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夢見草


vol_2.3   暇な探偵の横顔



   8


 まったくもって、早朝の夏の風というものは、新鮮な色をあたしにみせてくれる。
 同じ夏なのに、昼間とは別人のように涼しく、蝉が密やかに鳴き始めるのだ。
 蝉の抑え気味な鳴声に入り交じり、小鳥のさえずりも耳に届く。等間隔に続く電信柱をつなぐ電線におおきな烏がつばさを広げて舞い降りた。黒いくちばしをあたしにむけて天上から見下ろす。街を散策していたあたしは、烏をみつめた。やがて、烏は、あたしに興味をなくしたようにくちばしの向きを変え、飛び立っていってしまった。車の通りが少なく、たまにジョギングをする運動熱心な人が通るだけの道を、あたしはゆっくりと歩いていく。昼間だったら、とても暑くて歩けないだろうこの道を。太陽が横に寝ているあいだに、あたしはゆっくりと早朝の散策をはじめる。


 あたしはこの日、よく眠れてもいないのに眠くはなかった。
 ふっと気付いた頃には早朝で。それをおしえてくれたアナログ式の時計は、ただ秒針を正確に動かしているだけで、なにもいってはくれない。めざまし機能をオフにすると、それまでの時間がもったいなく感じたあたしは、こうして久しぶりに夏の朝を闊歩しているというわけだ。目的地は、とりあえずコンビニ。いつもだったら車でいく道順を、学生の頃の登下校のように歩いていく。まず、朝食を買わなくてはならない。そんな、言い訳のような理由を掲げ、あたしは足をむける。ここ数日、正登とはあわなかったせいか、あたしは暇さえあれば、あいつのことを考えている。どうでもいいことだとおもい。おもいながらも、浮かぶ。どうせなら、なにか買っていってやろうかとおもいつつも、今日は仕事であることはわすれない。コンビニが見えてきた。あたしは、歩幅を広げ、駐車場が空いている場所をぬけて、扉を押し開けた。「いらっしゃいませ」という営業用のあいさつを聞き流すかのようになかに入るとすぐ脇にある、雑誌陳列場所で立ち読みを十分ほどで済まし、籠を重ねられてある上からとって、適当に菓子パンやらをなかにいれていく。紙パックの安いアイスコーヒーやアイスココアなどを入れて、新商品を手に取り確認するだけで棚に戻すと、レジへとその籠を置いた。バーコードリーダーが、ピッピッと電子音で確認したことを告げると、あたしはなんとなく店員の仕草をみつめた。正登も、あいつもコンビニのバイトをしていたのだ。店員が、レジを打つと、あたしは財布から一枚と小銭をあわせて差し出す。丁寧そうに受け取る店員をじっとみつめながら。おつりの小銭を財布にしまい、「ありがとうございました」という店員の礼儀正しいことばを背に扉をぬける。朝の帰り道をあるきながら、あたしは正登といま声にされた店員の言葉を照らし合わせていた。とても、似合わない。想像は、途中でかたちにすらならなかった。


 今日という一日がどんな日になるのだろうと、おもいながら、コンビニの白いビニール袋をゆらしてあたしはゆっくりと戻っていく。


   ※


 片瀬探偵事務所は、優秀な人材の宝庫です。
 あきらめずに司法試験を受け続けているあたしの父と、一人娘に産まれてきてしまったがために仕事を押し付けられているあたし。
 ほんのささいな興味心でハッカー行為を続け、あたしの父に幾度となく捕まったという前科がある実力派の健。
 あたしよりもほんの少しだけ姉さんな真由美さん。それと、正登が連れてきた真面目で繊細でもある慎也。
 誰一人として、普通な一般人はいません。別の意味での人材の宝庫ですが、あたしは皆が好きです。


「はい、どうぞ」
 おのおののカップにそれぞれに好きな飲み物をいれたカップを置いてまわると、皆も個性的な返事をくれる。
 ウーロン茶が好きだという慎也と、元刑事だとは想像もつかないあたしの父は、きまってちいさく微笑んで、「ありがとう」という。
 アイスコーヒー(ブラック無糖)の健は、「おう、サンキュー」。ダイエットのためだとかいっている真由美さんにいたっては、「どうも」でミネラルウォーターを受け取ってくれる。そしてあたしは、今朝、買ってきたアイスココア。
 片手を横腹にあてて、給水所でみえないように紙パックごと飲んでいたら、

「あらら、いいのみっぷりなことで」
 どうしようもなく、事務所が狭いのだ。
 横でへんなやじをいれられたせいで、ちょっとだけ吹き出しそうになってしまった。
「今日はなんか、気前がいいね」
 そういって、カップのなかのアイスコーヒーがいつもとは少しだけ多いことを指摘する健。
「正登となんかいいことでもあったんですか?」

 あからさまな嫉妬の熱が、その言葉にはあった。あたしはそのことに気付いていつもはやらないことを実践して反応を窺ってみた。
「ごめんなさいね。量、おおかったね。ごめんね、めんご、めんご」
 そういって、まだくちもつけてない健の透明な硝子のグラスを持ち上げると、半分近く(実質それ以上)を一気飲みして、グラスを健に手渡す。
 もう、片方の手であやまりのポーズをとるのは忘れない。
「めんご、めんご」
「・・・なんのつもりだよ」
「ちょっと、あたしに対して最近、なまいきだから」
「そういうこと、ふつう堂々というか?」
「あんたに対してだけね」

 笑顔満点でこたえると、きまって健は正登や慎也にはもっていない純度百パーセントの“引き”の表情をみせてくれる。
「おい、親父。娘が変だ。男になんかされて、ボケたんじゃねーの?」
 まったく遠慮ないことば使いで社長でもある父に問いかける。
「あはは、まっさかー・・・」そういう父も顔はことばとは裏腹にひきつっているようにもみえなくもない。
「正登とやりました。やりまくりです」でかい声でいってみた。


「・・・・・」
「・・・・・」

「うそだよ」
 いま、ときが止まった。蝉の鳴声とあんまし利かない冷房の音しかなかった。
「さぁて、仕事仕事」
 父はそういう人だ。あたしは別にどうでもないのに恥ずかしそうに頬を染めながら、うっすらハゲはじめたデコに汗をかきながら。眼鏡を人差し指でもちあげて、書類に視線を落とす。健は、というと、
「バッカじゃねーの」
 ただそのひとことでおわり。パソコンのモニタに視線を移す。
 しばらく、健のそんな態度に視線をむけていたら、
「なんだよ。あっちいけよ」そうせかされる。

「あっちいけるほど、広くないよ。うちの事務所は」
 減らず口、止まらずのあたしは、事務所にひとつしかないソファーで苦笑いを浮かべる慎也の隣へ座った。
「どうだった? いまの冗談は?」
「・・・まあまあ、かな」
「お手の厳しいことで」
 煙草を一本抜き出すと、それを咥え、百円ライターで火を点ける。
 煙をはきだすあたしにむかって、真由美さんがあきらかに退屈そうにむきかえる。
「あれー、美夏ちゃん禁煙してたんじゃないの?」
「ちょっといま、ストレス増加中なんで・・・」

「体重増加中の間違え」
 健のやじに、あたしはそこにあった頑丈な石製の灰皿を脳天めがけてなげそこなった。
「もしかして、マサトのことで?」
 片瀬探偵事務所の最大の問題点は暇なことだ。
 暇じゃなかったら、ふつうこんな探偵事務所なんてありえない。

「あたしにも、よくわからないんですよね」
 ミスおせっかいやきの真由美さんは、必要にそれでもあたしに変な視線をむけたがる。
「あやしいな」
「あやしくなんて、ないです」

 クスクス。実際、そんな声なんて人間の口からついでるもんじゃないのに、健がわらっているような気がした。
 灰皿に手をかける。灰皿の重さ(石製だから)が現実に戻してくれる。鉄製のうっすいやつだったら手裏剣の要領で投飛ばしていただろう(だから、石製。・・・うそです)。とりあえず、灰皿から手を離した。

「マサトでしょう?」
「・・・・・」

「・・違ったら、黙らないよ」
「・・・・・」

 なにげに慎也も加わっていることに腹が立つ。

「・・・・・」
「・・・・・」

 ふたり分の圧力にあたしは根負けした。
「ええ、・・はい。そうですよ。あいつのせいですよ」
 そのことばと同時にハゲで眼鏡な父と、ろくでもない健が聞き耳をたてているのがわかった。
「もしかして、・・・結婚の話?」
 ・・・なんで、そうなる?
「子供、産まれそうとか?」
「わかった。彼氏が激しすぎてついていけない。正解でしょ?」

「・・・真由美さん。なにげに、暇つぶしにいわないでください」
 父と、健が見るからに、げんなりしてますから。すずめの涙ほどのなさけでそれはいわないであげた。
「じゃあ、・・・なによ?」
「なによって訊かれても」
「言えないことなの?」
 ほらほら、また二匹が耳をたててますよ。真由美さんの背の影で。
「・・・・まあ、あいつのせいだっていえば、あいつのせいですけどね」
 暇な探偵事務所。すべては、そう。暇なことが悪いのだ。仕事をしないニートな正登と、産まれもって暇なあたしは。




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