INITIALIZE ORIGINAL NOVEL
夢見草
vol_2.8 かわらないもの
※
無数の空気の粒子がヘルメット越しに砕けていくようだった。
尾骨から音が振動となって、衝き揺らしていく。夜中、目覚めた俺は、バイクに乗っていた。
俺は、わけがわからないまま、真由美さんが運転するバイクの後ろに跨っている。
腰に手をまわし、つなぎとめているこの手を放せば、僕は間違いなく死ねるだろう。
高速道路は橙色に照らされて、いま、僕がどこにいるのかさえも、わからない。
それでも、僕と真由美さんは速度計の針を振り切るほどの速さで駆けていた。
まだ夢のなかにいるような気がしてならない。無理やりでも、手を放すことができれば、夢だろうと現実だろうと終わる。
そう感じた瞬間、唸るエンジンの彼方から真由美さんの声が届いた。
「どうした若者。元気をだせ」
僕は、辛うじて、声に出していた。
「酷いこと、言うな。真由美さんは」
「なに? どうして?」
「慎也にもいってないですか? いまの言葉?」
「いつもいってるけど?」
「慎也はどうしてます?」
「黙ってるね。笑ってごまかすように」
そこで、いったん会話が途切れた。
パーキングに入るため、真由美さんが運転するバイクは、駐輪場へと速度をゆっくりと落としながら滑るように入っていく。
停まって、エンジンを切り、ヘルメットを外しながら振り返る真由美さんが言った。
「どうして、慎也はいつもなにかを誤魔化すような笑顔をむけるのかな」
ヘルメットを外した真由美さんのショートカットの髪が、口元に幾本か付いていた。
僕はそれを黙って、とってやりながら、言った。
「太っていることを気にしている人に、そのことを善意だろうが悪意だろうが指摘されれば、誰だってそうなるでしょう?」
「なるほどぉ」
「真由美さん?」
「なんでしょぉ?」
「それを訊くためだけに無理やり俺を起こして連れ出してきたんじゃないでしょうね?」
ヘルメットを被ったままの僕にむかって、とびきり弾けるような笑顔を向けて、バイクから真由美さんは降りた。バイクの鍵をもって、真由美さんは言った。
「そのためだけに、連れ出しちゃ悪い?」
子供のように笑う真由美さんを僕は久しく見ていなかった。
バイクの後部座席にすわる僕は、ヘルメットをつけたままひとり、滑稽にバイクに跨っていた。
※
瞼をいくら閉じたところで、隔離は永遠に続くわけがなかった。
俺はけたたましいほどの電話のベルで目が覚めた。次に、部屋のドアが叩かれた。
どちらを先行するか、迷っている間に、自然と判断していた。部屋に備え付けられた電話のほうを先にとった。
「いま、そっちに誰か来ていない?」
忙しく焦っているように聞こえた真由美さんの声は、なにかを隠しきれない風貌をすぐに連想させた。
「どうしたんですか、そんなにあわてて」
「どうしたもこうしたもないわよ。いまそっちに、誰かが扉を叩いていない?」
俺はいったん、振り返り、終わらない戸の音を確認した。
「叩いてますね。すごく」
「なに、呑気なこといってるの? いいから、今すぐ開けて」
純粋な僕は、疑う事も知らず、玄関の戸を確認することもなく開けていた。
「やあ、元気してた?」
左手に携帯を持って、もう右方の手は軽くあげている真由美さんがいた。
微笑むその姿はジーパンとジージャンといういでたちで、それに比べ俺は黒のパーカーと黒のジャージの寝間着姿だった。
勇ましくない俺の格好が、いたくお気に召さないらしく、真由美さんは次にこういった。
「なに、その格好?」
俺は正直に答えた。
「寝間着」
「いま、昼間だよ?」
「昼寝してたんだ」
「君、いくつだったっけ?」
「真由美さんよりは、若いのは確実」
そこでようやく真由美さんが笑ってくれた。
俺も笑うことにした。笑いながら、真由美さんが言った。
日本語には聞こえないような日本語だった。
「ちょっと、つら、かせや」
俺は笑うことしかできないでいた。
※
笑って誤魔化してしまったら、こんなところに連れ出されていた。
慎也がするような笑顔を俺は鏡にむかってしてみる。
見事な誤魔化しの笑顔。鏡のなかの僕がみえた。お手洗いから出ると、真由美さんが外で煙草をふかしていた。
ちいさな風が、煙を横にながして、それにつられるように、真由美さんの短めの黒髪はなびいていた。どこかを見定めるようにしてむけられているその視線に、どこかわすれかけているなつかしさのようなものが漂ってみえて、俺は濡れた手をジャージのふとももあたりでふきながら、思い出せないその感覚をなぜだか感じていた。真由美さんは俺に気付くと皮肉の混じったような、よくわからない表情で言った。
「用は足したかい?」
「だいたいは。でも、足せない用もある」
「なに。言ってごらん」
「なんでこんなところに俺を連れ出したんですか?」
「お話がしたかったの」
「だったら、こんなところじゃなくて、もっとべつなところでも」
「だめ」
「・・・なんで?」
「君、逃げるから」
そのとき、俺は初めて気が付いた。
ここが高速のパーキングということは、それはつまり、そういうことだった。
「・・・でも、ほら。柵を乗り越えれば、無理やりにでも、逃げられるようなもんでしょう?」
にこやかに煙草をふかし続ける真由美さんは、そっと、安堵の含まれた笑みで答えてくれた。
「そんな、気もするね」