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夢見草


vol_1.4   喧騒のなかの憂鬱



   4


 年代物の柱時計が6時をつげる。釣鐘を垂らした鐘が鳴る。
 ゴーン、ゴーンという昔ながらの柱時計らしい音を聞いて、私と文太は薄暗い人気のない座敷部屋から見上げた。

  ゴーン。ゴーン。
  ゴーン。ゴーン。

 鳴る鐘。響く音。薄暗い座敷部屋で文太の金髪が夕日を浴びて、オレンジに染まる。
 座敷にひとつだけしかない丸く表面が傷だらけのちゃぶ台の上でノートの黒地に色の禿げ落ちたIBMという綴りのアルファベットのロゴを、見つめた。
 キーボードが鳴る。私は、それに耳を傾けた。文太の指先がキーを弾くたびにキーは鳴る。カタカタカタ、カタカタカタと、まるで私は、その音を聴いているかのように耳を澄ませていた。ネットカフェで働いていることもあり、私はいつも耳にするこのキーボードの音が嫌いではない。かといって、大好きというまでにはいたらない。ネットカフェでは、いつもこんな音が聴ける。キーを弾く音。冷却ファンの音。ハードディスクを読み書きする音。
 生きる音。心臓の鼓動のように、生きている証。電脳なんて、所詮は道具であり、電気が無ければただの箱なのに、箱に電気という血液を与えれば、箱は生きる。血液と電気。肉体と機械。天井に近い所にそなえつけられた柱時計を見てからちゃぶ台のノートを見比べる。動物と人間。私にはそう見えた。


「今頃、美夏と正登はなにしてるんだろうな?」
 文太がこちらを見て、喋りかけてきた。
 まさか文太は私が柱時計とノートパソコンを見比べて、生き物に例えて考えているなんて思ってもいないだろう。私は適当に言葉を返した。別に気にしてもないのに黙っていたら文太がまた余計なことを喋りかけてきた。

「そんな端っこで壁に背中くっつけていないで、こっちに来れば?
 別に俺は、おまえをとって喰おうってわけじゃないんだからさ」
 私は黙って鹿十した。鹿十するのに黙るのはあたりまえだが。

「・・・まったく。弟にもそんな風に接してきたのか?」
「あんたには関係ない」
 横目でなにげなしに盗み見ると、肩をすくめてみせる文太と目が合った。
「正登が今の玲奈を見たらなんて言うだろうな」
「・・・」私は鹿十した。視線を逸らした。
「慎也と元気に生活しているかねぇ?」


 私は夕日に溶けるように、誰に言ったのかわからないような科白を呟いて、再びキーボードを弾きはじめる文太を眺めていた。眺めていながら、私は、夕日に照らされている景色のなかで慎也のことを考えはじめていた。いつから私は慎也を嫌いになって遠ざけていたのか。いつから両方がそれを自覚していたのか。考えて、思い出そうとして、結局よくわからなかった。慎也は私より大人しい弟だったし、私はいつも慎也に話をしていた。いつだって私は慎也を想い、話をした。姉だから、かわいい弟だから。慎也は私に心を開いて話をしてくれていたのだろうか。ひとり、浮かれていたのは私自身だけなのだろうか。幼い頃によく遊んでいたことを慎也は覚えていてくれているのだろうか。

 私は考えて、考えても仕方ないと溜息を吐く。
 私が考えていることは思い出にすぎない。幼い頃にお気に入りのぬいぐるみを取り合ったり、寝る前にいっしょになって人形劇をしてふざけあったり、時間を忘れるほど怒られながらテレビゲームで対決したり、私が母親の買い物につきそって、家で留守番している慎也のために御菓子をふたり分、母に気付かれないようカートに入れて、母に怒られながらも買ってきてあげた諸々の思い出の欠片を、もし慎也が覚えていても、すでにそれは思い出にすぎない。仲のいい姉弟だった過去形の思い出よりも、現在進行形の思い出はあまりにも切実に目の前にある。私は考えても仕方ないと思っていたのに考えていた。咽喉の奥が痛んだ。鈍く、重く痛い。自然と情けなくなって、惨めで、自覚して泣きたくなった。つらいのに涙は滲みもしない。
 文太を眺めていたのに視線は俯いて、部屋の壁を背に体育座りしている自分。私は咽喉が痛いのを振り切って目線を据える。
 弱気になっても誰も助けてくれはしないぞ。弱気になるな、強気になれ。
 咽喉の痛みを堪え、睨みつけるように視線をあげた。文太に気付かれないように視線を戸口へと巡らせた先で視線が合った。
 一瞬、その視線が私の睨みつけるような視線と合ってびくりと動揺した。
 戸口が少し、ほんの少し開いている先に見覚えのある頭が動揺しているのが見えた。


 咽喉の痛みを堪えて、私は呆れながらも声をかけた。
「そこで、覗いているのは誰?」

 私が言い放つように訊くと、一瞬、頭をひっこめてから、もはや逃げられないと観念した犯人のようにのったりとした動作で戸口を開けて入ってきた。藍色の法被はっぴを着込んだスキンヘッドの背の高い男が両手に盆を大事そうに持って現れた。盆の上には、蜂蜜色に輝く団子が皿の上に段になって載っている。私は青年というには、あまりにも似合わないこの男を知っている。さきほど文太に紹介させてもらった田島君だ。
 田嶋君はそのスキンヘッドとはおよそ想像すらできないであろう、はにかむような表情を私へと向けてきた。
 私は突然の田嶋君のはにかみにまいってしまった。いろんな意味で視線を合わしづらい。
 不意打ちをくらったような気分になった。

「団子、持ってきたんですけど、よかったらどうぞ」
 目を向ける。田嶋君が私を見ていた。
「おまえ、さっきからずっと覗いてて、その科白はねぇよ」
 私が言うわけない。文太が言った。
「うっせーよ。おまえの団子じゃねぇ」
「玲奈ちゃんの?」文太が意地悪そうに問う。
「玲奈さんのだ」文太の問いを真正面からつっぱねるように答える田嶋君。


 壁に背をもたれて座る私の横に盆を置いた。
 スキンヘッドの笑顔を渡され、不意打ちをくらった不自然な笑顔を返す私。
 痛い咽喉を隠し「ありがとう」を渡して、見た目通りの野太い「どういたしまして」が返ってくる。
 そんなやり取りをして、田嶋君はあいかわらず笑っていた。なにがそんなに笑えるのかよくわからないけど、田嶋君が笑っていたので、私も不器用ながら笑わせてもらう。

「お茶は、ちゃぶ台の下にポットと急須と湯のみ茶碗がありますので、それを使ってください。茶っ葉は急須の中に入ってますから」
 説明口調でつげ終えると立ち上がり、友人である文太にはなにも言わず素通りしていく。そこで文太がふざけた。
「you no me ?」
 当然、私と田嶋君はまともなので鹿十する。
「では、ごゆっくり」
 文太は、out of 眼中だった。私も田嶋君も、文太のように無作法ぶさほうではない。
「なんだよ、あいつ。久しぶりに会いに来たっていうのにさ。美夏がいなけりゃ、玲奈に乗換えか?」
「しょうがないよ。文太は男だし」
「・・・女ったらしめ」

 恨みったらしく呟いて文太はパソコンに集中しだした。
 私はさきほど田嶋君が置いていってくれた盆の上の白い皿に載った団子の段から一本、手に取り、口に含んだ。




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