INITIALIZE ORIGINAL NOVEL
夢見草
vol_3.7 宛てのない旅路
書店に並ぶ本のなかから、俺は目敏くあいつの本に手を伸ばしていた。
文庫本は掌のなかにおさまる、いつものしっくりとくる質感。
最初の頁を開こうとした途端に呼び止められた。
「なにをしてるの?」
「なにって、おまえの本を・・・」
俺はそこで香月を見据えた。視線を移して、文庫本の表紙を開く。
著者を紹介する箇所には、顔写真はなく、九龍香月の名と簡単な略歴が書かれてある。
俺の目と鼻の先にいるあいつ。誰も知らない十九歳の小説家は他の誰でもなく、俺だけしか知らない。
俺の彼女であり、先生なのだ。
※
「あーぁ、退屈ね」
「作家が本屋で言うセリフか?」
「だって、暇なんだもん」
「暇って新人作家が次々に出てきてるんだぞ。あせろとはいわないけれど、もっと気にしろよ」
見慣れない著者の新書を手に香月はぱらぱらと本を掌のなかでめくる。
「気にしても、しゃあない」
しゃあないって、おまえなぁ。すでに他人事のようになっている香月を、俺はいなす。
「若者よ、書を捨てよ、そして街へ出よ。自分とまったく価値観の異なる人間と多くふれあえ」
「なんだ、それ?」
「物書きの心得」
香月はいまだに新書を弄んでいる。俺は手にしていた香月の本を棚に戻す。
「知らねぇな。つーか、だいたい、おまえ他人とふれあってないじゃん」
「私は所詮、ただの傍観者ですから。記者は傍観者なり」
視線を香月に向ける。香月は微妙に視線を逸らしたように見えた。
小説家、・・・物書きにとって、なによりも大切なことは紙に書かれていない現実を紡ぎ出すこと。他人が書いた書よりも、自身がみた現実。それには、なによりも経験が足りない。俺は香月の弱点を知っている。香月には経験が圧倒的に足りないのだ。
「・・・矛盾だらけじゃねぇか」
俺はわざと香月に冷たく接する。
「人生なんて矛盾だらけよ。あたきち、よ」
視線を伏せる。香月のこの表情がどこか過去の正登と重なって見えてしまう。
何も知らないくせに、最初から切り捨ててあきらめてしまう。
何も知らないからこそ、全てをわかってしまったような顔をする。
俺は香月のこの表情だけは嫌いだ。それを指摘できない現在の俺自身も。
「それよりもさ」
香月を見ていた俺に香月が振り向いた。
「私より、気にすべきなのはアツシのほうでしょう。どう見ても」
香月の表情。香月の笑顔。いまだ来ない香月を想いながら、俺は苦笑いで空返事を返した。
※
後悔は残したくはなかった。
遊歩道のアーチはクリスマスのイルミネーションで彩られていた。一足早い装飾と、一足早い歩行者の心、・・・か。街を見ながら、俺はなんとなくだが、思った。思ってしまった。一度きりの今年のクリスマス。一度きりの今日という一日。特別な日を決めるのは後悔をしないためだ。後悔をしないために、特別な日を決めている。誰しも皆、同じなのだ。変わらない毎日に誰しもうんざりしている。
「クリスマスプレゼント、なに頼もうかな」
「・・・先立つものがないぞ」
「出世払いってことで、貸してあげてもいいよ」
「それを思うとますます高いものは買えないな」
そうだ。俺たちは今日という一日を実感するために生きている。
つらいときも、たのしいときも、止まらない時間を生きている。
ただ、時間が過ぎ去ってしまうことだけは確かなことだ。
そのなかで、俺たちが出来る事は後悔を残さないということ。
精一杯、生きるということ。生きる意味なんて、考えてる暇はない。
変われるようで、変われないでいる自分という場所から立ち止まっていても、時間は止まらない。