふりをしていた。なにを考えればいいか、
 それすらもわからない。考える事を考える。

 ふとっ言葉が浮かんだ。香月さんが言った文太の言葉。
 みんな、バカ。そうだ、愁も僕も文太も、みんなバカだ。
 今頃になってようやくその意味がわかった。この世にいる人間は形は違えど、皆、バカなのだ。
 バカだから生きている。バカだから死なない。人は、自分の眼でみる。
 自分の瞳で見る世界が世界そのものなのだ。他人の目になれないから、自分の目で見ている。
 それこそが、みんなバカなのだ。


「正登」
 愁が僕の名を呼んだ。みんな、バカ。口のなかで呟いて愁を見た。
 黙ってベッドに座る自分へ愁が近寄ってきた。

「終わったか?」
「ああ」

 ベッドの上で皺くちゃになった純白のシーツに腕を伸ばす。
 すべるような肌触りをぬけて、うずもれた携帯電話をつかみだした。
 愁へと差し出す。

「慎也はなんて言ってた?」
「考える時間がほしいそうだ。」
「・・・今さら、なにを考えるのやら」
 受け取り、携帯電話をしまいこみ、愁は僕に言った。

「長かったな」
「・・・たいしたことない」
「長かった」
「・・・そうだな」
「もう、戻ってくるなよ。戻ってくるときは、全部自分のなかで答えがでたときだ」
「答えなんてないのかもしれない」
「・・・答えがなくても、自分のなかでなにかをみつけられたら、それが、答えだ」
 愁が僕を見ていた。だから僕は、必ず帰ってくると言って笑ってやった。


 ************************

 指先の震えが止まらない。手のひらが小刻みに震えている。
 夜。僕はよく震えることがある。たまに震えることがある。
 知らないうちに震えている。思い出してみると震えていた。
 小刻みに指先が、手のひらも。震えていた。

 そして、僕は今も震えている。
 現実が恐い。恐いことは、僕にとって生きていることだ。
 生き続けていること。


 いつか、これが夢だと思った。
 思ったりもして僕は震える。
 夢があければ、朝になり。
 いつか、夜がくる。

 生きていること、生きつづけること。
 そうしていくにつれ僕のなかにも記憶ができて、
 僕は僕として生きるようになった。
 今、唾を飲み込む。この一瞬も、僕は僕でいる。
 いつか僕がここから消えそうになる日が来る。
 そのときが、恐くてたまらない、
 死にたくなるほど恐くてたまらない、
 いやなことがあって、
 死にたくなる、

 もしかしたら、それは単なる理由でしかなく、
 そして、糸口にすぎないのかもしれない、
 恐くて、無意識に関連付けをしているだけなのかもしれない、
 恐いのは生きているから、そして、死ぬのが恐いから、
 死にたいなんて本当は嘘。生きたいから死にたいと願う、
 そうすれば、


 ************************

「生きている人間は、狂いそうになるほどのものを知っているのに生きているんだ。ある意味で、みんな、バカだな。本当に」
 僕が文太にいってやることはこれだけで充分だと思った。文太はいつもの格好でそこにいるはずだった。
 ギラギラと光る瞳。体中にかれた香水。そのどれもが、生きている証だった。
 僕は文太が嫌いだった。夢を追い、どこまでも人間臭い。可能性を信じるその姿が嫌いだった。
 ボロボロの小屋に住んでいた文太を僕は笑いたかった。そして、差別したかった。
 それでも、文太の生きる証には傷ひとつつけられなかった。愁が、言葉を僕にくれた。
 愁らしくない言葉だった。

「文太は、本当に帰ってくるのかな」
「ここが文太の居場所だったら、帰ってくるさ」
「・・・みんな、正登に会って変わった。俺も、文太も、澪も、」
「香月さんが抜けてる」
「香月もか」

「それと、慎也」
 一瞬、玲奈のことが頭をよぎった。
 言葉にだそうとして、なにもいえなかった。

「みんな、やっぱり一緒ってわけにはいかなかったか」
「ひとそれぞれ、生きていく場所を探さなきゃいけないから」

 小屋に灯る小さな電球が部屋を丸く照らしだしている。
 ゆっくりと畳の感触を記憶する。薄汚れた埃が浮かぶ畳。
 ちゃぶだいに照らされた傷の入った黒も。
 記憶する。きっとこれが、僕の証となってくれる。
 撫でた指先は不思議と震えない。夜の風が愁のあたりから流れ込んでくる。
 煙草をふかし、愁が外を眺めている。それも僕は記憶に焼き付けようとした。
 そして思い返す。きっと記憶が消えないように。願いながら、思い返した。
 ふと、愁が動かないでいるのに気付いた。煙草の灰が畳へと落ちた。
 近寄って僕は、その灰を拾う。そして窓に視線をやった。
 満月に月光がとりまいて浮かんでいる。




the third chapter end & fin


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