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夢見草
vol_1.1 片恋襤褸
2
「文太・・・なのか?」
太陽光が現実を白くさせるほどの陽炎を立ち昇らせているなかで、
愁は、夏の青空と対を成す白いワゴン車を洗車していた。
ちょぼちょぼとながれる薄緑色のホースの先端をつまみ、手足と半袖の足元には水の湿った色とサンダルから見える素足が煌いてみえた。
蝉の声と、プールの洗浄剤のような音と風の匂い。灼熱の太陽は光の雨になり、白くあたりを照らす。
ふいに懐かしさと、愁の声、それと、普段の愁が洗車しているという現実感に涙ぐんできた。
「なに、泣いてんだよ。・・・変なやつ」
変なやつ、か。確かに変だ。
久しぶりに懐かしいダチにあったってのに。
こんなことになるなんて、悔やんでも悔やみきれない。
愁。せめて、・・・。
「あれ、誰だ?」
気付かないでくれ。
心の声は届かなかった。
『こんにちは』やっぱり、尾行してやがったか。
振り返ると同時に『あ』と、いかにも台詞がかった科白が聞こえた。
「いいかげんにしろよ」と、言う間もなく、その女の子は俺の腕にとびついてきた。
『と、危ねぇ』愁ではない。俺でもない。男臭い台詞。・・・じゃなかった。
科白をその女の子が言ったのを、俺は聞き逃さなかった。
よろつく女の子を支える必要もなく、その女の子は自分で体勢を整えた。
『美夏でーす』・・・などと、こいつが喋るわけもなく。
『文太の幼馴染の美夏です。よろしくおねがいします』
調子良い奴。こんなときばかり、女を出す。
「あれ、なんだ。文太の彼女か?」
おいこら。なにを聞いていやがった。純潔の幼馴染だって。
しかも、何年かぶりに会ったってのに平気で幼馴染なんてことをいう仲。
それ以前に、俺とコイツの関係は、
『違いますよ。だって、あたしとコイツ、従兄妹だし』
「ほー、イトコ。なんだ、文太と似てねぇな」
そりゃそうだろ。イトコなんだから。キョーダイならまだしも、イトコ。
わかるか? イ・ト・コ
ちょろちょろとながれるホースの水を止めて、愁が向き直った。
清楚で育ちのいいふりをする美夏はそれを見届けてから、話を続ける。
『当然です。私とコノ、馬鹿が似ててたまりますか?』
言ってることはちっとも清楚じゃない。
少しの間をおいて、愁がニヤッと笑った。
「俺なら、グレるな」
※
「あー、アレね」
何年前のことになるだろうか。よく思い出せないが、
あの日の場面がふいと頭に浮かんだ。
「俺なら、グレる。ね」
「なに、それ?」
美夏の顔を見ながら呟いていた。
呟きながら無意識に微笑したのがいけなかったのか。
美夏は、俺の口の端を確かめると急になぜか赤面した。
フンっと鼻を鳴らし、それでも、ちらりちらりと俺を盗み見る。
まったく、こいつは。これでも本当に探偵家業なのが不思議だ。美夏は動揺などの心理的不安定な事になってしまうと、
とたんにダメになるが、殆んど、俺は美夏が動揺している所など見た事がない。
コイツが動揺するのは、たぶんエッチな事を考えている時だろう。
なぜならば、頬が赤らんでいるから。・・・なんて、あまりにも単純か。
「なんか、変なこと考えているんじゃないでしょうね?」
へらへらと口の端が緩んでいると、美夏が指摘してきた。
俺は図星を突かれながらも、言葉を選ぶ。
「思い出してた」
「なにを?」
「愁におまえを紹介したときのこと」
「馬鹿。なに思い出してんの? 話が別でしょ」
「・・・はなしねぇ。なんだっけ?」
途端に美夏の表情が赤らんで俺を睨んだ。そして、ひとこと、
「ハメやがったな」珍しく美夏の瞳が涙ぐんでいた。
「ハメるもなにも、聞いてなかったし」
視線の端では、見ていたのだ。
見ていたのに、見ていないふりをした。
まさか美夏がこんなに動揺するなんて、思わなかった。
沈黙のあと、いきなり席から立ち上がるところまでいくと、さすがに冗談ですまされない気がした。
「ちょっと、まてよ」
美夏の手首をつかむと、美夏がふりはらう。
店内を出て前を行く美夏を追いかけて、唐突に駅のなかにいることを思い出した。
行きかうスーツ姿のビジネスマンの波をぬけて、ようやく美夏をつかまえる。
「美夏。さっきは、その・・・、ちょっと言いすぎた。俺が悪かった」
泣いているとたかをくくっていた俺は、美夏が人を突っぱねる、
あの、独特の冷笑に似た睨みを見た。そして、ゆっくりと息を吸うモーションを見て、
次に美夏がなにをしようとするのかがわかった時には、すべてが遅かった。
駅のホームに美夏の悲鳴が響きわたった。