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act.5: 【thanatology】



 空が青かった。私は雑居ビルの一室で面接を受けていた。年の瀬も押し詰まる12月の半ば、私は浮かれる街の喧噪を横目に満員電車につめこまれる羊のごとく乗り込みこの場所へと辿りついた。今回で5回目だ。書類選考ではすでに30社はいっているはずだ。不景気と言われる時代に産まれ就職氷河期と呼ばれた時代に就職活動をしなければならず、頭がさがるほど馬鹿で幼稚なオヤヂの採用担当者につくり笑顔を浮かべる。自己PR、志望動機、長所、短所、業務履歴。どれもが口が腐るほどに美化されて私は言葉にする。社会で生きていくとはそういうことだ。大人になるとはそういうことだ。カネを稼ぐとはそういうことだ。資本主義社会のこの国においてカネこそが絶対的力をもち、カネこそが地位そのものを示す。私は会社などという組織に使われる身分だが、会社につくす考えは毛頭ない。個人が会社に対してどれほど尽くそうとも、会社は個人に尽くすことはないからだ。短い期間だったが、大学時代に就活が難航しつつ派遣をやって理解したことは大学の勉強なんかよりもよほど役に立つことだった。要は利用できるものは利用しろ。最終的に決めるのは私自身。そして、私の価値を決めるのも私自身。決して目の前の薄汚れた採用担当者のオヤヂなどではない。熱意とかそういった不確かな格好だけが必要というのなら演じてみせよう。人を見抜くことができるというのなら見抜いてみればいい。私は終始、マニュアルにあるような受け問答を笑顔をはりつけてみせた。面接が終わり解放される頃あいになると私は雑居ビルを早々に抜け出た。冬の乾いた空が青かった。それと同時に結果もどうでもいいという気分になってくる。本音としたらカネさえもらえれば、就労環境がよければどこだってかまいやしないのだ。人はどこへだって生きていけるとなぜか青空を見るたび思う。

 最近、私は求職活動をしながらある学問を勉強しはじめた。死生学。個人の死とその死生観についての学問についてだ。具体的にいうと自己の消滅としての死に向き合うことで、死までの生き方を考える学問のことだ。死生学が対象とするのは、人間の消滅、死である。死生学の開拓者の一人、アリエスによれば、「人間は死者を埋葬する唯一の動物」であり、この埋葬儀礼はネアンデルタール人にまでさかのぼる。それ以来長い歴史の流れの中で、人類は「死に対する態度=死生観」を養ってきた。死生学はこのような死生観を哲学・医学・心理学・民俗学・文化人類学・宗教・芸術などの研究を通して、人間知性に関するあらゆる側面から解き明かし、「死への準備教育」を目的とする極めて学際的な学問なのだ。現代社会は死を捨象したところに存在し、死をタブー視する社会である。近代以前において死は最も重大な思索の対象であったが、近代に成立した政治思想・社会思想は人間生活から死を追放した。特に近代政治理論においては近代国家の使命を、人々の「横死への恐怖」から救い出すものであるとし、近代国家は死なない永生的擬似生命体として不死の存在とされた。近代国家は国民という一つの永続的で集合的な人格に立脚するものであり、したがって近代以前の国家と異なり、観念上近代国家が「死ぬ」ことはあり得ない。同様に「経済人」としての人間、またその集団である企業は、生活力旺盛な壮青年のみで構成された死のない集団であり、生のみによって成り立つ世界でしかない。死生学は死をタブー視し、死を非日常的なものとしてこれを遠ざけ、そのために死を必要以上に悲惨なものと考え、恐れる現代社会に対して、死に対する心構えという観点から改めて生の価値を問い直そうという試みである。それは死を自分の将来にある必然として見据えることにより、現在の自分の生において何が大切であるのかということを考える営みを提唱するものである。


 自殺対策基本法が施行された現代においても年間の自殺者数が3万人を超える日本の現状は誰の目にも尋常ではない。戦時下でない国が戦死し息絶える人数よりも自ら命を絶つ自殺者のほうが多いという国は世界をみても日本ぐらいのものだ。それはなぜか。なぜなのか。国という組織、企業という集団に飼われている犬でしかないからだ。死とは詰まるところ野良犬になれない飼い犬が行き着く最終的最悪的な結末でもある。孤独死、飢え死に。理由はなんだっていい。死ぬものはためらいなくその天寿を全うすることなく死を選び、その他はなんとなくでも生きている。私は空を見上げる。澄み切った空が一面に広がっていた。生きる理由があるとすれば少なくとも空が青かった。野良犬風情の犬が思うことは、それだけで充分ではないだろうか。

act.6: 【escape】


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