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夢見草


vol_3.2   明けのこない夜



 そのときの私は確実に壊れていった。
 いや、正確には壊されていった。
 私を壊したのは慎也であり、無力な母であり、自殺するように死んでいった父であり、
 そして、なにより惰性で生きることをよしとしない私、個人だった。
 全てが、惰性だった。

「ねぇ、慎也」
 いつもとおなじだった。
 なにも変わらない毎日。なにも変えられなかった。
「ごはん、ここに置いてくね」

 慎也を消そう。
 私の記憶から、そして現実から。
 そうすればきっと、毎日の日課になってしまった惰性もなくなる。
 実に単純なことだった。私が日々やっているこの日課を途絶えれば、慎也は必然的に死ぬのだ。
 ごはんに毒をもればもっと早く消すことはできる。
 これは可能性などではなく、事実だった。


 だが、しかし、私にはそれができない。
 規律を自ら破ることになってしまうからだ。
 私は人間であり、人間であるからこそ規律を守る。
 私は、あくまでも人間でありたかった。
 自分の欲を充たすために人間を捨てたくはなかった。
 たとえこの決断がどれほど私を苦しめようと、私はできなかった。
 慎也は私の弟だ。血をわけた正真正銘の弟だ。
 だから、いくら嫌っていようとも、守るべき存在。
 そんなわけ、あるはずがない。
 無力な母は私に感謝した。
 私はそれに応えた。
 応えたようにみせた。


   ※


 母は無力だった。
 どうしようもなく無力だった。
 愛した夫を失い、あったはずの家族の体を失い。
 そんな母を私は見捨てはしなかった。
 母を支えた。

 私は、母と同じではない。
 母のように無力ではない。
 それを証明するために。

 私だけが、慎也と母をつないでいた。


「うちの弟、ひきこもっちゃってさ」
 それは突然やってきた。
 私は破裂していた。
 涙がとまらなかった。

 弱かったのは、私だった。


 美夏は私の相談を黙って聴いてくれた。
 久々にあった幼馴染の言葉を美夏は丹念に聴いてくれた。
 私は、限界だった。


   ※


 ながい夢から、私はゆっくりと目覚める。
 布団のなかにうずくまる先から、陽がカーテンの先を照らしている。
 小鳥が鳴く声、いつもとかわらない朝の暖かい匂い。
 上体を布団から起こして、背伸びをする。
 私は目脂を指先でこじり、無駄に長く伸ばした髪をまとめる。
 数日後、元ひきこもりと名乗る青年が私の前に訪れた。
 西崎正登。彼は慎也を部屋から連れ出した。
 そしてこの家から切り離した。

 手すりをなでながら、階段を一段一段おりていく。
 母はいつもと変わらず、夢のなかと見間違えるほど変わらず、キッチンにたっている。
 私は洗面所にたっている。鏡に映る寝間着姿の私は、あの頃と変われたのだろうか。
 あの、惰性の毎日から、変われただろうか。
 冷水で顔を洗いながら私は考えた。




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