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夢見草


vol_3.3   盲目の小説家



   ※


 両手をついて、テーブルに乗り出し、
 おもわず、訊きかえしていた。
「いま、なんていった?」
「ボツっていったの」

 香月が微笑む。
 乗り出した格好のまま、俺も思わず微笑み返してしまう。

「冗談だろ?」
「冗談なのは、あなたの小説でしょう?」
 香月が手にしているプリントアウトした用紙から、俺は曖昧に視線を逸らし、腰をおろした。
 そして、手元に置かれた白い陶器の珈琲カップに手をやり、口に含む。
 香月も俺のあとに含む。平日のランチタイムと重なり、店内はスーツ姿のビジネスマンやら、OLやらで、俺と香月だけがこの喫茶店で浮いている存在になっていることはわかっていた。だが、それもすでに食後の珈琲を飲んだあとのことだ。俺と香月は、ただ、そこで珈琲を味わっている。傍からみてもそれだけのことにすぎないはずだった。


 なにかの間違い。
 さっきまでは香月も俺も気分よく食事をたのしんでいたのだ。
 つい、さっきまでは。窓の外に視線をやって、貧乏揺すりをしながら、もういちど訊く。
「もう一度、訊くけどさ。俺の小説どうだった?」
「ボツ」


 そうか、そうか。
 俺は珈琲を含む。香月も、やはり含む。

「冗談、だよな?」
「ここの珈琲、おいしいね」
「どこが、悪い?」
「ケーキ、たのんでもいい?」

「・・・」
「・・・すいませーん。チーズケーキ、ひとつ」
「・・・どこが」
「え、なに? アツシもたべるの?」
「俺の小説のどこがダメなんだ!!」

 俺の怒声で、喫茶店の空気が静まり返っていた。
「どこが、ってさ・・・」

 一瞬だけ、真顔になり、俺を見据えて微笑みをむける香月に、俺は怯んだ。
「全部」


   ※


「自己満足、してないかい?」
 香月がいった。
「誰かに認められたい。誰かのために書く文章」
 香月が横で歩く俺を少しの上目遣いで見上げる。
「それって、自己満足っていわない?」
 俺は黙ってそれをやり過ごす。

「誰かに認められるために書く文章なんて、ろくなものじゃないよ」
「・・・そうだろうけどうさ」
「私たちが書くのは、理論よ。まったく新しい独立した理論」
 俺は不真面目に呟いた。
「・・・どっかで聞いたようなセリフだな」
「なんかいった?」
「いや、別に」
「あなたには理論がないのよ。まったくの白紙」
「白紙ってことはないだろう」
「白紙なのよ」

 俺はそこで黙って、香月の横顔を窺う。
 隣で歩く香月の表情は、俺のことなどおかまいなしに正面を向いている。
 香月のいう、まったく新しい独立した理論とやらが具体的にどういったことなのか、俺にはいまだ理解できない。それに、もうひとり、理論を呟く奴を俺は知っている。

「そんなに理論とやらが大切ですかね?」
 なにげなく訊いたつもりだった俺に、香月はあきらかにあきれかえっていた。
「理論は、本質じゃない。わすれたの?」
「本質じゃない。それは、肯定、否定、どっちの意味?」
 香月はあきれかえっていた。だから、俺もあきれかえっている。
「もう、いい」

 香月はそれきり、拗ねてしまった。
 小説を否定されたことを根にもっているのだろうか。俺は自分を探る。
 だが、結局はいつもとなんら大差ない事実だけが残るだけになる。
 俺は、おまえに認められたいだけなんだけどな。


   ※


「ねぇ、アツシ」
「・・・文太だ」
「アツシ、アツシ、ショウセツヘタダゾ」
 お得意の九官鳥の声マネをしている目の前の奴が本当に小説家なのだろうか。
 そもそも九官鳥は声マネをする側であって、マネされる側ではないのだが。

「ねぇ、アツシ。どうしたの、元気ないね?」
「カヅキガオレノショウセツ、ボロクソニケナシタ。ヘコンダ、ヘコンダ、ムッチャヘコンダ」
「しょうがないって、実際、へたなんだからさ。ね?」
「・・・俺に訊くな」

「ムッチャヘコンダ。ムッチャヘコンダ。カムチャッカハントウ」
「俺はそんなこと、いってもいないぞ」
 いつもの場所。遊歩道がみえるあの商店街の端っこで、俺たちは親を待っている子供のように取り残されていた。

「別に、俺はおまえに認められるために、やってるんじゃないからな」
 本当はおまえに、認めさせるために書いているのだ。
 ふいといきなり香月は俺の嘘など透かして心の裏をみるような視線をむけてきた。
「じゃあ、私がなぐさめてあげようか?」

 一瞬だけ俺と香月の視線が結びつく。
 すべての街の雑音が雑音でしかなくなる瞬間に、残されたのは目の前にある存在だけになる。
 断ち切ったのは、俺からだった。

「できれば、そうだな。・・・なぐさめてくれ」
 視線をそらして、視点を街中に戻した俺にむかって、九官鳥の香月がいった。
「ソウコナクッチャナ」




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