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夢見草


vol_1.7   淡黄色の泡



   ※


 穏やかな寝顔で、鼾が聞こえないほど穏やかな、微笑ましくも羨ましくもある寝付でねむっている。
 無垢で無邪気な、こんな他人の寝顔を久しぶりにみた気がする。それは、慎也も同じだったようだ。

「子供みたいにねてる」
 悪戯心に人差し指で突っつくとくすぐったく呻き、布団のなかに潜っていく。
 居酒屋での態度としてはまるで立場が逆転している。あたしの人差し指はそれをおぼえているようだ。
 眉をひそめて、露骨に嫌がっている。気持ちよくねむる正登を突っついていると、わざとそうして続けている自分が幼稚にも思えるが、わかっていてもやめられそうにない。あたしは夢中になっていた。どうだ、参ったか。居酒屋での、あたしはちょっと酔っぱらっていただけなんだよ。うりゃ、うりゃ。突っつく人差し指に自然と熱がこもる。このままだと起きてしまうと感じたのか、自制の利かないあたしを止めてくれたのは隣で正登の寝顔を一緒になって覗き込んでいた慎也だった。仕返しをやり終えたあと、うーん、などと呻きながら正登の苦しがる表情も和らいでいく。まるでそれが子供相手にいじめているような、女の子にセクハラしている親父のようにも感じられた。あたしは酔っ払いの親父か。穏やかにねむりを再開しはじめた寝顔を覗きこんであたしは悪戯したことに少なからず後悔して、親父、親父。酔っ払いの親父と無駄にない空想を巡らせて、かたちがさほど固まらない不確定な謎の酔っ払い親父と自分を重ね合わせていた。

「こんなに安堵した寝顔はここに来たとき以来、なんじゃないの?」
 慎也があたしの言葉に頷く。人見知りの激しい慎也が心を開いて話せる相手なんて姉の幼馴染であるあたしと、文太と、この目の前で眠っている張本人ぐらいなものだ。本当ならばあとひとり、いるべきだが、それはあたしが口出ししていいことでもない。
 微笑。かくかくとした不安定な泣き笑いのような表情で慎也は言った。
「そんなこと、ないですよ。ここに来たときなんて不安で、不安で。寝付が悪かったんですよ」
「そうなの?」

 頼りのなさそうな、やさしさと不安と期待がないまぜになったような表情を慎也は向けた。
 正登が不安に眠れなかったと感じたのは、それは、あなただけの主観でしかないんじゃないの?
 本当は慎也、あなただけがひとりだけ不安だったんでしょ?

 あたしは出かかったその言葉を存在の薄い喉仏あたりでつまらせた。
 あたしのこの言葉は、あたしの主観だ。

「ここに来てなにかやりたいこと、見つかった?」
 喉に詰まらせた言葉は表現を変え、ついでた。
 慎也の表情が少しだけ苦しげに変わった。変わったが、すぐに表情を修正する。
 あたしは探偵という職業についている以上、なにかとそういうところは敏感になっている。
 後悔した。慎也はまだ、これからだ。見つけたとか、見つけられないの次元ではない。
 本当ならば高校三年生。将来のことなんてわからないで当然の時期だ。こんな馬鹿な質問、あるか。

「まだ、かな。やりたいこと、よくわからない」
 悲願するようなものの根底に、慎也独特のつくられた明るく発せられた片言の綴りは、あたしのどこか深いところに突き刺さった。
 馬鹿か、あたしは。正登なら間違ってもこんな質問、しないだろう。


「あたりまえだ。若いうちに人生決めちゃったらつまんないよ」
 あたしだって言葉くらいつくれるんだぜ、慎也。あんただけじゃないよ。
 あたしだってできるんだ。心とは裏腹なこと、言えるんだ。


 慎也は照れたように俯いた。俯きながら、照れたような視線は自然とその先で寝ている奴に落ちていく。
 あたしはその視線を本人に気付かれぬように追ってギクリとした。
「まあ、どこかのだれかさんみたく何年も彷徨っている奴もいるけどさ」
 なんだ、あたし。次になにを言う。
「悪く、・・・ないでしょ?」
 違うだろ。
 慎也は黙って熟睡する正登をみている。あたしも、みている。
 しばらくして慎也は穏やかな調子で明瞭につげる。
「悪く、ない、ですね」
 目の前にねむる正登に言いたい。
 あんたの代わりは少なからず、あたしではないことを。


   ※


「ぎぶ。みー。希望」
「・・・なに?」
「希望をおくれよ。俺に」
「そんなもの、ない」
 ちゃぶ台に突っ伏す金髪に、私は断言した。
「アホなこといいまんな、お譲ちゃん。冗談、キツイゼ。ヘビー級ダゼ。あんたなら世界目指せるぜ」
「馬鹿なこといってないで、寝るよ。布団敷くから、そこ、邪魔」
 変な言葉を連呼する金髪に反応はない。そればかりか、ぐったりとしたまま頭もあげてこない。
 いつもと違う文太の調子に私は軽くちゃぶ台の足を蹴飛ばした。
「イテ」
 痛いという言葉だとはすぐにはわからなかった。
 それでも反応はそれだけだった。
「どうかしたの? 元気ないじゃない」
「・・・凹んだ」

 ひとことでこの場の空気を表現する。
 小説もいいが、日常生活の場までそれだけで表現しようというのは腹が立つ。
「凹んだから、なに? 子供じゃないんだから、どうしてほしいかぐらい言えるよね」
 いえるよね。の、“ね”の後にあるはずのクエスチョンマークがないことぐらいで文太はまた凹んだようだ。
 声のトーンが落ちた。
「なぐさめてほしい」

 あきれて、失笑もうまく発せられなかった。
「・・・あのね、そういうことは香月さんにしてもらいなさい」
「あいつにされると、さらに凹む」
 なにされたんだ、あんたは?
「じゃあ、田嶋君にでもなぐさめてもらえば?」
「あいつは無駄にひかり輝いている。今の俺には近寄りがたい」
 ・・・ちょっと笑ってしまったじゃないか。この野郎。
「じゃあ、なにをしてあげればいいの?」
「・・・俺の長所を言ってくれ」
「それだけで、いいの?」
「アホなこといいまんな、お譲ちゃん。言葉にはな、力があるんだ。なめんなよ」
 別になめてなどいないが、文太がそこまでいうのなら言ってやろう。
 小説家志望だから、言葉には敏感なのだろう。私は腕を組んで考えてみた。
 文太の長所、長所・・・。柱に立てかけてある時計の秒針がやたらと響いてくる。
 それほど最初に訪れたときと同じように静まり返っているこの部屋で、真剣になって考える。そもそも、文太がこんなに元気をなくしたのも文太が原因だとはいえ、私がキツイ言葉をなげかけたせいなわけだし、小説家志望というだけあって言葉には敏感だから傷ついてしまったのかな。・・・考えてることが違う。文太の長所、長所。それにしても、時計の秒針が動く音ってこんなにも大きかっただろうか。気が散る。長所、ねぇ。集中できないなぁ。長所、長所・・・。普通のいいかたではマズいか。文太だって一応、小説家志望なんだし、それ関係の励ましの言葉のほうがいいかもしれない。そうとなると、作家としての長所? 人間としての長所?

「・・・もう、イイッス」
「中途半端なところで切り上げないでよ。今、考えてるんだから」
「・・・中途半端・・・・カンガエテル・・」
「いや、そういう意味じゃなくて」
 文太の頭のなかでは確実に誤解が拡大していっている。
 気付いたときには遅かった。
「どうせ俺は、なにをやっても中途半端ですよ。長所だって考えなきゃ見つかりませんよ」
「・・・だから、違うって」
 無言のまま過ぎ去る時間。
 久しぶりに頭をフル回転する私。文太の長所、文太の長所。
 暗中模索するようなことをしていた私はなんでもいいから長所を探そうと没頭している。
 こんな奴でも、幼馴染だし。美夏とも遊んだし。混乱する思考。響く秒針。
 そしてようやく私はひとつの長所をみつけることができた。

「無駄に元気がある」
「・・・今は無いけどな」
 秒針は止まらない。




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