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 人はつらい体験を経験すればしあわせになれるのだろうか。ラジオを聞きながら、布団のなかで横になった私がカーテン越しに青空を見上げている。客観的にみればそれはあまりにも贅沢なことなのかもしれない。もしかしたら、今の状況こそがしあわせというものなのかもしれない。会社を辞めるとき、カウンセラーが私に言った言葉だった。『人はつらい体験をしたぶん、しあわせになれる』当時の私はどこかおかしかった。現実逃避ばかり考えていた。他人を自分のつごうのいいように信頼していた。もし、私があのカウンセラーと出会うことさえなかったら。そう思うだけで、振り返りみればユーパンとアモキサンの錠剤が机の上に無造作にちらばっているだけだった。世間ではまとまった休暇がとれる年末年始も気付けばとうの昔に終わっていた。年越し派遣村なんていうニュースがながれるテレビなどみる気もないままラジオだけをながして過ごしていた。今年は帰らないのかという実家からの電話にたいしても帰るとだけつたえ、実際、あわせる顔をつくるのが面倒で帰ることはなかった。いつもとおなじように過ぎていく。錠剤の残りが減ることだけが日々の経過を教えてくれた。面接も心持ち落ちることを前提に受ければ緊張することなく年明け2週目からはじめることができた。人であふれかえる職安にいき風邪をうつされたこともあった。年明けてすでに3回も風邪で寝込んだ。ゆっくりと床にふせながら、このときばかりは無職であることに優越感をおぼえた。そんなことがあり、そんなことが過ぎ、私は2回目の失業認定をあさってに控えていた。


 はじまりがあれば、かならず終わりがくる。
 初回認定分の失業保険は、区民税と社会保険、家賃で全額つかいきってしまった。生活費は実費、貯金から切り崩している。残りはもってあと半年か、きりつめて1年か。それだけしかないともいえるしそれだけあるともいえる。今日という日が生きられるという事実と、今日という日を生きているという実感がズレたまま私はいまここにいる。以前と確実に変わったことはそういったことを冷静に考えることができるようになったということだろう。そして、もうひとつ。気分の浮き沈みも以前より激しくなった。意味もなく泣きたくなる日があると思えば、無性に腹のたつ日がある。言い換えれば無機質だった以前より私はどこか人間らしい感情が強くなったのかもしれない。会社勤めをしていた頃、私の感情はどこか麻痺をしていたように思い返せた。ただ規則的に業務をこなし、決められた納期までに作業をこなす日々の繰り返しのなかで不必要なものを私は捨てようとしていた。人間的感情すら希薄になっていったそのなかで無理がたたり蓄積していった結果、破綻した。もう少し肩の力を抜いて一日一日を楽しめていればよかったのかもしれない。日常のささいなこと、以前の私が馬鹿にし、冷笑を浮かべ視線をむけていたようなささいな心いやされることに感情を開いていれば違った自分をつくれたのかもしれない。会社に勤めるまえ、上京するまえ、大学に通いながら派遣作業を経験していた頃の私はなにを感じていた?


「考えても答えなんてでない。やるだけやって後悔すればいい。なるようになる」
 昔の私は、もっと世間知らずで自信過剰だった。失敗を恐れなかった。他人を怖がらなかった。可能性と明日を信じていた。そして、一番私自身が私を信じていた。未知数だったからこそ信じられた。先の見えない未来を恐れなかった。この身体と私という精神だけがあればどんなことにもチャレンジしていった。それが、私という個性だった。

act.8: 【null】


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