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act.6: 【escape】



 その年、私は未曽有の世界同時不況のまっただなかにいた。なぜ、私の世代はこうも運がないのだろう。そう思えてならない。カネもなく学もなく人脈もなくとりつくコネもない。ないないづくしの私が行き着く先はその他大勢の同類の行き着く先と同じだった。私の住んでいる地域の管轄するハローワークは墨田公共職業安定所になる。錦糸町の駅から徒歩数分の所にある。真向かいには目障りな無料案内所があるのでいい目印にはなるだろう。失業保険受給の手続きを終えて近くの安い定食屋に入れば食券を買って席にすわると調理油で汚れたテーブルの端に茶色いゴキブリが隠れていた。当然出てくる定食もあからさまにタッパーを電子レンジで温めたものだった。私は客に食べさせるものを温めたタッパーから皿に大ざっぱに移し替える店員の手つきを呆然とながめながらこれから先のことを考えた。結局は考えても答えなど出るはずもなくタッパーから皿に盛りつけられた豆腐チゲ定食を無言で食べた。予想に反しておいしかった。これから帰ってまた求人情報をあさる作業が待っている。これから帰ってまた履歴書を書く作業が待っている。毎日がそれの繰り返しだった。それ以外は、たまに天気のいい日などは散歩に出かける。最近では図書館に足を運ぶことも億劫になっていたのでいいトレーニングになる。朝は以前のように満員電車に乗り込むこともなくなった。好きな時間に起床して、好きな時間に床につく。それが良いのか悪いのかは別にして、私にはそれ以外することがなかった。

 不安になったら処方されている精神安定剤のデパスを飲む。先生から教わった腹筋を使った腹式呼吸法を5回する。先生のいうとおりお日さまの光を毎日毎朝30分浴びる。できるだけ散歩もする。そしてきちんとごはんをとるようにする。毎日が毎日で、毎日が毎日どおり。そうしているなかで私などいなくともなんの問題もなく世の中がまわっていることだけが実感できた。人はなんのために働くのかということを私は改めて考えた。カネのため。会社のため。ついては社会のため。自己の尊厳のため。私はいままでなんのために働いてきたのだろうか。確かなのは誰かのためには働いていないということだった。私、ひとりが生きていくために働き、それ以外のことはなかった。働くということは必要とされることであり、自己の尊厳には欠かせないものだ。自分が自分を証明するにいたる存在意義をつくることだ。そう思っていた。そう、思っていた。

 実際はどうだったか。
 存在意義など私には見つけられなかった。
 あったのはただ代用の利く歯車という役割だけだった。
 それが嫌で、それでもがんばった。
 仕事だと割り切ればよかったと今なら思える。
 もう、なにもかも遅いけど。


 夢をみていたのかもしれないと私は思った。仕事とは夢じゃない。どんな仕事も地べたを這いずり回るようなことなのかもしれない。少なくとも残された選択肢はそれしかないと私は心のどこかであきらめている。だから求職活動もマンネリ化することになる。面接にも熱がはいるはずがない。心ここにあらずの面をしていることだろう。なにを言ったのか印象の薄いことしか言っていないのだろう。人の夢なんて所詮、儚い。夢で空腹は満たされない。それでも、私がここまでこれたのは夢という不確定なもののおかげでもあり、私がここにいる原因もまた、夢という不確定な目に見えないもののせいなのだ。

act.7: 【bug】


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