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夢見草


vol_1.9   桜舞い散る、日々。



   ※


 コンビニで買ってきた、缶ボトル。無糖ブラックのアイスコーヒーを、グラスにそそいで、ストローをつければ値段が高くなるのは常識だが、目の前の小説家は違ったようだ。なにを疑うことがあるだろうか。ごく自然に口にしたストローでひとくち吸い終わると、「やっぱり、カフェのアイスコーヒーは違うね」などといった言葉を真顔で言い放つ人なのである。だから、当然、これを運んできた玲奈を失笑させたりする。この、ネットカフェ、マングースの常連の人なら知っていて当然のことを、知らない。なんだったら、アイスコーヒーのおかわりを俺が自販機で買ってきてやろうか。なんてことを想像してみて、俺は玲奈に訊いた。


「本当に、これって豆から淹れてるの?」
「珈琲豆から淹れないと、珈琲はつくれません」
 こちらもあたりまえのことを平然とした接客の笑顔で返す。
 考えてみれば、俺のまわりの女は、いろんな意味でこんな奴等ばかりだ。

「なに、あたりまえのこと訊いているの?」
「買ってきた奴かな、とおもってさ」
「珈琲豆は買うよ、普通」

 そんなやりとりを俺と香月がしているうちに、玲奈は小さく礼をして、戻っていってしまった。
 香月と俺は顔を見合わせる間もなく、その後を視線で追っていた。
 しばらくしてから、さきほどとは声色が違う、不思議な声で香月が訊いてきた。

「慎也くんとは、会わなかったんだ。・・・どお?」
 どお? と訊かれても、別に返す言葉はない。
 俺は、「ああ」とも、「いいや」とも声にださず、頷いていた。

「やっぱりね、いつもみたく元気ないもんね」
 あれから、一週間が経っていた。結局、俺は正登に会うこともなく、玲奈は、弟の慎也に会うことはなかった。
 いいよ。別に。いつでも会えるし。言い訳は、ふたりともそんなかんじだ。
 玲奈には、仕事があり、俺にも少なからずやることがある。
 ふたりとも、立ち止まって美夏を待っているほどの時間はなかっただけだ。
 俺も、玲奈も。子供の頃の俺たちではなく、いつしか自分でも気付かないうちに大人になっていた。


   ※


 小説が書けないとき、情報収集のためのネットカフェを出て、俺と香月が気分転換に行く場所は決まっている。
 もちろん、商店街の人込みのなかもそのひとつだ。でも、それ以上に、俺自身には好きな場所がある。
 マングースから、少し歩いた場所にある、あの公園。美夏と玲奈と慎也。いつも一緒にいた、いつもの場所。
 いまでは、不思議に、むかしの頃の面影すら残らないこの公園で、俺はその頃にはいなかった香月とブランコに乗っていた。
 いつのころからか、別々に行動するようになっていて、いつの頃からか、心もそうなっていった。
 だから、こういうとき、人がこんなふうに憂鬱になったときは、おもいでに浸ってみることがなによりも心が安らぐ。
 すぐ目の前にある未来すら、誰にもわからないけれど、おもいでは変えられなく自分にしかわからない。
 そんな存在がときには鬱陶しくもあり、なによりも大切におもえる瞬間だってある。

 俺が俺でいられる瞬間。
 惨めだと人に笑われるようなことはない。だって、俺はこんな変な趣味を誰にも喋ってはいない。
 心のなかだけで、自分ひとりで、反芻する。


 ブランコが俺の横で鳴っていた。
 俺は止まっていた。

「いったり、きたり。ブランコってさ、なんかいいよね」
 高い金属製の声を鳴らし、となりで誰かが声をかけている。
 香月はほとんど、いつもらしかった。俺の目にみえる、その、ほとんどという曖昧な部分は、俺にもよくわからない。
 香月は、実は俺より年下だ。だから、俺は心のなかではいつだって呼び捨てにする。


「俺は、とまってばっかだけどな」

 砂を蹴る音が数回、断片的に響き、金属製の軋むような音は止んだ。
「とまるのも、いいねぇ」

 そう、いいつつも香月はゆっくりと地面を蹴りあげて前へ、後ろへと繰り返し、揺れはじめる。
「やっぱり、わたしはこっちのほうがいい」そんなことをいいながら。前へ、後ろへと反復する。

 空に足を伸ばし、戻るときは、身体をつかい。どこまで高くやれるか、なんてことをいっている。
 そんな、香月の姿が、俺には眩しかった。なぜか、今の自分のみている光景が、昔をみているように。
 いつだってそうだ。香月をみていると、昔をおもいかえす。そして、自分と照らしあわせてみてしまう。

「アツシにもさ、こういうのってあったんでしょ?」
 いきなり訊かれた。香月の屈託もない抜けたような明るい声に、俺は勝手に反応していた。
 なにに、反応したのだろう。だけど、俺は声に。確かに声に出していた。

「あった、かなぁ」
「なんだよ。その、曖昧な返事」
 言葉だけが、その場の空気を表している。陽もまだあるというのに、公園の片隅でブランコに揺られる香月と、ブランコに乗ってもなお、揺られない自分。子供の頃にはわからなかった、どうでもいいことも、大人になってしまえば、違和感は隠せない。

「俺は、さぁ、正登には会わなかったけど、おまえは会いたいか?」
 子供の頃には、気付きもしなかったことも、大人になれば気付けることもある。
 俺の言葉を、香月は受け止めてはくれなかった。ただ、そのあとを金属製の音だけが追走するように耳元を通過していく。

 鉄の鎖でつながれたブランコはやがて失速していった。
 砂を蹴る音。香月の声が、止まったブランコのほうから聞こえてきた。

「こんな、今の私じゃ会いにいけないでしょ?」
 俺が振り向くと、真顔の香月がいた。
 俺にはみせているじゃないか。そんなことぐらいしか思い浮かばなかった。香月の表情をみていた俺はたまらずその顔からそむけていった。なんのことはないのだ。俺だって美夏や玲奈に向けられないような表情を香月にはみせている。それを、香月もしているだけのことだ。もしも、他人の弱いところをみたいとき、自分の弱いところをみせなければ、互いの心は通じない。それと、おなじことだ。

「俺にはみせているくせになにいってんだか」
「正登君にはこの顔は無理」
「じゃあ、なんで俺にはみせてるんだ?」
「・・・なんとなく」

 なんとなく。じゃあ、俺もいまの俺をみせている理由はおなじだ。
「アツシも、なんとなく、でしょ?」
「いや、そんなことはないさ」
「・・・じゃあ、なぁに?」




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