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夢見草


vol_3.0   明けのこない夜



   11


 なにをやってもうまくいかない。
 それが、このサイトの通念したものだった。
 私がこのサイトを訪れて間もない頃、その頃は、たしか普通に慎也と接する事はできていて、なにも問題はなかったはずだった。ただ、ひとつ、・・・私もこのサイトと出会ったことでなにかが変わった。そのたったひとつというのは、人がもつ得体のしれないものだった。理想と現実。全ての問題はそこにあった。目標としている理想と、惨めな現在の自分。それを差し引いた“差”こそが、問題だった。
 ひとは、その“差”を埋めるために、見当ちがいな代替物で補い、しかし、それは当然ながら、あるべきものではなかったがために拒絶反応を起こし、そして、やはり求める者は、再び求める。ここにはその全てが記されている。書くことに対する切迫とした感情。言葉に置き換えることのできない想い。そして、それでも、書かずにはいられない衝動にも似た感情。あとからくる、返信を心待ちにしてしまっている己への切実さ、そしてなさけないほどの期待。その全てをもってしても、やはり、私はこのサイトを訪れることへの断念はできそうにない。なぜならば、私も、あの頃の慎也と同じように、いまではこのサイトの住人となってしまっているのだから。


 ふと、私は液晶画面から壁の向こう側を見つめた。
 慎也が家からいなくなってから、なにが変わっただろう。
 パソコンの、液晶画面の先に隔てられた壁を見つめる。
 視線の先にある、薄い壁を隔てた先に、慎也はもう、いない。
 慎也は、なぜひきこもったのか。
 なぜ、私たちになにも喋らず、閉じこもったのか。
 全ては、この液晶画面の裏にある。
 見えない部分が全ての原因だった。


   ※


「光源って知ってる?」
「・・・こうげん、ってあの、光を発するもとのこと?」
「そう。その、光源」

 幼い私と慎也は同じ場所にいた。
 私は、ゆっくりと、慎也の幼い匂いがする髪を撫でてやる。
 ゆっくりと、丁寧に。指先は、幼い少年の頭皮を探る。
 いつだって、慎也は私の手の届く場所にいた。
 こうして、手を伸ばせば、慎也はそこにいる。暖かい慎也がいる。
 私は慎也に訊いた。

「慎也の光源ってなに?」
 やさしく微笑み訊いた。他の誰にもみせない微笑で。
「・・・お姉ちゃん」

 そういってくれる慎也が、私にとっての光源だった。
「ねえ、慎也?」
「・・・なに?」
「いつまでも、一緒にいようね」
「・・・うん」

 慎也のこの笑顔が、
 私にとっての、唯一の光源だった。
 あの頃、までは。


「・・・慎也」
 静かに誰かへと囁くような自分の声で目が覚めた。
 瞼をもちあげて、さっきまでのことが、ただの夢だったことに私は気付かされた。
 目の前にある机のパソコンの画面には、スクリーンセーバーの動く旗が泳いでいる。黒い背景に頭上の蛍光灯が映りこんでいた。
 白い光の蛍光灯。なぜ、蛍光灯は白に光るのだろうか。そもそもなぜ、光は白なのか。
 椅子をつかい、背伸びをしたついでに蛍光灯をみつめる。

『私の光源は、白じゃなかった』
 呟く声は、言葉は、いつのまにか、跡形もなく風化した。
 だらりと、背もたれにもたれる私がいた。椅子から立ち上がり、カーテンを開いた。綺麗な月がみえた。満月だった。
 雲ひとつない澄んだ秋の空を、満月が照らし、星座が輝いている。
 夜は帷に包まれている。まったくの静寂な夜にすぎない。
 私は、静寂な夜をみつめている。それが現在の私なのだ。
 そう実感すると、静かに深呼吸をしていた。
 全ての事柄は、たんなる代替物にすぎないのかもしれない。


   ※


「ねぇ、慎也」
 いつもとおなじだった。
 なにも変わらない毎日。なにも変えられなかった。
「ごはん、ここに置いてくね」

 夕飯を部屋のまえに置くのは、いつからだろう。
 いつから、慎也はなにもこたえてくれなくなったのだろう。
 そうして、だけど、そのときの私は慎也が扉を開けるそのときが正直、こわかった。
 慎也がなにに悩んでいるのか、慎也が答えてくれない以上、私には打つ手がなかった。
 夕食のお盆をおいて、階段を降りていく。キッチンに母がいて、それだけはいつもとかわらないことだった。
 私だけが、テーブルについて、いつものようにテレビのリモコンに手を伸ばす。
 選局を繰り返し、ただ、そうしているだけで時間が無駄にすぎていく。
 このときの私は全てが惰性で進んでいた。

 きっとこのまま、なにもかわらず、無意味にリモコンをいじくりまわす毎日が変わるはずがないと信じ込んでいた。なんの根拠もない。なんの理由もあるはずもない。ただいつもと同じ毎日が、明日も続く。それは、決定的であり、絶対的な運命のようなものだと、ただ私は勝手に信じ込んでいた。


「慎也は?」
 短く母が私に訊く。
 なぜ母は私に訊くのだろうか。慎也なら階段を上った先の部屋にいる。
「いつもと変わらないよ」
「・・・そう」

 テレビから笑い声が聞こえてくる。
 いつのまにかテーブルには、母が料理を並べてくれている。
 私たちの食卓には声はない。あるのは食器のすれあう音がたまに。それ以外は、なにもなかった。
 壁に掛けてある時計はデジタル表示でなにも音は発しない。母が、秒針の音がうるさいからと買換えてしまったのだ。
 私と母。ふたりと、部屋でひとりで閉じこもる慎也。

「今日も残業かな」
 あたりまえのことを、あたりまえに訊く。
「そうね」と母があたりまえに答える。
 父は優秀なシステムエンジニアだった。それは現在も変わっていない。
 家庭をかえりみず、仕事に従事している。父には仕事が家庭よりも大切だった。
 仕事が生きがいな人だった。父には私が幼い頃から口癖のようにいっていたことがある。
 それはあまりにも単純で、でもそれが父の全てだといまでも思える。
『数学には、真実がある』っと。私は父のいっていたことが間違っているとはなぜだか思えなかった。

「いいか、玲奈。この世界は不平等だ」
「ふびょうどう?」
「そう、不平等。上辺だけが平等にみえて、ほんとうはそうじゃない」
 幼い私と父はベンチからながめる湖面をみつめながら会話をつづけた。
「この世界は、・・・ただひとつを除いて、全てが偽物なんだよ。他人は、他人を騙す。それは自分じゃないからだ。人は自分以外の人間の心がわからない。そして、だからこそ、人々は争いあう。でもな、玲奈。たったひとつだけ、あるんだよ。真実ってやつが」
 どうして父が、せっかくの休みにつれてきてくれた湖のあるキャンプ場でそんなことを言うのか、そのときはわからなかった。
「数学には、真実がある」

 たったそれだけがいいたかった。
 父はそれだけを言い残し、ベンチから立ち上がると、バーベキューの続きをしようと私に微笑んだ。




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